内之浦公会堂

2007-12-27 07:14:22 | 愛媛・香川




 昭和12(1937)年に、郷土出身の実業家・那須金市の寄付によって建てられたという公会堂。 正面から見ると完全に洋風の建物に見えますが、裏に周ってみれば瓦屋根が顔をのぞかせ、がんばって洋風の建物に見せている所が微笑ましく感じられます。 内部2階は舞台を備えた畳敷きの大広間になっていて、地区の公会堂らしい仕様。 柱や天井には太平洋戦争当時の米軍機による機銃掃射の弾痕も残っているそうです。  愛媛県八幡浜市(旧保内町)川之石5-41  07年10月上旬他  


 ※ おまけ  旧保内町の街並みをちょこっとだけ紹介。 四国で初めて電気が灯るなど、明治期には県内外をリードしていたという繁栄の名残が、そこかしこに見られます。




 美名瀬橋(昭和8年 1933)と旧東洋紡績赤レンガ倉庫(大正8~15年 1919~26)。 
 
 東洋紡績の前身である宇和紡績会社は、四国で初めての紡績会社(明治20年創業 1887)。 明治22年、四国で最初に灯った電灯はここでのものだったそうです。 昭和初期の最盛期には川之石町民3人に1人がここの従業員であったそうですが、紡績業界の不振により昭和35(1960)年に工場は閉鎖。 本館は消えましたが、倉庫など一部が転用され現存しています。 夕陽に照らし出されたレンガが綺麗・・・  




 こちらは大正8(1919)年設立のカワイシ醤油。 古い建物か分かりませんが、ここの前を通るとイイ匂いがしてきます。 好きな香り。




 お次は慈眼庵青石の石垣とそこに組み込まれた灯明台。 こんなの初めて見ました。 この辺りは海運業で栄えた港町だそうですが、航海の安全を祈願して建立されたものでしょうか。 過去の栄華が垣間見えますね。 最初場所が分からなくて小山の斜面を上の方まで登ってしまいましたが、そこから見下ろす町並みや海原もいい眺めでした。 周りはお墓ですが(笑)。 





 最後に菊池邸(西のおやけ)。 母屋(明治期)と洋館(不明)、それにレンガ塀。 海運業で賑わっていた頃の名残を最も強く伝える豪壮な邸宅。 私の眼はどうしても洋館にいってしまうのですが、塀に遮られて全貌が掴めません。 もうちょっと背が高ければ・・・ 窓上のペディメントやアーチの部分が、旧白石和太郎洋館に似ているようにも見えます。 だとするとこちらも明治後期のものでしょうか。



 とりあえず年内の投稿は今日でお終いです。 今年は何度かブログを挫折しそうになりましたが、なんとかやり終えホッと一息。 暖かく見守ってくださった皆様に感謝、感謝です。 本当にありがとうございました。 年末年始は例年の如く遠征してきますので、また来年のご訪問、宜しくお願い致します。 それでは皆様良いお年を。

 

  関西方面に行ってきます!  コメントの返信も遅れてしまうかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。 

旧井田医院

2007-12-26 07:13:56 | 愛媛・香川



 佐田岬からの帰り道。 お目当ての建物は予想以上に傷んだ姿。 人影の見えなくなった建物には緑が生い茂り、全てを静かに押し包もうとしています。 自然の逞しさが新たな命を芽吹かせ、宇和海から吹きよせる風が建物を撫ぜ緑をざわめかす。 人間の無力さ、人の世の儚さを感じさせる瞬間。

 ※ 昭和4~6(1929~31)年頃の建築。 緑に包まれた正面2階部分の半円形アーチには、メダリオンの装飾が隠れているそうです。 危険ですので立入りご遠慮願います。  愛媛県伊方町  07年10月上旬

   

