旧西田川郡役所

2006-10-31 07:02:03 | 南とうほく (宮城・山形・福島)



 明治14(1881)年築。 時の県令(県の長官)・三島通庸の命により着工され、明治天皇の東北御巡幸の際には行在所(あんざいしょ 天皇が宿泊した場所)となる。 塔屋には国内最古の塔時計がありましたが、強風により振り子がたびたび停止する為取り外され、現在は同じ市内にある常念寺に移されています。 昭和47(1972)年に現在地に移築。  山形県鶴岡市家中新町10-18 致道博物館内  05年02月中旬他

雑司が谷旧宣教師館

2006-10-30 07:05:09 |  東京都





 明治40(1907)年に米人宣教師マッケーレブの自邸として建てられる。 明治25(1892)年に来日したマッケーレブは築地を皮切りに伝道を開始。 雑司が谷に移り住むと、以後この地を拠点に太平洋戦争開戦直前(昭和16年・1941)まで50年近く布教活動・慈善事業に尽力しました。 現在この建物は豊島区の所有となり無料で公開されています。 割竹が使われている天井は目に新しく、広く取られた大きな窓からはやわらかな陽光が差し込み非常に暖かみを感じる事が出来ました。  東京都豊島区雑司が谷1-25-5  05年03月中旬他

旧東田川郡会議事堂

2006-10-29 08:43:58 | 南とうほく (宮城・山形・福島)






 明治20(1887)年築? 明治36(1903)年に大改修を受けているようです。 内部は和洋折衷で一階が畳敷き(現在は図書館)、二階がかつての議事堂で洋風な造りとなっているのがおもしろいです。 現在のところ二階は明治ホールと呼ばれ、コンサートや各種の展示会場として利用されています。  山形県鶴岡市藤島山ノ前99  東田川文化記念館内  05年02月中旬

 ※08年08月中旬再訪。 写真の追加を行いました。

旧黒沢尻高等女学校

2006-10-28 07:59:39 | きた東北 (青森・秋田・岩手)



 昭和2(1927)年に現在の北上市鍛冶町に建てられたもの。 新校舎建設に伴い解体されることになりましたが、同窓会の働きかけにより昭和53(1978)年に北上市立博物館・みちのく民俗村内に移築・復元。 民俗資料館として活用されることになりました。  岩手県北上市橘14-59  05年10月上旬

山岡商山堂(山岡ビル)

2006-10-27 07:06:26 |  石川県



 現・山中片岡鶴太郎工藝館。 昭和7(1932)年築。 昭和6年の山中大火の後に建てられたもので、元々は漆器店の本社屋。 現在はギャラリー兼カフェとして芸術家?・片岡鶴太郎の作品の展示・販売が行われています(『プッツン5』の頃が懐かしい・・)。  石川県加賀市山中温泉湯の出町レ26-3  06年08月中旬

網走市立郷土博物館

2006-10-25 07:06:36 | 北海道 その他のエリア






 昭和11(1936)年に北見郷土館として建設され開館。 網走の自然や歴史についての展示がされており、特に熊や鹿など動物たちの剥製の展示がイイ味を出しています。 内部はステンドグラスのある階段踊り場からドームにつながる回り階段までが非常に印象的(ドームに登れないのは残念ですが)。 設計の田上義也(1899~1991)はフランク・ロイド・ライトに師事し、ヴァイオリンを片手に渡道、北海道建築のパイオニアとして活躍した人物です。  北海道網走市桂町1-1-3  06年05月上旬

原井小学校

2006-10-24 07:15:18 | 島根・鳥取



 旧女子師範学校代用附属小学校(昭和8年築 1933)。 度重なる水害により建物が著しく老朽化した為に学校は移転され、この秋この学び舎はついに姿を消すことになりました。 数多くの小学生たちを見送ったであろうドラえもんが手に持つ「さようなら」の言葉がいつまでも胸に残ります。  島根県浜田市片庭町86-3  05年09月下旬
 
 ※解体されました。

旧横浜正金銀行大連支店

2006-10-23 07:21:25 |  大連(中華人民共和国)




 現・中国銀行大連市分行。 妻木頼黄と満鉄技師の太田毅(1876~1911)の共同設計により1909(明治42)年に竣工。 大連賓館(旧大連ヤマトホテル)と中山(ちゅうざん)広場を挟んで向かい合っています。 太田毅は満州一の建築設計の腕前といわれた天才でしたが、病気療養の為に1910年に帰国し翌年死去。 わずか34年でその生涯に幕を下ろしました。  中華人民共和国遼寧省大連市  05年11月上旬  

