旧山陽ホテル

2011-10-30 19:50:22 | 岡山・広島・山口


 明治34(1901)年に神戸と下関を結んだ鉄道(山陽鉄道)が全線開通した翌年、その山陽鉄道により馬関駅(後の下関駅)前に建てられたのが山陽ホテル。 下関と釜山を結んだ関釜連絡船の定期運航が開始されると下関は大陸への玄関口として賑わいをみせ、大陸渡航の皇族や政府高官は必ずこのホテルを利用するといった格式高いホテルでありました。 明治39(1906)年の鉄道国有法の発布によりホテルは国鉄が買収する事になり、更に大正11(1922)年には火災により初代の建物は焼失。 写真の建物は大正13(1924)年に2代目のホテルとして再建されたもので設計は辰野葛西事務所、しかし既に大正8(1919)年に没している辰野には設計への関与は無かったものとみられています。 昭和17(1942)年に下関駅が現在の竹崎町に移った事と、敗戦により釜山との連絡船が廃止になった事により客足が途絶え、ホテルは営業を停止して建物は国鉄広島鉄道管理局の出張所や建設会社の社屋として使われてきました。 しかし近年は老朽化と耐震不足などを理由として建物は閉鎖され、今年(2011年)ついに解体されてしまいました。  山口県下関市細江町3-2-7  09年9月下旬他  ※現存せず。

 ※参考『山口県の近代化遺産』 1998
    『近代建築ガイドブック 西日本編』 1984
    『やまぐち建築ノート』 1979




 正面玄関と車寄せ。
 

 車寄せの大きな庇を支える鉄柱はコリント式。




 さびさび~




 軒下の飾り。


 建物はRC造3階建て地下1階。 初代の建物は木造2階建てで3棟から成り、客室34室の瀟洒な建物であったという。
 



 2・3階の窓間の装飾パネル。


 西日本随一の本格ホテルであり、当時の新聞には宿泊者の名前と職業が連日掲載されていたほど。 




 ホテルで働くメイド達の採用に当たっては家柄まで考慮されていたといい、紫の袴(はかま)姿で甲斐甲斐しく働く彼女たちは市民から「紫の君」と呼ばれるアイドル的な存在だったそうです。

大分銀行赤レンガ館

2011-10-28 18:22:41 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島

 
 辰野金吾(1854~1919)と片岡安(1876~1946)が大阪に設立した辰野片岡建築事務所の作品で、二十三銀行本店として明治43(1910)年に着工し、大正2(1913)年に完成した建物。 煉瓦造に見えますが骨組みは鉄筋コンクリートで煉瓦の壁面仕上げとしたもので、昭和20(1945)年7月の大分空襲により外壁を残して内部消失し、昭和24(1949)年に再度鉄筋コンクリートの梁や柱で内部を補強される形で復元されました。   大分県大分市府内町2-2-1  09年05月上旬他



 赤煉瓦に白い花崗岩を要所に配したデザイン。




 1階の窓の上に丸窓を配したのは神戸の旧第一銀行神戸支店(明治41年 設計・辰野葛西事務所)を少し意識したようなデザイン。 あちらは戦災後の修復で(2階部分の)丸窓はアーチ窓に改められ、さらに阪神・淡路大震災で壊滅的なダメージを受けて現在は地下鉄の駅の出入口として壁面のみが残されています。


 設計担当は辰野片岡建築事務所の佐伯與之吉(1880~1958)。 施工はその佐伯組(現在の佐伯建設)による直営の工事。 昭和24年の復元工事も佐伯建設が行っています。


 総工費は当時の金額で17万円。




 この部分は当初からのものなのでしょうか??