早稲田大学 大隈記念講堂

2007-12-25 07:10:53 |  東京都





 早稲田大学の創設者・大隈重信が見つめる先にあるのは、自身の名がつけられた昭和2(1927)年に建てられた講堂で、つい先日には国の重要文化財にも指定された建物です。 
 冠を被った様な時計塔の姿が印象に残りますが、これは当時の総長・高田早苗が出した「ゴシック様式の建物を」というリクエストに応えたもの。 時計塔の高さは125尺(約37.8メートル)。 大隈重信が提唱した人生125歳説にちなんだものだそうです。 高田は他にも「演劇上演が可能である事」という要求をし、建築学科の佐藤功一を総指揮として、同大の総力を結集したメンバーでこれらの要望にあたってこの講堂は完成しました。 
 建物の内部見学が出来るのかどうか不明ですが、ホールには宇宙をイメージした楕円の天窓が広がっているそうです。 音響にもこだわった建物だそうですから、芝居や演説などが、いったいどれだけの広がりをもって聞こえてくるのかここで堪能してみたいものですね。  東京都新宿区戸塚町1-104  07年12月上旬

 
 ※おまけ  大隈講堂の前にぽつんと建っているのは、旧大隈邸の守衛所(明治築)だそうです。 詳細は良く分かりません。



豊郷小学校 その2

2007-12-24 17:56:37 |  滋賀県
 随分お待たせしましたが豊郷小学校の続きです。 本館に繋がる講堂と図書館の、まずは簡単な説明から。
 
 豊郷小学校の平面図はカタカナでいう「ヨ」の字型。 北西を正面とし左右に125メートルにも及ぶ大きさで、その両端に向い合う形で北側に図書館、南側に講堂という建ち位置になります。

 本館から「渡り廊下」を通って最初に講堂へ。 







 床が緩い勾配になっていて後ろに行くほど目線が高くなる仕掛け。 木製の長椅子が配され、その数は600席にも及ぶそうです。 縦長の大きな窓からは光が存分に差し込み小学校の講堂としては申し分無し。 2階席からの眺めも良好でした。


 ここから図書館に向かうには、来た道を戻り本館を抜け、同じような渡り廊下を通っていきます。 
 










 この図書館にはやられました。 まさか小学校の図書館にこんなに素晴らしい空間があろうとは。 中央部分は吹き抜けの空間になっていて、ここが子供達の日常の図書閲覧スペース。 2階部分は南北に一つづつ独立して存在し、特別閲覧室や郷土資料展示室となっていたのでしょうか。 手摺り部分の装飾も凝っていて目を奪われますが、特に気に入ったのは北側の2階部分に上がる螺旋階段。 柔らかなカーブを描いた階段は非常に美しく、ここを上がった先での読書というものは何か崇高なもののように感じられそうです。

 
 こうして見てみると、本館はもとより講堂や図書館においても、現代の平均的な小学校を凌ぐレベルの充実度があるものと思いました。 住民運動のかいあってこの建物は残される事になりましたが、裏手には新しい校舎が建ち、この建物は保存というより放置に近いような気がします。 活用といってもこれだけの建物を維持管理していくには難問が多そうで、本来なら、新しい校舎を建てるのではなくて、この建物を現代の生活環境に合わせて改修していくのがベストな判断だったと言われても仕方ないのではないでしょうか。  滋賀県豊郷町石畑518  07年11月下旬 

旧賀茂銀行

2007-12-23 00:00:00 | 山梨・新潟





 信越本線・加茂駅から長い距離を突き進んでくるとこの建物に辿り着きます。 「いわれ」が書かれた説明案内板があるにはあるのですが、長年の風雨に晒された為か文字が掠れてしまって判読が出来ません。 「明治の館」という位ですから明治か遅くとも大正初期頃までには建てられたものだと思われます。 屋根の形状など、良く見ればなかなか趣のある建物で、しっかり保存されていれば十分に文化財にも成りえた建物だと思いますが、ご覧のように現状では放置されたまま。 このままではやがて消え去る運命かもしれません。  新潟県加茂市五番町  07年06月中旬


 ※追記  加茂→賀茂に訂正。 新潟県の近代化遺産総合調査報告書(1994)によると、この建物は大正4(1915)年に完成し、その後は第四銀行加茂支店となって、昭和7(1932)年に野崎繊維工業が譲り受けたとあります。 昭和23(1948)年に吹き抜けを塞いで平屋建てを2階建てとし、マンサード風の屋根は以前の物が雨漏りしだしたので昭和24(1949)年に大工のアイデアで改修したそうです。 

