明治12(1879)年に弘前市本町に設置された第五十九国立銀行が、株式会社に改組した後、同37(1904)年に現在地に移転した時に新築した建物。 昭和18(1943)年に県内5行の合併により青森銀行が誕生するとその弘前支店として使用され、その後、支店店舗改築に際して取り壊される予定でしたが地元からの保存要請もあり、同40(1965)年に建物を90度回転して西側に50メートル曳家、青森銀行記念館として保存・公開されるに至りました。 青森県弘前市元長町26 07年04月下旬他
※参考『総覧 日本の建築 第1巻/北海道・東北』 1986
『青森県の暮らしと建築の近代化に寄与した人々』 2007
『棟梁 堀江佐吉伝』 1997
総工費6万7千7百余円(当時)、設計・施工は堀江佐吉(1845~1907)によるルネッサンス様式の木造建築。 柱などは全て県内産のケヤキ材を使い、建具にはヒバ材を使用しているという。
平面はL字型、窓に土を漆喰で固めた引戸を二重に取り付けるなど防火対策にも余念がない。 堀江佐吉59歳、若かりし頃に函館へ出稼ぎし西洋建築の基礎を学んだ彼の晩年の集大成ともいうべき代表作品。
展望台を兼ねた屋根窓。
カウンターで仕切られた客溜り部分へ。
昭和60(1985)年に修復・復元工事が行われているので内外とも綺麗です。
1階展示室。
シャンデリアは旧偕行社に取り付けてあった器具を参考にした複製品。
背面には小さな庭園もあります。
この金庫は旧第五十九銀行三本木支店で大正7(1918)年から使われていたもの。
丸柱の柱頭デザインはアカンサスみたい。 客溜り(白)と営業室(ラクダ色)で室内が塗り分けられているのも面白い。
特徴的な折曲がり階段。 復元されたもののようです。
振り返り。
踊り場からの風景。
右下の色が違う部分が復元された箇所なんでしょうか?
最初の小部屋に入ってみる。
フランスから輸入したという応接セットがありました。
こちらは隣りの小会議室。
天井には金唐革紙が貼られています。
大会議室は14.5メートル四方という文字通りの大空間で間に柱が一本も立っていない。 佐吉の腕の見せ所のひとつ。
ここにも金唐革紙。
ほのかな光に照らされて。
屋根裏への階段もありました。
こちらは公開されてません。
順路に従って大会議室を出ます。
足元へと視線を落す。
美しい。
室内なのに青空が広がっていた。
隣りの展示室には棟札も飾られています。
棟梁・堀江佐吉の銘が入るこの棟札も建物と同じく重要文化財指定。
そろそろと降りていく。
頭取室(非公開)へと続く廊下にはアーチが用いられている。
正面からの全景。
屋根には雪止めを兼ねて手すり壁が廻っている。
夜だと屋根が「消えて」また違った建物のようにも見えます。
工事中に日露戦争(1904~05)が勃発、戦時下の軍都・弘前で堀江家(堀江組)あげての一大工事であったという。