島会館

2012-10-04 17:43:30 | 富山・福井


 東京で「三秀社」という印刷会社を経営していた島連太郎の寄付によって建てられた図書館建築(昭和11年築・1936)。 世阿弥(ぜあみ)作の謡曲「花筐」(はながたみ)ゆかりの地として名付けられた花筐(かきょう)公園の南側に位置し、当初は粟田部町立・花筐文庫として建てられました。 昭和58(1983)年に今立町(昭和31年に粟田部町から名称変更)の新図書館が完成した後は地区の集会所や町役場の保管庫として利用されてきたそうです。  福井県越前市粟田部  12年09月中旬

 ※参考『福井県の近代化遺産』 1999



 左がRC造の書庫で右が木造平屋の閲覧室。 


 2つの建物は渡り廊下で繋がります。




  

 以前は玄関前に樹木が立っていましたが、それが無くなって随分スッキリとした印象になりました。


 玄関扉は鉄製の頑丈なもの。


 西面の2階部分に窓はありません。


 北西から見ると屋上がある事が分かります。


 カーテンウォールになってる階段室。 玄関上の庇は扇形にせり出す。


 錆色に染まるスチールサッシが美しい。


 昭和モダンという言葉がピッタリと当てはまる建物。 保存問題があるようなのがちょっと心配です。

山本医院

2012-09-21 07:29:16 | 富山・福井


 鯖江の市街地から東に4~5キロ、磯部町の道路沿いに建つピンク色の洋館医院。 福井県の近代化遺産調査では大正12(1923)年の建築、恐らく現役の医院ではないものと思われますが建物の傷みも少なく大切にされてる様子がうかがえます。  福井県鯖江市磯部町  12年09月中旬



 寄棟造の玄関ポーチ。


 「∧本(山本)」の銘が入った特注の瓦です。
 

 玄関ポーチの上にも同じく「∧本」。


 2階の窓の下部が1階の屋根にかかっています。 内部は畳敷きの和室になっていて掃出し窓のようになっているのか、それともこの1階の張り出し部分は後の増築なのでしょうか?


 木製の建具がいい感じです。




 事前のネット検索ではヒットしなかったので期待してませんでしたが、こんな大物が残っていようとは。 まだまだ全国各地にはお宝物件が眠っているのかも知れませんね。 

竹内源造記念館

2012-07-12 20:56:00 | 富山・福井


 「射水市」という馴染みのない響きは平成17(2005)年に新湊市と近隣4町村の合併で発足した新しい市名でした。 北陸本線・小杉駅の東側にあり、下条川を背にしたこの建物は昭和9(1934)年に建てられたかつての小杉町役場。 現在は小杉出身の左官職人・竹内源造の作品などを展示する記念館に転用されています。  富山県射水市(小杉町)戸破2289-1  08年06月初旬



 塔屋は時報用サイレンの吹鳴台。 屋根は瓦葺きですが破風の上だけは銅板葺き。


 破風にあるこの漆喰装飾は竹内源造の作品。 アカンサスのようです。
 



 記念館の内部。 役場の後は町立図書館として使われていた時期もあるそう。


 さり気無いディテールに目が奪われる。


 2階へ上がってきました。


 

 元の町議会議場。 源造の作品が飾られています。 


 日の丸を手にした恵比寿さん。 顔の色が落ちてちょっと不気味。。


 波乗り亀さん。 表情がユーモラスですね。


 鶴と雲。 これらの作品は実際に全て建物に飾られていたものです。


 唐獅子牡丹。 上関町(山口県)の四階楼にもこんな鏝絵があったっけ。


 大黒様。 これは源造の生家にあったもの。


 議場の正面。


 見上げた照明の基部。


 ここにも源造の作品が。


 今にも飛び出してきそうな鳳凰の勇ましい(微笑ましい?)姿。


 小鳥達のさえずりも聞こえてきそうです。


 他にも作品は飾られていますが取り敢えずここまで。


 畳敷きの部屋があるのは昭和34(1959)年に南東側に増築された部分。


 上ってきたのとは違う階段です。




 1階に戻ってきました。


 昔の写真。 全面とも下見板張りで尖頭アーチの玄関ポーチがあった事が分かります。 左手の増築部分も無くて随分スッキリ。 


 20年以上も前、春の選抜高校野球で新湊高校が旋風を巻き起こした時から「新湊」という名前が脳裏に刻まれていました。 歴史ある地名が無くなってしまったのはちょっと残念です。