神奈川県庁本庁舎

2007-12-22 00:00:00 |  神奈川県




 横浜三塔のうちの一つである通称「キングの塔」。 関東大震災により内部を焼失した前庁舎を新たに建設する為、設計コンペで一等に当選した小尾嘉郎・東京都技師の案をもとに昭和3(1928)年に建てられました。 この時に小尾が獲得した賞金5000円は、当時の知事の年俸に相当するものだったそうです。

 塔頂に相輪が立ち日本風が加味された建物は帝冠様式の走りといえるものですが、軒先周りの装飾などにはF・L・ライトの影響が強く見られるともいわれます。 建物9階に相当する中央の塔は約49メートル。 後に竣工した横浜税関庁舎(クイーン)に、高さではおよそ2メートル及ばないものとなってしまいましたが、「キング」の愛称に違わぬ威厳を現代においても保ち続けているのではないかと思います。  神奈川県横浜市中区日本大通1  06年10月下旬他

 ※写真が一部大きくなります。
  08年02月中旬再訪。 写真の追加・変更を行いました。

  

 

駅前高等温泉

2007-12-21 00:00:00 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島



 旧華族の別邸のようなこの建物は、別府駅前にある温泉施設です(大正13年築 1924)。 ハーフティンバーの洋館に温泉という、なかなかリンクしないギャップには只々驚かされます。 内部は未見ですが、並湯(100円)と高等湯(300円)があって、それがこの建物の由来になっているみたいです。 簡易宿泊所としての利用も出来るようです。  大分県別府市駅前町13-14  05年05月上旬他

 ※写真が一部大きくなります。
  09年05月上旬再訪。 本文に加筆修正、写真の追加変更を行いました。 屋根の色が緑から薄いブルーに変わっていました。  

旧三潴銀行本店

2007-12-20 00:00:00 | 福岡・長崎・佐賀



 家具で有名な大川市に残る明治42(1909)年築の旧銀行。 とても100年近く前の物とは思えぬ立派な建物です。 設計施工は中古賀(地名)の筬島伝太郎によるもので、構造は煉瓦造りにコンクリートを塗り、窓などの部分には花崗岩を使用しているそうです。 長年、家具のショールームとして活用されてきましたが、所有会社の経営難から競売にかけられ今後の動向が気になる建物であります。 ところで銀行名がなかなか読めなかったんですが、「みづま」銀行でよろしいんでしょうか?  福岡県大川市向島2367  05年05月上旬

旧南葵文庫

2007-12-19 19:05:51 |  静岡県



 紀州徳川家により建てられた明治の洋館(明治32年築 1899)。 『日本の洋館 明治篇Ⅰ』によると、元々は南葵文庫(なんきぶんこ)という私設の図書館として東京の麻布に建てられたものでしたが、関東大震災によって東京帝国大学の図書館が全焼すると、その再建の為に書籍は全て寄贈し、この建物は徳川家の別邸として大磯に移築されたそうです(昭和8年 1933)。 住宅化されるのにあたって玄関の位置が中央から左にずらされ、1階にはサンルームを増築。 建物の名称もヴィラ・デル・ソル「太陽の館」とつけられました。 その後人手に渡った建物は昭和40年代に解体の危機もあったようですが、現在は熱海に再移築され高級ホテル及びレストランとして相模湾を見渡す地に建っています。
 
 小さいながらも雰囲気のある洋館なのですが、建物の全貌を海側からじっくり見るのはなかなか難しいです。 というのも、目の前の道路は自動車専用道路(熱海ビーチライン)になっていて、歩行者用の路側帯が無くガードレールの外はすぐ海。 おまけに渋滞から解放された車がすごい勢いで飛ばしてくるので写真を撮るのも結構命懸けです。 車列が途切れたのを確認したらガードレールを飛び越え道路の向こう側まで全力でダッシュ。 その場にはとても留まれないので、写真を撮ったらまた直ぐに舞い戻るという機敏な動きが必要かと思います(汗)。 やっぱりここはホテルに一泊して、優雅にお庭から建物を愛でるという事が良さそうですね。  静岡県熱海市伊豆山759  06年12月下旬他

