兜沼郷土資料室

2008-11-28 07:09:03 | 北海道 その他のエリア




 昭和9(1934)年築の旧兜沼郵便局。 ファサードの腰壁部分のツートン模様や赤い屋根、白く塗られた窓枠・玄関扉など、カラフルでとってもお洒落な建物です。 住宅(後ろの2階建て部分)を兼ねているとはいえ、町の規模と比しても非常に大きな建物なので少々驚かされます。  北海道豊富町兜沼(かぶとぬま)  06年05月上旬

恵林館

2008-11-27 07:11:50 | 北海道 その他のエリア



 旧下川営林署(昭和12年築 1937)。 3つ並んだ半円のドーマー窓が可愛らしい建物。 元営林署の建物だけに良い木材を使用しているのか(?)、時を経ても綺麗な状態を保っています。  北海道下川町緑町222-2  06年05月上旬

 ※写真が一部大きくなります。


 ※おまけ  こちらは旧営林署の近くにあった建物。 それほど古いものではないと思いますが、なんとなく載せておきます。




 お次は町役場の並びで見つけた個人邸。 通りに面した窓には板が打ち付けてあり、人が住んでる気配は感じられませんでした。




 最後に山田石材店。 正面破風には☆に「北」のマークが入っており、2階の窓下には消えかかった文字ですが、「下川北星○○女学校」という名称も読み取れます(○○は読み取れず)。 詳細不明ですが気になる建物です。


伊予鉄道 三津駅

2008-11-26 07:13:19 | 愛媛・香川



 昭和6(1931)年築? 一説には明治21(1888)年の開業当時の駅とも云われますが、現実的には昭和初期の築とするのが定説のようです。 ハーフティンバー、アールヌーヴォー風のエントランスが大変魅力的な駅舎でしたが、今年(08年)の8月に解体され現在は新駅を建設中。 名物駅舎がまたひとつ消えました。  愛媛県松山市三杉町  07年10月上旬

 ※写真が一部大きくなります。


 ※おまけ  たとえ三津駅が無くなっても、愛媛県内にはまだまだ木造駅舎は残っています。 こちらは同じ伊予鉄道の高浜駅(大正期?)。 松山の海の玄関口として三津浜港と覇権を争った高浜港に残る駅舎です。 三角のドーマーが特徴的な、伊予鉄道の終着駅。  松山市高浜町   





 最後に 伊予鉄道 松前駅(まさきえき 明治期?)。 上記2駅と比べると普通っぽいですが、こちらも立派な木造駅舎。  松前町



 
 訪問したのはこの3駅だけですが、この他にも幾つか木造駅舎は残っているようです。

東京中央郵便局

2008-11-25 19:45:30 |  東京都
 無駄な装飾を廃したモダニズム建築の秀作(昭和6年築 1931)。 地上200メートルという高層ビルへの建て替えが決定し、建物は既に囲われて空家の状態でした。 B.タウトやA.レーモンドも高く評価したというこの建物の姿を見る事が出来るのは、あとわずかな時間しか残されていません。  東京都千代田区丸の内2-7  08年11月23日ほか



 朝一番の静けさの中で。


 丸ビル・外部テラスより臨む。 時計の針は12時ジャストで止められたまま。 ※写真が大きくなります。


 逞しさも窺える。


 郵便局の前にあったポストの上には天使像。 窓に映るは赤煉瓦の東京駅。


 新丸ビル・外部テラスより。 この建物の通りを挟んだ右後ろの辺りでは、三菱一号館の赤煉瓦棟を復元中でした。

 
 三菱一号館。

旧大正屋呉服店

2008-11-24 19:52:33 | 岡山・広島・山口



 広島の平和記念公園に残る被爆建物。 元安橋を渡ったこの辺りはかつての繁華街・中島本町であり、この建物は対岸から移転してきた呉服店の新店舗として昭和4(1929)年に建設されました。 しかし戦局(第二次大戦)の激化に伴って経済の統制が進み、呉服店は閉鎖されて県燃料配給統制組合に接収された建物は燃料会館となりました。 そして昭和20(1945)年8月6日の原爆投下により、地下室を除いて建物は全焼。 爆心地から170メートル、およそ580メートル上空で炸裂した原爆の衝撃は、当日出勤していた37名のうち、たまたま地下室に下りていた1名を除いた全ての人の命を奪うという凄まじいものでした。 戦後、広島市に買収された建物は東部復興事務所となり、昭和57(1982)年にはレストハウスとして再整備されました。
 
 今や観光客の為の案内所や土産物店となっている建物には被爆時の痕跡は全く見当たりませんが、地下室だけは当時のまま保存されているそうです。 館内には欧米からと思われる観光客の姿も数多く見られましたが、この事を知っているのは日本人を含めていったいどれ程の人数なのでしょう・・・  広島県広島市中区中島町1-1  08年05月上旬

 ※参考 『ヒロシマをさがそう 原爆を見た建物』 2006  

 

