大和田医院

2010-04-15 07:12:42 | 南とうほく (宮城・山形・福島)


 昭和初期築の個人医院。 既に営業はしてないようです。 いわき駅前の刷新されつつある街並みの中では、この建物もいずれは駆逐されていくのでしょうか。  福島県いわき市平南町  10年04月上旬


 エントランス。 上部には波頭のような模様が。


 古典的な装飾ですが端々に自由な表現を感じさせるデザイン。 設計・施工は三森己代松という人物。




 緑青色と灰色の対比が美しい。




 診察はもうお終い。 


 

 隣のビジネスホテルの無機質な壁面が覆い被さる。

旧大越娯楽場

2010-04-14 07:14:43 | 南とうほく (宮城・山形・福島)





 大正15(1926)年築。 現地説明板によると施主は繭生産組合、主に繭や煙草の共同集出荷場に使用され、農閑期には村民の為の娯楽施設として映画や演劇等に使用されたとあります。 両サイドの切妻屋根と真ん中の破風が織りなす3つの三角形が、記憶の中にその印象的な姿を克明に焼き付けてくるように感じます。 設計・今和次郎。  福島県田村市大越町上大越町1  10年04月中旬

旧三凾座

2010-04-13 07:06:58 | 南とうほく (宮城・山形・福島)





 明治30年代に建てられたという芝居小屋。 三凾と書いて「みはこ」と読みます。 戦後は主に映画館として使われてきましたが昭和57(1982)年に閉館し、今は小さな路地の奥に大きな体を窮屈そうに押し屈めてひっそりとしています。  福島県いわき市常磐湯本町三函(さはこ)164-1  10年04月中旬



旧御園村役場

2010-04-10 07:00:00 |  滋賀県





 旧御園郵便局を探していて見つけた建物。 これがそうだと思って近づいたら玄関脇に「かきみその役場」と看板が掛かっていて違う事に気付きました。 帰宅して調べてみたら明治41(1908)年築の旧村役場という事が分かり、まちづくりの活動拠点としてごく最近に改修され活用されるようになった事も知りました。 建物は和洋折衷で玄関ポーチは入母屋屋根の重厚感ある造り、1階の窓の上にはペディメント風の装飾もあって外壁はペンキも塗られていない素朴な風合いが特徴になっています。  滋賀県東近江市林田町1223-15  10年03月下旬

 
 ※おまけ こちらが本来の目的だった旧御園郵便局(昭和9年築 1934)と思われる建物。 旧村役場の斜向かいの辺り、現在は個人邸となっています。

旧石井歯科医院

2010-04-09 07:08:25 | 埼玉・千葉




 館山で見つけた小さな歯科医院。 詳細は不明ですがこのエリアの他の近代建築の年代から推定すると、大正末から昭和初期頃に建てられたものではないでしょうか。 ちっぽけでも患者に落ち着きや安らぎを与える、そんな診察空間を演出してくれそうです。  千葉県館山市北条  07年01月上旬他

 ※追記 関東大震災(大正12年)直後に建てられたものとの資料がありました。


 ※おまけ 同じ区域にある小原歯科医院。 大正13(1924)年に建てられたという現役の歯科医院です。 規模や雰囲気が石井歯科と似ています。  

旧橋本歯科医院

2010-04-08 07:11:15 | 埼玉・千葉




 大正~昭和頃に建てられたという個人医院。 裏手に居住用と思われる和館が接続していますが、もうこの建物には人の住む気配は感じられません。 先日2年ぶりに訪問しましたが外壁のヒビ割れ・剥離が進行していて、老朽化は加速度を増しています。  千葉県鴨川市  08年03月上旬他


カトリック新潟教会

2010-04-07 07:11:59 | 山梨・新潟





 スイス人建築家、マックス・ヒンデルの設計により昭和2(1927)年に完成した教会。 正面に聳える双塔(鐘塔)のうち鐘のある頂部まで上がる事が出来るのは向かって左側の南塔のみだそうです。 訪れた人々を招き入れるキリスト像の表情は慈しみに溢れています。  新潟県新潟市中央区東大畑通1-656  07年06月中旬他

