旧中村病院(医院)

2012-01-21 22:04:47 |  三重県


 三重県名張市は江戸川乱歩(1894~1965)生誕の地。 生後1年も経たずに転居してしまったので実際には晩年に訪れるまで「見知らぬ故郷」だったそうですが、彼の生家のあった場所には生誕地碑が建立されていて今は観光スポットになっています。 そこから程近い場所に建っているのがこの木造洋館であり、大正12(1923)年に個人医院として建てられたものだそう。 竣工年しか建築データを持っていませんでしたが、ネット情報によると院長が亡くなった昭和32(1957)年以降は使用されなくなって、平成9(1997)年に現在の持ち主(酒造業経営)が譲り受けたとありました。  三重県名張市  11年12月下旬



 道路に面して門柱(?)が建つ。


 木目を生かした下見板張り。 当初からペンキが塗られていなかったのか、途中で傷んだ部材を張り直したのかは分かりません。


 この様子だと現在は物置代わりの可能性が高そうです。




 柱頭飾りは面白い形。


 見た限りでは木製の窓枠も全て残っています。


 正面は東向き。
 

 前面に比べると背面は老朽化が進んでいるのが見えて不安です。


 江戸川乱歩生誕地の碑。 冬場は太陽が昇ってくるのが遅くてここのベンチで時間を潰して過ごしました。

石取会館

2010-01-20 07:12:42 |  三重県






 旧四日市銀行桑名支店(大正14年築 1925)。 古典様式からの脱却を図ったようなモダンで先進的なデザインが印象に残ります。 日本一やかましい祭りと云われる石取祭を紹介する施設に転用されているようです(内部未見)。  三重県桑名市京町16  05年12月下旬他

 ※10年01月下旬再訪し内部見学。 展示パネルを撮らない条件で内部撮影の許可を頂きました。


海山郷土資料館

2009-06-10 07:06:24 |  三重県




 林業家・松永家により日露戦争の勝利を祝して別邸として建てられたもの(明治43年築 1910)。 向栄館と呼ばれていたこの建物は建物全体が尾鷲杉の展示場としての役割も持っており、厳選された良質の木材を入念な施工で仕上げたものだそうです。  三重県紀北町海山区中里96  07年08月中旬


※おまけ お隣の大紀町(旧大内山村)間弓で見つけたのは、旧大内山郵便局(大正15年築 1926)でしょうか?

神宮徴古館

2009-05-30 07:00:00 |  三重県




 伊勢神宮に関する歴史博物館として明治42(1909)年に完成。 建物の設計は片山東熊・高山幸次郎によるもので、2人はちょうど同じ年に完成した赤坂離宮(現・迎賓館)でも一緒に仕事をしています。 外壁を白い花崗岩と花崗岩風に加工したレンガ(備前陶器会社専売花崗岩煉化石)で仕上げているので石造りの建物に見えますが、元はレンガ造りの平屋建てで、戦災で外壁を残して内部を焼失した為、RC造で2階を増築したようです。 戦災前の写真を見ると中央にドームが載っかり、屋根は陸屋根のようになっていました。  三重県伊勢市神田久志本町1754-1  05年12月下旬他

 ※写真が一部大きくなります
  参考 『東海の近代建築』 1981   戦災前の写真が掲載されています
     『総覧 日本の建築5 東海』 1986


 ※おまけ 神宮農業館(明治38年築 1905)。 我が国の農業に関する博物館として建設。 徴古館に対してこちらは和のイメージ。 設計・片山東熊?