 ※写真が一部大きくなります。

 
 ※おまけ  入口の鉄製の門扉はヴォーリズの設計だそうですが、これの事でしょうか。  大正7(1918)年築の南葵楽堂(現存せず)に付随して作られたもののようです(『静岡県の近代化遺産』)。 


無限庵

2007-12-17 00:00:00 |  石川県










 山中温泉の外れ、「こおろぎ橋」を渡り坂道を上がっていくと和風の建物が見えてきます。 加賀藩家老・横山家の金沢の邸内に明治末期に建てられた書院を大正時代に山中温泉に移築したもので、当時の木造技術の粋が集められた建物。

 玄関横の銅鑼を叩いて入場すると、すぐ横には小さな(本当に小さな)洋風の応接間がありました。 てっきり完全な和風建築だと思いこんでいたので少々意外な感じがしましたが、建物は後年になって増築された部分もあるらしいので、あるいはここがそうなのかも知れません。
 一番の見所となる書院主室は、壁やふすまに金粉で雲や山が描かれていて結構ゴージャス。 金粉というのが(旧所在地の)金沢らしい所ですが、それでも下品で嫌味な感じが全くしないのは武家書院の伝統がなせる技でしょうか。 邸内には広島浅野公爵家の茶室・静浄庵も移築されているのでお忘れなく(見落した。。。)。  石川県加賀市山中温泉こおろぎ橋岩頭上ル  06年08月中旬

ながめ余興場

2007-12-16 20:45:28 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)







 ながめ公園に残る芝居小屋。 景勝地である高津戸峡を見渡せる一番いい場所だった事から「ながめ」と付けられたこの地には、かつて「ながめ遊園地」という大正末期から昭和にかけて活躍した遊園地がありました。 遊園地といってもそれだけに留まらず、旅館や小さな動物園、ダンスホールに香水風呂(どんなのだろ?)まで備わり、季節の花々に囲まれた一大テーマパークの様相を呈していて大変な賑わいをみせていたそうです。 
 
 この小屋は遊園地の中心施設として昭和12(1937)年に建設。 玄関に大きな唐破風が付いた立派な建物で、昭和初めの頃の歌舞伎座を模して建てられました。 廻り舞台や桟敷席、花道なども備わった建物は、芝居はもちろん浪曲や映画の上映、歌謡ショーなどにも使われていたそうです。 特に農閑期には大勢の見物客が押し寄せ、「2階客席から人が落ちてきた」とか「爪先も立たない殺人的な人手」といった数々の「ながめ伝説」が残る程のものだったといいます。 しかし昭和30年代の最盛期を境にして娯楽の多様化が進み小屋は衰退。 昭和62(1987)年、ついにここは閉じられる事になりました。

 閉鎖され荒れるに任せていた建物が再生されるきっかけになったのは、竹下内閣時代の「ふるさと創生事業」だったそうです(例の1億円交付というやつですね)。 支援ボランティア団体が組織され保存と活用が図られる事になり、ついには平成8~9(1996~97)年の大改修により往時の姿が復活。 催し物が無い時には一般の見学も出来るようになりました。 特にここは梅沢富美男と縁が深いらしく、関連する一座の資料等が展示された奈落(廻り舞台の下)にある資料室は必見。 他にも、壁に多くの落書き(出演者の記念のサインなど)が残る楽屋、アールデコな2階の手すりなど琴線に触れるようなものが沢山息づいていました。 見学した時は私一人だけでしたので(悲)、いろいろと詳しく話を聞かせて頂けたのもラッキーでした。  群馬県みどり市大間々町大間々1635  07年06月上旬

 ※『にほん全国芝居小屋巡り』を参考にさせて頂きました。 
     

豊郷小学校 その1

2007-12-15 00:00:00 |  滋賀県











 豊郷(とよさと)は琵琶湖の東に位置する小さな田舎町。 「マムシ注意」の看板も立つ長閑(のどか)な風景の中に豊郷小学校は建っていました。 丸紅専務で郷土出身の成功者・古川鉄治郎氏から敷地建物、その他設備に至るまでの全額寄付を受け、ヴォーリズ建築事務所の設計によって昭和12(1937)年に竣工した白亜の学び舎です。 
 