若桜町歴史民俗資料館

2008-11-22 22:24:18 | 島根・鳥取




 旧山陰合同銀行若桜支店(明治40年築 1907)を移築復元したもの。 土蔵造りで内部も畳敷きの建物には洋風の要素はほぼ見当たりません。 銀行の建物ならば立派なカウンターくらいあっても良さそうなのですがそれもありません。 元々無いのか、それとも移築時に改修されたのか判断に悩むところです。  鳥取県若桜町屋堂羅31  06年11月上旬

津森内科医院

2008-11-21 00:00:00 | 島根・鳥取



 登録文化財に指定されている個人医院(昭和初期築 1926?)。 急勾配の屋根と棕櫚の木がとってもお似合いの建物です。 松江といってもここは中心部から外れた中海沿いの方なので、訪問しにくいのが難点です。  島根県松江市本庄町569-1  06年11月上旬

深田久弥 山の文化館

2008-11-20 00:00:00 |  石川県






 昭和50年代半ばまで絹織物が生産されていたという旧山長織物会社の洋風事務所棟(明治43年築 1910)。 今は役目を終え、地元・大聖寺出身で登山家であり文学者でもあった深田久弥(ふかだ きゅうや 1903~1971)の“ゆかり”の品々や、山岳資料などが集められた施設に転用されています。 シンボルでもある大銀杏の大木に守られて館内には涼やかな空気が流れ、ここが風の通り抜ける場所である事を肌で感じさせてくれていました。  石川県加賀市大聖寺番場町18ー2  06年08月中旬

 ※写真が一部大きくなります。

 
 ※おまけ  こちらは大正4(1915)年築の織田理髪店(旧大聖寺物産館)でしょうか? 改修が著しくて塔屋が無ければ古い建物には見えません。 『石川県の近代化遺産』では旧八十四銀行となっています。  大聖寺山田町



 
 お次はたまたま見つけた下見板の洋館。 旧郵便局風ですが詳細は不明です。 




 最後に 竹の浦館(旧瀬越小学校 昭和5年築 1930)。 廃校になった木造校舎を、NPO法人によって運営される地域交流施設に再生。 早朝でしたので外観だけ見学しました。  大聖寺瀬越町イ-19-1



祇園閣

2008-11-18 19:52:52 | 京都・兵庫



 明治の政商・大倉喜八郎(1837~1928)が、京都の町並みを見下ろす為に旧大倉家京都別邸内に建てた高楼(昭和2年築 1927)。 祇園祭の山鉾をモチーフにした建物を伊東忠太に設計させ、塔頂には喜八郎の幼名・鶴彦にちなんで鶴が載っています。 
 喜八郎は80歳を過ぎても妾との間に子をもうけたり、中国に大旅行したり、南アルプスの赤石岳に登山したりと、冒険心に満ちて生命力が溢れていた人物だったようです。 下界を見下ろすこの高楼から、次はどのような夢を見るつもりでいたのでしょうか。  京都府京都市東山区四条通大和大路東入祇園町南側594-1 大雲院内  08年11月上旬

 ※参考 『京都の近代化遺産』 2007
     『近代建築再見』 生き続ける街角の主役たち 上巻 2002 

小林酒造

2008-11-16 19:26:20 | 北海道 その他のエリア
 銘酒「北の錦」の酒造元であり、創業明治11(1878)年の小林酒造の敷地内には、煉瓦や石造の蔵が数多く建ち並んでいました。 新潟県出雲崎出身のもと廻船問屋だったという同家は、当初札幌で酒造を開始しましたが、生産販路の拡張と共に明治34(1901)年に現在の栗山町に移転してきたそうです。  北海道栗山町錦3-109  06年04月下旬

 北の錦記念館
 旧小林酒造事務所(昭和19年築 1944)。 小樽の銀行をモデルに設計されたという建物。 酒器のコレクションなどが展示されており、お酒の購入や試飲も出来ます。 2階には終戦後にGHQが駐留し簡易裁判を行ったという応接間もありました。




 隣接する煉瓦の建物は酒蔵への入口になっています。 個々の建物については良く分かりませんが、明治33(1900)年から大正11(1922)年頃までに建てられた倉庫などです。 旧石灰式ボイラー(潜水艦みたい。。)やトロッコのレールも見えますね。






 こちらの和風の建物は小林家の本宅(明治33年築 1900)。 ひとりで酒蔵をプラプラ見学していたら、ちょうど庭掃除をしている品の良さそうな老婦人に声を掛けられました。 どうやら小林家の奥様だったようで、私が東京から来たと告げると中に入ってお茶を飲んでいくように勧められましたが、時間もあまり無かったので(本当に)丁重にお断りする事に。 後日、『日本タイル博物誌』を見て知ったのですが、こちらのお宅のトイレの床及び腰壁には6種類のマジョリカ・タイルが貼られ、窓には赤と緑の板ガラスが使われているという物凄いものでした。 まさかこの建物に・・・といった感じで千載一遇の見学チャンスを逃してしまったですが、後の祭りですね。 一期一会という言葉の重みを知りました。。。 

 ※立ち入り不可なのでご注意!
  