 
 同じく 神宮文庫(大正14年築 1925)。 設計不詳。


鈴鹿峠自然の家

2008-12-16 19:08:34 |  三重県





 廃校になった木造校舎(旧坂下尋常高等小学校  昭和13年築 1938)。 もはや子供たちの姿は見あたらず、今は宿泊研修施設として誰かの帰りを待ちわびる日々です。  三重県亀山市関町沓掛123  07年08月中旬

松阪工業高校資料館

2008-11-13 18:53:30 |  三重県



 旧三重県立工業学校製図室(明治41年築 1908、校門は大正4年築)。 朱色の下見板が目を引きますが、これは当時は実験に使用する硫化水素の影響によって建物の外壁が黒くなると考えられていた為、変色しないように朱(硫化水銀)で塗ったもの。 この色のお陰で同校は、創立早々から「赤壁」という愛称で呼ばれていたそうです。 建物は大正5(1916)年から10(1921)年にかけて西側に増築がなされており、建設当初の建物は東側の部分だけのようです。  三重県松阪市殿町1417  05年12月下旬 


 ※おまけ  こちらは 松阪市立歴史民俗資料館(旧飯南郡図書館)本館と倉庫(共に明治45年築 1912)。 明治43年に当時の皇太子殿下(大正天皇)の御旅行記念として建設を計画されたもので、物の本には、日本風の細部を持った洋風建築と説明があります。  松阪市殿町 松阪城跡のすぐ近く(敷地内?)
 



 ※おまけ その2  これは松阪市文化財センター(旧カネボウ綿糸松阪工場綿糸倉庫)。 大正12(1923)年築のレンガ倉庫で、現在はギャラリーとして活用されています。  松阪市外五曲町1番地
    



旧上野警察署

2008-10-21 07:04:24 |  三重県



 半官半民の基金により明治22(1889)年に完成。 昭和7(1932)年にK氏に払い下げられ、同10(1935)年に現在地に移築。 当初は伊賀合同新聞社として使用されていましたが、その後、K氏個人の住宅に転用され今日に至っているそうです。 屋上に火の見櫓があった事を除けば、ほぼ創建当時の姿を保つ貴重な建物。 三重県の観光情報には公開日が10月23~25日となっているのですが、今年も公開されるのでしょうか。  三重県伊賀市上野丸ノ内1-2  07年08月中旬

 ※参考 『総覧 日本の建築5 東海』 1986
     『東海の近代建築』 1981 

旧山田郵便局電話分室

2008-04-11 07:08:59 |  三重県



 現在は明治村に移築されている宇治山田郵便局(明治42年築 1909)が手狭になった為、吉田鉄郎の設計で大正12(1923)年に増築された建物。 レンガ造ですが表面はモルタルを塗られ、鉄筋コンクリート造のように見せています。 山田郵便局は神都・伊勢にあるという事から、地方都市の郵便局の中では別格の扱いを受け、本棟ともども県都である津をしのぐ建物が建てられたそうです。 現在は「ボンヴィヴァン」というフランス料理店として活用されています。  三重県伊勢市本町20-24  05年12月下旬他

 ※写真が一部大きくなります。   

上野高等学校

2008-01-28 00:00:00 |  三重県



 旧県立第三中学校(明治33年築 1900)。 古くから教育熱心な土地柄といわれる伊賀上野に建つ。 和洋の取り混ざった玄関周りの装飾が特に素晴らしい。  三重県伊賀市上野丸の内109  05年12月下旬

 ※現役の校舎として使用されているみたいなので、見学ご注意願います。
   写真が一部大きくなります。
 

大王埼燈台

2008-01-27 14:05:21 |  三重県



 志摩半島の南東端に聳える白亜の灯台(昭和2年築 1927)。 伊勢志摩と聞くと風光明美な観光地というイメージなのですが、この灯台が建つ大王埼は海の難所として知られ、航海の安全を期してこの灯台が建てられました。 風の強い日でなければ灯台の上にも登れるそうです。  三重県志摩市大王町波切  07年08月中旬

 ※おまけ  灯台への行き帰りで歩いていて目についた建物。 ダメ元で立ち去り際に1枚だけ写真を撮りましたが、帰宅して資料を漁っていたら旧山田銀行波切支店(坂中家洋館 明治27年築 1894)という事が判明。 レンガ造ですが、戦後、歯科医院に転用された時に外壁にモルタルが吹き付けられたそうです。 灯台に行くには間違いなくここの前を通ることになるのでお忘れなく。 多分、現在は干物屋さん。 