 数年前に起きた校舎の解体騒動やそれに伴う町長のリコール等で一躍全国レベルの知名度になってしまった建物ですが、この学校が今でも町民達の誇りであろう事は容易に想像出来ます。 スチーム暖房や内線電話など当時の先端設備・思想を取り入れていた事は勿論ですが、ヴォーリズらしい優しい使い勝手、各部に残る印象的なデザイン、そしてなにより地域住民が親子数代に渡ってこの建物で学び・遊んだ記憶の連鎖が、愛情にも似た愛着となってこの建物を守ったのかもしれませんね。
 
 貴賓室や舞台付き音楽室などいくつか目に留まるものはありましたが、一番の注目はやはり階段手すりに設置されたブロンズ製のウサギとカメ。 そのものズバリ、イソップ物語の『ウサギとカメ』だと思いますが、寄贈者の古川鉄治郎氏が自身をカメになぞらえ、ぐずでのろまないじめられっ子でも、たゆまぬ努力によって郷土に立派な学校を寄付出来るまでになった・・・という涙無しでは語れぬエピソードを形にして表したものだとか。 そう思えば、スタート地点に立つカメの上(ゴール)を見上げる首の反り具合が、強固な意志を示しているようにも見えます(笑)。 どこぞの口ばかりの亀と違って、黙して語らぬその姿勢には好感が持てますね(亀ファンの方ごめんなさい)。  滋賀県豊郷町石畑518  07年11月下旬

 ※その2では講堂と図書館を取り上げる予定です。 編集もう暫くお待ちくださいませ。
  写真が一部大きくなります。 
  

旧朽木郵便局

2007-12-14 00:00:00 |  滋賀県



 ヴォーリズ設計の旧郵便局舎(昭和13年築 1938)。 高島市といっても旧朽木(くつき)村に位置しますので結構な山の方になります。 建物は和洋折衷式で玄関周りを除けば非常に簡素なデザイン。 1階部分にタイルが貼られていますが、貼ってある所がそれほど高い位置までではないので、重厚感を狙ってというよりは外観に変化を見せる為のアクセントとして使用したのでしょうか。 『ヴォーリズの建築』では昭和11年築となっています。  滋賀県高島市朽木市場  07年11月下旬

宍道湖の洋館

2007-12-13 00:00:00 | 島根・鳥取


 恐らく祥雲閣(旧山本権七氏別邸洋館 大正5年築 1916)ではないでしょうか。 樹木に阻まれ正面からは建物の確認が出来ず、宍道湖沿いに回り込んでようやくその姿を拝める事が出来ましたが、御覧の通りかなり荒廃しているようでした。 こうなってしまうと再生は厳しいかも知れませんね。  ところで山本権七氏というのは一畑グループ(一畑電気鉄道ほか)の社長を務めた方と同じ人物でしょうか?  ただの同姓同名かもしれませんが・・・  島根県松江市  05年09月下旬 

 ※10年05月再訪しましたがアパートに建て替わっており現存していません。

日本基督教団 大津教会・愛光幼稚園

2007-12-11 18:14:51 |  滋賀県




 大津市内に残るヴォーリズ建築事務所設計の教会で幼稚園を併設しています(昭和3年築 1928)。 見たところ窓枠や扉、屋根瓦などは新しい物に変えられているようですが、塔屋などに見られるエッセンスはいかにもヴォーリズといった感じ。 全体的な雰囲気としては以前に紹介した静岡のマッケンジー邸(昭和15年築)に似ていると思いました。 南に面した幼稚園1階部分は中央が張り出していて3方向から日光を取り込めるような造形。 ここを訪問したのは14時過ぎとはいえ、冬の日差しは弱くて写真は寒々しく写りますが、この中で遊ぶ子供たちは差し込む光の恩恵を受けて気持ちよく過ごす事が出来そうですね。  滋賀県大津市末広町6-6  07年11月下旬

 ※現役の教会・幼稚園です。 見学の際はご配慮願います。 写真が一部大きくなります。