 ※おまけ 教会の裏手には幾つかの古そうな建物が連なっていました。 文献によると大正後期から昭和初期にかけて付属施設が7つほど建てられたようなので、それらかも知れません。

 司教館。


 屋根窓の並ぶ建物。



 みその保育園。 猫耳付き。


茶房 銀のポスト

2010-04-06 07:08:52 |  長野県





 昭和12(1937)年築の旧蓼科郵便局。 昭和52(1977)年に現局が西隣に建てられた為、現在は喫茶店として使用されています。 右手にお座敷が続いているのが他では見ない面白い構造で、どうやら建設当初からのもののようです。  長野県茅野市北山蓼科4035  09年11月上旬他

 ※参考 『信州の近代遺産』  2006

明治の学舎と太鼓堂

2010-04-03 21:09:30 |  滋賀県


 偶然入り込んだ江頭の街角で見つけた建物。 見つけた時は昔の役場の建物かと思いましたが、説明看板には明治10(1877)年築の旧至誠学校と説明されていました。 初めて聞く名前で全く知らなかったのと、こんなに古い学校が残っていたのに少々驚きです。 まだまだ知らない建物はあるものですね。  滋賀県近江八幡市江頭町  10年03月下旬



 むくりの付いた玄関ポーチ。 


 2階のベランダの処理の仕方は手慣れていない感じ。


 向かいにある太鼓堂。  ※訂正しました。


 


 今回は時間が本当に無くて細部写真まで撮っていません。 資料も何も無いので説明看板をそのまま公開。。。

旧露亜銀行横浜支店

2010-04-02 07:04:42 |  神奈川県


 露清銀行(露)とバンク・デュ・ノール(仏)が合併して誕生した露亜(ロシア・アジア)銀行の新しい横浜支店として大正10(1921)年頃に竣工したのがこの建物。 設計者は英国人のバーナード・M・ウォードといい、ロシア・フランス・イギリスという国際色豊かな組み合わせが、この建物の持つどこかエキゾチックな魅力の源になっているような気がします。 銀行としての役割を終えた後はドイツ領事館~横浜入国管理事務所~警友病院別館として使われてきましたが、現在は閉鎖されて10年以上も空家になっています。 大理石製の手すりを備えた大きな階段や関東大震災を耐え抜いた太い柱が内部の見所のようですが、現在の所有者である神奈川県(?)の活用策が決まらない限りはそれらを拝めそうもありません。  神奈川県横浜市中区山下町51-2  06年12月下旬他

 ※参考 『残照 神奈川の近代建築』 1982
      『ヨコハマ建築慕情』 1991





 正面玄関のマーク。


 オーダーは古典的。


 ここも古典的な様式。


 この窓周りはちょっと違う様相。








 この建物に明かりが灯るのはいつの事になるのでしょうか。


 ※追記 2011年8月完成を目指して保存・改修工事が始まっています。 完成後は結婚式場として活用されるとの事。

主の居ない家

2010-04-01 07:11:20 | 京都・兵庫


 完成直前に施主が急死し、その葬儀のみ盛大に行われた後は無人のまま現在に至っているという建物(安藤家洋館 大正7年築?・1918?)。  兵庫県明石市大久保町  10年03月下旬

 ※参考 『近代の歴史遺産をたずねて』  2006



 山陽道沿い。 「明治天皇大久保御小休所建物」の石標が建つ。


 建物は総石造り2階建て。 1階部分はルスティカ積みのようにも見えました。 


 施主は大久保宿の本陣を営んだ家柄。 飽きたらず東京に出て海運業で成功、国会議員にまでのぼり詰める。


 冬場にしか見えないデザイン。 庭木は荒れ放題。


 政界を引退した後は神戸・奥平野の広大な屋敷に住まうが、望郷の念が募ったか、故郷の地にこの洋館を建設し始めた。


 ドーマーのアップ。 屋根の痛みも激しい。


 設計は※加護谷祐太郎。 東大寺大仏殿の改修にも当たった人物だという。  ※訂正しました。


 右手の和風建築は明治天皇が明治18(1885)年に休息された書院。


 洋館建設と同時に由緒あるこの書院もここに移築してきたそう。


 想いは実らず。 その無念さはこの建物の現況が全てを物語る。