 換気用のドーマーは丸型。


 正面のサブ玄関も少し丸みを用いたデザイン。


 二十三銀行本店~大分合同銀行本店~大分銀行本店~府内会館と変遷してきました。

旧長井邸

2011-10-27 19:46:53 | 奈良・和歌山






 住宅街の路地の間に顔を覗かせているこの建物は、神戸で貿易商を営んでいた長井氏が長男を(旧制)田辺中学校(明治29年創立・現在の田辺高等学校)に通わせるために大正8(1919)年頃に別宅として建てたもの。 赤やオレンジといった暖色系の色の作用もあるのかもしれませんが、神戸の異人館よりも明るく親しみやすく思えるのは温暖な紀州・田辺の気候や土地柄にもよるものでしょうか。 長井氏の長男が学校を卒業した後にこの別宅は人手に渡り、昭和28(1953)年頃からは旅館・赤別荘として長らく営業されていました。 しかし現在はその旅館も廃業し、個人の邸宅として大切に使われているようです。   和歌山県田辺市下屋敷町  11年02月中旬他


 ※個人邸ですので見学の際は十分ご配慮願います。

修善寺ハリストス正教会(顕栄聖堂)

2011-10-26 20:39:54 |  静岡県


 1861年に函館に来日し、日本に「正教」を伝えたニコライ大主教(1836~1912)。 その大主教の病気からの回復を祈って明治45(1912)年に伊豆・修善寺に建設されたのがこの聖堂です。 地元有力者で正教の信者でもあった菊屋旅館主人・野田修治(清治?)が聖堂の建設を提案し、明治45年2月3日の提案から僅か1週間後には建設に着手し1か月後には上棟、さらにその1か月半後には建築工事が完了したという驚異的なスピードで建てられました。 しかしニコライはこの聖堂が完成するのを待たずに2月16日に没し、ニコライの後任であったセルギイ主教により6月2日に成聖式(竣工式)が行われました。  静岡県伊豆市修善寺861  10年12月上旬他

 ※参考 『東海の近代建築』 1981
     『近代日本の異色建築家』 1984
     『日本の教会をたずねて』 2002



 ハリストス正教会の聖堂は必ず東向きに建てられる為、正面は西側を向く事になります。






 八端十字架が天を指す。 一番上の横棒はキリストの頭上に打たれていた罪状書きを示し、一番下の横棒は磔の際の足台を示す。 横棒が右下に傾いているのは、キリストと共に磔にされた2人の罪人のうち左の者はキリストを信じ昇天し、右の者は信じずに地獄に堕ちたという伝承に基づいている。 


 内部は正面から啓蒙所・聖所・至聖所の3室で構成されているという。 後ろに見えるのは桂川温泉旅館の大きな建物。 


 啓蒙所の上には高さ18メートルの鐘塔。


 写真はありませんが聖所には水晶製のシャンデリアが吊るされ、聖所と至聖所を区切る衝立状の聖障(イコノスタス)は旅順の聖堂にあったものをニコライが譲り受けた物で、左右には山下りんの作になる聖像が描かれているそうです。






 建設費は4、426円余り(当時)。 このうちの3分の2を野田家が負担し、敷地1000㎡も提供したという。






 軒を支える持送りに葡萄の飾りが施されているのもこの聖堂の大きな特徴。 鏝絵で有名な入江長八の弟子達の作。


 建物の設計は河村伊蔵(1860~1940)といわれる。 明治16(1883)年に洗礼を受けてロシア正教の世界に入り、一度も正規の建築教育を受けないまま正教会聖堂の建設に関わった人物である。 ちょうど愛知・豊橋の聖堂(大正2年・1913)の建設に携わるかたわら、出張の合間に修善寺を訪れるなど、この聖堂の設計・建設にも関わっていたらしい。 


 司祭が定住していない為に一般への公開はしておらず、月に一度信者向けに開かれているだけのようです。 

山形七日町二郵便局

2011-10-21 07:05:05 | 南とうほく (宮城・山形・福島)

 
 現在郵便局として使用されているこの建物は、丁子屋(丁字屋?)洋品店として大正14(1925)年に建てられたもの。 東北地方の建築事務所としては草分け的な存在である秦・伊藤設計事務所の伊藤高蔵の設計で建てられました。 洋品店としての営業を続けながらも終戦後は店舗の2階をダンスホールとビリヤード場に改装、しかし昭和47(1973)年に西隣りにあった地元資本の丸久(百貨店)に松坂屋百貨店が資本締結する形で進出したのを機に廃業し、1・2階を全面改装し郵便局へと転用して今日に至っています。  山形県山形市七日町2-7-20  11年09月中旬