桐林館

2007-09-11 00:00:00 |  三重県




 昭和11(1936)年築の旧阿下喜小学校でしょうか? 最初は建物の裏側を正面だと勘違いしていたので、「冴えない建物だな・・・」と思い込みましたが、表に回り込んでみたら御覧のように堂々とした建物だったので驚きました。 立派な玄関に換気用(?)の塔屋まで備わり、とても単なる小学校のようには見えない感じ。 現在はいなべ市の文化資料保存施設となっていて、通常公開をしてないようなのが少々残念です。  三重県いなべ市北勢町阿下喜(あげき)1980  07年08月中旬

 ※記事に加筆修正を加えました。

旧吉津郵便局

2007-09-10 19:00:12 |  三重県



 昭和8(1933)年に建てられた旧郵便局舎。 小さな港町の路地に隠れて、道行く人々を見守ります。 郵便マークと埋め込まれた赤ポストだけが過去を指し示す小さな(大きな?)しるし。  三重県南伊勢町(旧南島町)神前浦  07年08月中旬

楓江館

2007-09-01 18:22:49 |  三重県




 風光明媚な五ヶ所湾に流れ込む小さな川の河口沿いに、ドームを乗せた可愛らしい建物が夕日に照らされて輝いていました。 大正2(1913)年竣工のかつての太吉屋旅館の建物。
 
 この館の主人は、湾内で採れる天然真珠を横浜の商館と取引する中でこの特異な旅館を思い立ち、大工と一緒に横浜まで赴き研究を重ね建物を完成させたといわれます。 内部も見てみたい建物ですが、現在は個人邸のようなので特徴的なドーム部分がどうなっているのかは下から見上げて想像するしかありません。 2階から階段かハシゴで内部に入るのか、それとも3階部分に出入り口があって横から出入りするのか。 雰囲気的には2階の屋根にドームが「置いて」あるだけのような気もしますね(笑)。 肝心の五ヶ所湾の眺めも3階部分が壁になってしまい良く見えなさそうなので、飾りというかシンボル的な要素が強いのかも知れません。 五ヶ所湾はその形状が楓(カエデ)の葉に似ている事から別名・楓江湾とも呼ばれ、この建物の名前の由来にもなっていると思われます。 ところでこの建物の読み方は「ふうこうかん」でいいのでしょうか?  三重県南伊勢町(旧南勢町)五ヶ所浦  07年08月中旬

 ※現在は個人邸と思われますので見学の際はご配慮願います。
  参考 『総覧 日本の建築 5 東海』

鳥羽小学校

2007-08-25 20:03:24 |  三重県



 小高い丘の急な坂道を上り詰めると見えてくる3階建ての校舎(昭和4年築 1929)。 老朽化した建物は「危険校舎」のレッテルをはられ、小学校の移設はすでに決定済みのよう。 この場所はもともと鳥羽城址であり、眼下には鳥羽の町並みが広がっています。 ここで学び巣立っていった卒業生達は、故郷の遥かな眺望を思い出すたびにこの古ぼけた学び舎も思い出すに違いないのでしょうね。  三重県鳥羽市鳥羽3-1-61  07年08月中旬

※現役の小学校です。見学の際は十分に注意して行動して下さい。

 ※ブログ再開といきたいところなのですが、この夏ついにパソコンが壊れてしまいました。 以前からパソコンの電源が急に落ちるというトラブルが出ていたのですが、お盆休みから帰宅した直後からその症状が頻発。 19日にかろうじて復帰したのですが、翌日からはほぼ壊滅状態。 なにせ人から貰った97年製のパソコンですから寿命がきたんですね。 10年よく頑張りました。
 ・・・そんな訳でしばらく不定期更新が続きます。 ほかのブログにコメントを残す事もままなりません(ゴメンナサイ)。 おそらくパソコンは新しく買い換えることになると思いますが、急な出費で先立つものが御座いません(笑)。 じっくり予定を立てて購入していきますね。
 よくよく考えてみたらこのブログも「築」1年。 10年は無理でもまだまだ続けていくつもりなので、これからも皆様、是非御笑覧下さいませ。