高橋医院

2011-11-21 19:08:18 | 富山・福井


 明治41(1908)年完成の洋館医院。 施主は医学校を卒業後しばらく勤務していた東京・順天堂医院のイメージを取り入れた建物を希望し、隣の上市町の大工を実際に東京まで見物に行かせてこの医院を建てたと伝わります。 中央に2階建ての本館を置いて左手には平屋の病室、庭木に遮られて見えませんが右手に和風の住宅を備えた規模の大きな個人医院となっています。  富山県滑川市小林  08年06月下旬

 ※参考 『明治・大正期 富山県の建築』 1982  内部写真が載っています。 





 入院施設が無いかベッドの数が19床以下だと医院で、20床以上だと病院と定義されるみたい(豆知識)。


 昔の写真を見ると玄関扉は大きなガラスの入ったものでしたので、扉自体は取り換えられています。


 2階の窓はペディメント付き。 淡いピンクの外壁にグリーン系の窓枠がオシャレ。


 内部写真を見ると玄関入ってすぐの待合室は畳敷きで、右にレントゲン室があって左に診察室があるみたい。 壁には腰板が張られていて天井も凄く高そうです。


 単純に計算して今年(2011年)で103才。 一世紀分の風雪に耐えてきた重みを感じずにいられません。

旧京都電燈 高浜営業店

2010-11-16 07:12:12 | 富山・福井


 若狭高浜駅から真っすぐ北に向かって歩いて行くと左手に見えてくるこの建物は、昭和6(1931)年に京都電燈の高浜営業店として建てられたもの。 昭和51(1976)年までは関西電力の営業店として使用され、その後は高浜町の観光協会事務所(?)になっているようです。 道路に面した1階部分を少し前に張り出して上部にバルコニーを構築、その正面部分には左官による見事なモルタル装飾を施して洋風建築である事を強調していました。  福井県高浜町宮崎73-5-2  08年07月中旬







 個人的に苦手な真正面からのショット。 やっぱり建物が傾く。。。




 この通用口や庇を見る限り当初から左右に建物は無かったみたい。 意図的に正面部分のみを飾っているようです。


 2階のアーチ窓がひとつ埋められている理由は不明です。

富山銀行本店

2010-07-30 19:09:12 | 富山・福井

 
 土蔵造りの町屋と洋風意匠を纏った近代建築が混在する高岡の街並みで、威風堂々とたたずむ赤レンガのこの建物は大正3(1914)年に高岡共立銀行の本店として清水組技師長だった田辺淳吉の設計、清水組の施工により建てられもの。 古い資料を読むと辰野金吾の設計もしくは監修となっているものが多いのですが、比較的に新しい資料では辰野の関与は薄い(もしくは無い)となっているものも見受けられます。 どちらが正しいのか真相は私には分かりませんが、少なくとも田辺は第一銀行京都支店(明治39年 1906)では辰野をサポートしていた経験があるようなので、直接的な関与は無くても間接的な影響や関与があった事は想像に難くありません。  富山県高岡市守山町22  10年06月中旬他

 ※高岡支店から本店に訂正致しました。 ご指摘ありがとうございました。



 尖塔を持った塔屋が左右に並び立つ。


 現代の基準では間口は狭いように感じますが、造りは半端ではありません。


 屋根は銅板葺き。 美しさが引き立ちます。




 1階と2階でぺディメントは違う形。


 長年の風雪に耐えうる力強さ。


 御馬出町・木船町・風呂屋町・旅籠町・千木屋町・源平町・・・等々、この界隈には趣ある町名が多いのも良い感じです。

富山第一銀行本店

2010-06-19 07:20:31 | 富山・福井



 典型的な戦前の銀行建築といった感じで立派なオーダーを配したこの建物は、意外にも(?)戦後の建築。 「無尽館」と呼ばれていた昭和21(1946)年築の木造社屋の前半分を取り壊し、佐藤工業の設計・施工でRC部分を増築して完成させたものでした(昭和26年築 1951)。 何でも先代社長(当時)の希望で東京の第一銀行本店(昭和5年築 設計・西村好時)を模して設計し、建設に使用した石材量は当時の北陸では一番であったそう。 本家・東京の第一銀行本店はもう現存していませんが、北陸・富山に生き写しのようなこの建物が残っているというは元の建物の素晴らしさを再認識させるものですね。  富山県富山市総曲輪2-2-8  08年06月下旬

