霧に煙る廃洋館・・・ 実を言うと大連で一番心を奪われた建物はここでした。 ロシア人街の突き当たりにあるのですが、厚く垂れこめた霧の中から突然その姿を現した時には思わず息を呑んでしまいました。 煉瓦造・北欧ルネサンス様式の建物は、私の訪問時点ですでに7年くらい空家になっていたかと思われますが、静かな佇まいは時を忘れさせ、自分が今、いつの時代にいるのか分からなくなったような気がしました。
分かる限りでこの建物に付いて述べると、帝政ロシア時代の1900年頃に東清鉄道事務所として建てられ、1902年にダーリニー市役所に。 1904年に開戦した日露戦争(1904~05)により大連の覇権が日本に移ると、1907年に南満州鉄道株式会社(満鉄)の本社となりました。 但し、ロシア軍が大連を引き払う時にこの建物に火を放ったらしく、屋根が落ちた無残な姿の写真が残っているので、内部は修復されオリジナルは外観(外壁)だけかもしれません。
わずか1年で満鉄がここを引き払った後は、大連ヤマトホテルとして使用されました。 明治の文豪・夏目漱石が、1909年に満州と朝鮮を旅行した際に泊まったヤマトホテルとはここのようです。 このくだりは『満韓ところどころ』に記述があるそうです。 いつまでホテルとして使用されたのか分からないのですが、その後は満蒙資源館、大連自然博物館と変遷し、98年に博物館が移転するとそのまま空家・廃墟状態が続いているようです。
帝政ロシア、日本、中国と、主を変えながら時代の波に揉まれてきたこの建物が、今後どうなってしまうのか非常に気になります。 これだけの歴史がある建物ですけど、それは中国にとっては即ち負の歴史でもあるわけですから・・・ 中華人民共和国遼寧省大連市 05年11月上旬