 木造かと思っていましたが建物の案内板を読むと鉄筋コンクリート(RC)造になっています。 同じ七日町にある旧市島銃砲火薬店(昭和2年・1927)が市内初のRC造といわれていましたが、こちらの方が2年ほど古いのかも知れません。














 現代の街並みにもすんなりと溶け込んでいて古さを感じさせない。


 建物案内板に添えらえた洋品店時代の古写真。 1階中央部分がショーウインドウでその両脇が出入り口になっているようで現在とは正反対の形。 窓など開口部を除けば改変された点は少ないように思えます。


晩夏~初秋の建築探訪

2011-10-12 19:26:19 | その他・雑記

 松井病院  昭和5年
 富山県氷見市  


 旧神野歯科医院  昭和9年
 石川県七尾市


 サエキ写真館  昭和8年?
 富山県富山市  こちらが本来の正面でしょうね。


 越中三郷駅  昭和6年
 同上


 岡本接骨院  詳細不明
 富山県上市町  


 横田歯科医院  昭和3年
 同上


 八聖殿  昭和8年
 神奈川県横浜市  クリオネみたいなのがいます。


 旧山手250番館  昭和4年
 同上  冬場にまた来よう。


 旧六角橋郵便局  詳細不明
 同上


 飯能織物協同組合事務所  大正12年
 埼玉県飯能市


 旧平岡レース事務所棟  昭和25年
 同上  設計・遠藤新。 解体されます。


 旧梅田診療所  昭和4年
 東京都立川市  わが町の宝物。  


 梅月堂  昭和11年
 山形県山形市  新しい建物だと思っていました。


 山形聖ペテロ教会  明治43年(大正5年頃?)
 同上  ガーディナーの設計指導で建てられたといわれます。


 山形第一小学校  昭和2年
 同上


 レトロな車たち
 同上  子どもの頃にもこんな光景見た事ないや。


 旧三浦産婦人科医院  昭和5年頃
 同上  あまり知られていませんが大物です。


 旧済生館  明治11年
 同上  無料公開に変わっていたのが嬉しい。


 旧山形師範学校  明治34年
 同上  


 旧山形県会議事堂(文翔館)  大正5年
 同上  珍しくイベント無し。でも社会科見学の小学生の一団に取り囲まれ写真撮影を頼まれまくった。。


 旧菊池耳鼻咽喉科医院  詳細不明
 同上


 吉池医院  大正元年
 同上


 旧高橋医院  大正10~14年
 宮城県栗原市


 旧松島郵便局  明治33~38年
 宮城県松島町  この辺の地震被害は少なそうですが旧東名郵便局は津波でやられ跡形もありませんでした。


 亀井邸  大正13年頃
 宮城県塩竃市  洋館部は震災の影響で見学不可になっています。


 旧石母田医院  詳細不明
 同上  坂を下りてきた所で発見。  


 衛生堂薬局  昭和初期
 同上


 旧伊達郡役所  明治16年
 福島県桑折町


 旧粟野郵便局  昭和11年
 福島県伊達市


 福島ステパノ教会  明治31年
 福島県福島市  同じ市内の旧ノートルダム修道院(スワガー)は解体されるという話もありますがこちらは大丈夫そうです。


 旧古川医院  詳細不明
 福島県二本松市


 天境閣  明治41年
 福島県猪苗代町  上手い設計とは言えないような気がします…。


 若喜商店店舗  昭和6年
 福島県喜多方市


 旧滝澤医院  詳細不明
 同上  『会津の建物ガイド』で知りました。


 日本基督教団 喜多方教会  昭和6年頃
 同上


 旧熱塩駅の電車  昭和13年(駅舎)
 同上  『999』か『銀河鉄道の夜』の世界です。


 日本海水赤穂工場事務所  詳細不明
 兵庫県赤穂市


 旧大蔵省赤穂塩務局庁舎  明治41年
 同上  朝早すぎて外観だけの見学。


 旧北町青年倶楽部  大正13年
 兵庫県相生市  現在は公民館。


 旧中江歯科医院  昭和8年
 同上


 旧龍野醤油協同組合本館  大正13年