 ※参考 『富山県の近代化遺産』  1996

今庄公民館

2009-12-14 07:14:57 | 富山・福井





 旧昭和会館(昭和8年築もしくは昭和5年築、1933もしくは1930)。 荒物商の息子から身を起こして財を成し、木炭業や各種会社経営、県会議員や村長を務めた田中和吉の寄付によって建設。 彼は「50歳以上は社会に恩返しする」という決意のもと、財産のほとんどを社会教育に費やしました。
 建物はRC造の3階建て、1階部分は半地下のようになっているのでボリューム感のある2階建てのようにも見えます。 後年の改装により装飾的要素の多くは取り除かれてしまったようですが、玄関ポーチのねじり柱や簡略化された柱頭、時計の両側に飾られた付け柱などにその名残を見つける事が出来ます。  福井県南越前町(旧今庄町)今庄75-6  08年07月中旬


 ※おまけ  公民館のすぐ近くにある旧沢崎医院(昭和3年築 1928)。 誰も住んでいらっしゃらないようで玄関に外から板が打ちつけてあります。 今後が心配な状況です。


長谷川医院

2009-12-07 18:55:17 | 富山・福井




 明治42(1909)年築という事で、今からちょうど100年前の建物。 元々は当地より西にあった新横江村(現・鯖江市)に建てられていた越前電気の事務所でしたが、昭和9(1934)年に競売に出されたものを競争入札により落札し移築してきたそうです。 病院に転用するにあたって、当初は2棟の平屋建てだった建物を2階建てに改修。 手の込んだ透かし彫りの入った玄関ポーチも建設当初からのものですが、平屋建てよりも2階建てになって却ってバランス的に良くなったそうです。 写真が切れている後方部分にも平屋建ての棟が連なっており、個人病院の規模としてはかなり大きな部類ですが、現役で使用されているだけにメンテナンスも良好で好感が持てました。  福井県越前市(旧今立町)野岡町  08年07月中旬

 ※現役の医院です。 見学の際はご配慮願います。
  参考 『福井県の近代化遺産』  1999

砺波郷土資料館

2009-09-26 07:35:57 | 富山・福井








 入母屋土蔵造りのこの建物は中越銀行本店として明治42(1909)年に完成したもの。 昭和18(1943)年に一県一行の国策により十二銀行などと合併して北陸銀行となり、同行の出町支店(後に砺波支店)となっていましたが、出町地区の区画整理事業によって解体の危機に直面し、昭和53(1978)年に現在地に移築保存される事になりました。
 
 現在は外壁に薄茶のタイルが貼られ軽さも見せていますが、建設当初は黒漆喰塗り(江戸黒)の大変重厚なもので今とはまた違った様相をしていたそうです。 ところが外観のイメージから内部に入ってみれば印象はもっと違うものになり、吹き抜けを持った洋風な空間が広がっているのにはただ驚かされます。 2階の回廊部分には上がれませんでしたが、欅(ケヤキ)のカウンターや優美な曲線を描く螺旋階段、天井に貼られた金唐革紙や玄関入り口部分の漆喰細工など見所は十二分。 高岡商工会議所(旧伏木銀行)町民文化館(旧金沢貯蓄銀行)もそうでしたが、外観だけで建物見学の取捨を決めるとこういう建物は見逃してしまいます。  富山県砺波市花園町1-32 チューリップ公園内  08年06月上旬他

旧右近権左衛門邸(北前船主の館)