神奈川県立歴史博物館

2006-10-22 08:27:18 |  神奈川県







 新規物件の散策に横浜へ行ってきました。 この建物は旧横浜正金銀行本店(明治37年築・1904)で、妻木頼黄(つまき・よりなか 1859~1916)の設計によるものです。 大正12(1923)年の関東大震災で屋上ドームと建物内部を焼失するも倒壊を免れ、猛火に追われ地下室に逃げ込んだ三百数十名が生き残った、というエピソードを持つ。 その後の横浜大空襲もくぐり抜け、激動の時代の生き証人としてその姿を今日まで留めています。  神奈川県横浜市中区南仲通5-60  06年10月下旬他

旧大湊ホテル

2006-10-19 07:01:16 | きた東北 (青森・秋田・岩手)






 
 大正8(1919)年築。 むつ市の開発・発展に多大の貢献をなした大湊興業。 その創設者・鈴木誠作の名をとった記念館として修復・復元中のようですが・・・ネットで検索しても情報があまり出てこないので詳しい状況が分かりません。 単に非公開なだけでしょうか。 ホテルの実際の運営は仙台ホテルが行い、セセッション様式の洒落たホテルは若い女性には憧れであり、ここで結婚式を挙げるのが夢であった時代があるそうです。 昭和60(1985)年に閉館。  青森県むつ市中央2-13  05年08月中旬

 ※11年08月中旬再訪。 写真の追加変更、本文に加筆修正を行いました。

高輪プリンスホテル貴賓館

2006-10-18 07:06:13 |  東京都







 旧竹田宮邸(明治43年築・1910)。 片山東熊(とうくま)設計の洋館で、品川駅から坂道を登った高台の上に鎮座しています。 結婚式場として利用することが出来るようです。  東京都港区高輪3-13  05年04月上旬他


 ※おまけ 


 こちらは同じ高輪にある旧木村春東邸(現・ターミナルラウンジ 明治末期築)。 屋根の感じが旧竹田宮邸に似ています。 現在は外国人と日本人の社交場、各種イベント会場として使われているそうです。


志免鉱業所竪坑櫓(しめこうぎょうしょ たてこうやぐら)

2006-10-17 07:01:14 | 福岡・長崎・佐賀



 昭和18(1943)年に完成。 志免炭鉱は国営の炭鉱として艦船用の石炭を産出していましたが、戦局の進展に伴う増産の要請に応えるべく炭鉱下層部の開発に着手。 地下430メートルの竪坑内まで石炭・坑夫の上げ下げを行ういわばエレベーター塔のような役割を果たすべく建てられました。 高さ53メートル(48あるいは52メートルなどの記述もあり)の櫓は莫大な予算を掛けられ、海軍仕様と言われるほど堅牢に作られたのです。 終戦後も採炭は続けられましたが、エネルギー政策の転換による石炭の需要の落ち込みにより昭和39(1964)年に閉山になりました。

 建設途中に打ち捨てられた廃ビルのような姿は圧倒的な存在感を漂わせ、蔦が絡まる様相は遺跡のような美しさを持ち合わせています。 老朽化によるコンクリートの剥離・落下の為フェンスに囲われ近づくことは出来ませんが、隣接地に福祉施設が出来て公園や駐車場が整備されました。 現在この建物は志免町の所有になっており、見守り保存という形で静かに時を刻みつづけています。  福岡県志免町志免  05年04月下旬

キャラハン邸

2006-10-16 07:07:15 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島




 布教の為に来日した米人宣教師、W・J・キャラハンにより中津市に建てられたアメリカ式住宅。 キャラハンの指導により日本人大工が建てたものと伝わります。 正確な建築年代は不明ですが、明治36(1903)年5月13日以前なのは確実なよう。 キャラハン離日(昭和10年・1935)後も宣教師館として使用され、その後も信者が買いとってその縁者が所有していましたが、昭和60(1985)年に無人となった後は荒廃の一途を辿っていたそうです。 解体話の浮上と共に地元の中津で保存の声が上がりましたが結局それは実現せず、現在は大分市にある日本文理大学内に移築復元されています。  大分県大分市一木 日本文理大学内  05年05月上旬他

 ※写真が一部大きくなります。