 兵庫県たつの市


 旧菊一醤油事務所  昭和7年
 同上  見学料10円というのは破格すぎます。


 旧長久医院  昭和3~5年
 兵庫県姫路市


 旧赤穂塩務局網干出張所  明治~大正期
 同上  ここも同じデザイン。  


 旧網干銀行本店  大正10~12年
 同上  屋根形状が面白い。  


 旧第三十四銀行姫路支店  大正10年
 同上


 旧姫路高校講堂  大正15年
 同上


 旧陸軍第十師団兵器庫  明治38年頃~大正2年頃
 同上


 勝原薬局  昭和2年
 同上  この部分は何でしょうね。


 旧陸軍第十師団長官舎  大正13年
 同上  


 旧男山配水池  昭和4年
 同上  天国への階段。


 旧神戸日産農林工場  昭和6年
 同上  遠くに見えたモノレールの廃線跡を追ったところで発見しました。


 旧妻鹿町役場  昭和2年
 同上


 旧富栖村役場  昭和8年
 同上  


 三菱製紙魚町倶楽部  明治35年頃
 兵庫県高砂市


 М家住宅  詳細不明
 同上  朝夕の2回見ましたが雨戸は閉まったままでした。


 旧朝日町配水塔  大正12年
 同上


 旧魚橋郵便局  明治43年
 同上  新しくしすぎて趣が無いのがちょっぴり残念。


 旧鐘淵化学工業高砂工場鐘華クラブ  昭和11年
 同上  1時間に1本のバスに乗り遅れ加古川駅から歩いて見に行く羽目に。


 旧加古郡役所  詳細不明
 兵庫県加古川市  確かに古い建物には見えます。  


 日本毛織加古川事業所のレンガ建物  明治期?
 同上  調べきれていません。


 大船観音  昭和35年
 神奈川県鎌倉市  鎌倉行く前に大船駅で途中下車したら駅前にいきなりコレ。


 星野写真館  昭和4年
 同上  探していたのはこっちの星野写真館でした。


 旧里見邸  大正15年
 同上


 旧宇津戸郵便局  詳細不明
 広島県世羅町  最近お決まりのアングル。 


 旧市村郵便局  昭和4年増築
 広島県尾道市  隣の旧村井医院も良いです。


 旧尾道市商業会議所  大正12年(昭和初期?)
 同上


 旧和泉家別邸  昭和8年
 同上  駅前を歩いていたら通りすがりのお爺さんにいきなりここを案内された。。。


 旧原田郵便局  昭和6年頃
 同上  やっぱりここでも近所の犬に吠えられまくる。


 旧大原家住宅  昭和3年
 岡山県倉敷市  特別公開を見てきました。


 仁王立ちの鳥さん
 同上  気持ち良さげ。


 旧倉紡中央病院医学研究所棟  大正15年
 同上  3階は増築らしい。


 旧小郷写真館  昭和初期?
 岡山県岡山市


 旧妹尾郵便局  詳細不明
 同上  場所を知りませんでしたが簡単に見つかりました。


 旧甲浦村役場  昭和6年
 同上


 旧三蟠駅  詳細不明
 同上  かつての軽便鉄道の駅。 現在は釣具店になっています。  


 旧旭東小学校附属幼稚園園舎  明治41年
 同上


 中国銀行小橋支店  昭和20年
 同上  戦前・戦後の区別が付かず、どれも同じに見える中国銀行の建物ですがこれは近代化遺産リストに載っています。


 木本歯科医院  詳細不明
 同上  橋の下で思わぬ発見。


 旧日本銀行岡山支店  大正11年
 同上


 出石町の建物  詳細不明
 同上  近くにも看板建築が何軒かあります。


 旧内山下尋常高等小学校  昭和9年
 同上


 旧岡山第一高等女学校施設?  昭和14年以降?
 同上


 旧清心高等女学校本館  昭和4年
 同上  レーモンド建築らしい雰囲気。


 三井造船施設  詳細不明
 岡山県玉野市


 旧鉾立尋常高等小学校  昭和7年
 同上  岡山は多彩です。



 ※近代化遺産一斉公開が始まっています。 見に行けそうなのは小山(静岡)の豊門会館と名古屋の愛知県庁くらいでしょうか。 月末の日銀本館の休日見学ツアー(要予約)も楽しみです。