2009-03-25 20:53:02 | 富山・福井



















 空と海が混じり合い、境目の無くなった青を見渡すこの洋館は、北前船主・右近家の離れとして昭和10(1935)年に建てられたものです。 和風の本宅が建つ後側、山肌の中腹にあり、下から見上げると山小屋のようにも見えた建物は、1階がスパニッシュで2階がシャレー風の組み合わせ。 内部に目をやれば玄関や暖炉のグリル、床や壁にちりばめられたタイルには濃密な意匠が施され、階段室のステンドグラスには右近家の店印である一膳箸をマストに掲げた南蛮船の図柄も刻まれています。 一説にはヴォーリズの設計とも云われる(実際には大林組の設計・施工で確定的)建物は勿論素晴らしいのですが、この建物で一番強く印象に残ったのは窓の外に広がる日本海の海の色。 長く続いた北前舟の時代は明治に入り翳りを見せ始め、いち早く近代船主へと脱皮した右近家は、この洋館が完成した頃には既に海上船舶保険業などに転身し成功を収めていたと云います。 それでもなお切っても切れない海との関係を、この窓越しでの対話という形で無意識の中で続けていたような気がしました。  福井県南越前町河野2-15  08年07月中旬

 ※参考  『日本の洋館  明治編Ⅰ』  2002
      『近代化遺産探訪』  2007

南条ふるさと資料館 国華

2009-01-15 18:51:00 | 富山・福井




 かつての国華小学校の一部を移築して建てられた資料館(大正11年築? 1922?)。 玄関と後ろの本体部とでは違う建物だったようですが、腰部分に同じタイルを用いて統一感を持たせています。 雪に対する備えなのか、玄関ポーチは大きくて頑丈そうな造りになっていますね。  福井県南越前町(旧南条町)脇本17-38-1  08年07月中旬  

旧動物検疫所敦賀出張所

2008-10-24 07:09:44 | 富山・福井



 敦賀出身の実業家であった二代目・大和田荘七(1857~1947)による朝鮮牛の輸入計画の為に設置された建物(大正5年築 1916)。 現在はGWと夏季のみキャンプ場の管理事務所となっているらしく、この時はフェンス越しに眺めただけでしたが、長年の潮風にやられて外装はかなり傷んでおり痛々しいです。 特に保存に関する動きも無いようですが、明治32(1899)年に開港場に指定され、大陸への表玄関だった敦賀の繁栄の歴史は、こういう建物にこそ刻まれていると思うのですが。  福井県敦賀市縄間44  08年07月中旬

 ※10年12月追記 今月から解体されるという情報です。

富山県立福野高等学校巌浄閣

2008-10-16 07:08:35 | 富山・福井




 旧富山県立農学校本館(明治36年築 1903)。 宮大工であった藤井助之丞の設計・施工で建てられ、明治42(1909)年には皇太子(後の大正天皇)の行啓時の御座所にもなったという由緒歴史ある建物です。 校舎全面改築に伴って昭和43(1968)年に現在地に移転・修復され、当時の吉田実県知事によって「巌浄閣(がんじょうかく)」と名付けられました。 国の重要文化財。
 
 発色の良いピンク色のペンキが結構刺激的ですが、正面中央に凝縮された装飾の数々も立派なものです。 玄関上のファンライトやペディメント付きの2階窓、屋根に載っかる半円頭の破風(?)など、当時の大工棟梁の技量が遺憾なく発揮された重要文化財の名に恥じない素晴らしい建物でした。 福野高校の敷地内にあります。  富山県南砺市(なんとし 旧福野町)苗島443  08年06月上旬


 ※写真が一部大きくなります。
  参考 『日本列島西洋館の旅』 2000年

旧宮島村役場

2008-09-21 10:04:50 | 富山・福井




 大正15(1926)年築。 むくりのついたマンサード屋根と半円形のブロークンペディメントが可愛らしい建物。 昭和61(1986)年に現在地に移築され個人邸兼アトリエとして使われており、敷地内にはソーラーパネルや風車などが設置されているので、家主はエコな生活を心掛けて実践しているように見えます。 去年の近代化遺産全国一斉公開2007で特別公開されていたようなので、今年も公開されるようなら見に行きたい建物です。  富山県小矢部市芹川  08年06月上旬

 ※ 個人邸ですので見学の際は十分に配慮願います。