 元役員住宅
 昭和元(1926)年もしくは昭和3(1928)年築。 内部は和風のようです。




 さらに奥にはこんな煉瓦の建物も。 多目的ホールやレストランのようでした。






 最後に昭和37(1962)年築の旧社宅。 見学者のトイレ及び杜氏(とうじ)の簡易な資料室に転用されています。


旧小出医院

2008-11-14 07:13:13 | 京都・兵庫




 大正7(1918)年築。 地域の医療を支え続けた建物も今は静寂の中に立ちすくむのみ。 役目を終えた建物を見ていると、時に切なさを感じる時があります。  兵庫県養父市八鹿町伊佐  08年10月中旬

 ※現在は個人邸です。 見学の際はご配慮願います。
  
 ※追記 『兵庫県の近代化遺産』によると、施主は医学を修め東京帝国大学を卒業、父親の体調不良により帰郷して跡を継ぎました。 この建物は地元の大工を東京に使わして東京帝国大学の付属病院を実見させて建てたそうです。 

松阪工業高校資料館

2008-11-13 18:53:30 |  三重県



 旧三重県立工業学校製図室(明治41年築 1908、校門は大正4年築)。 朱色の下見板が目を引きますが、これは当時は実験に使用する硫化水素の影響によって建物の外壁が黒くなると考えられていた為、変色しないように朱(硫化水銀)で塗ったもの。 この色のお陰で同校は、創立早々から「赤壁」という愛称で呼ばれていたそうです。 建物は大正5(1916)年から10(1921)年にかけて西側に増築がなされており、建設当初の建物は東側の部分だけのようです。  三重県松阪市殿町1417  05年12月下旬 


 ※おまけ  こちらは 松阪市立歴史民俗資料館(旧飯南郡図書館)本館と倉庫(共に明治45年築 1912)。 明治43年に当時の皇太子殿下(大正天皇)の御旅行記念として建設を計画されたもので、物の本には、日本風の細部を持った洋風建築と説明があります。  松阪市殿町 松阪城跡のすぐ近く(敷地内?)
 



 ※おまけ その2  これは松阪市文化財センター(旧カネボウ綿糸松阪工場綿糸倉庫)。 大正12(1923)年築のレンガ倉庫で、現在はギャラリーとして活用されています。  松阪市外五曲町1番地
    



国立天文台 その2  

2008-11-12 07:19:51 |  東京都
 
 今年の春先に三鷹の国立天文台に再訪したら公開エリアが広がっており、今まで見られなかった建物も見学できるようになっていました。 前回の様子はコチラ。 今回は新規物件のご紹介です。  08年03月上旬

 旧図書庫
 昭和5(1930)年築。 名称の通り、図書資料の保管をしていた建物。 丸窓や外壁に貼られたスクラッチタイルがいかにも昭和初期といったところです。 外観のみ公開。





 レプソルド子午儀室
 大正14(1925)年築。 1880年ドイツ製のレプソルド子午儀(大子午儀)によって月や惑星、主要な小惑星の赤経観測が行われていた建物。 柱の頭部や入口のひさし部分にセセッションの直線模様が使われているそうです。 いくつかの観測機器が展示され、ガラス越しに内部が見られます。






 ゴーチェ子午環
 大正13(1924)年築。 白のドームが美しく印象的な建物。 子午環とは天体の位置を精密に観測する為に工夫された望遠鏡(写真右上)の事。 ここにあるのは1903年フランス製で、大正12(1923)年の関東大震災の時は、ちょうど天文台が麻布から三鷹に移る作業中で梱包されていた事から被害を免れたものだとか。







 自動光電子午環
 これは昭和57(1982)年築の建物。 ゴーチェ子午環同様、天体の精密位置観測に使っていた観測施設。 内部も公開されています。




 最後のこれは子午線標? 何をする為の施設か私には分かりません。。。 


記念艦 三笠

2008-11-11 18:37:26 |  神奈川県











 日露戦争における日本海海戦(明治38年 1905)において、東郷平八郎司令長官が乗艦指揮した連合艦隊の旗艦。 常に連合艦隊の先頭に立って敵艦の集中砲火を浴びるも、当時の最新鋭艦(竣工 1902年)で装甲の厚かった三笠はこれに耐え、100名以上の死傷者を出しながらもバルチック艦隊を壊滅させる圧倒的な勝利に貢献しました。 
 大正15(1926)年に記念艦として保存されることになり、敗戦により一時期荒廃する事もありましたが、現在は旧状に復元されて三笠公園内に固定されています。  神奈川県横須賀市稲岡町  06年03月下旬

旧福沢小学校

2008-11-10 19:38:52 |  神奈川県







 小さな机、木の香り。 作法室というのでしょうか、畳敷きの部屋で行われていた礼儀作法の躾(しつけ)の様子が見えてくるかのような可愛らしい学び舎です。  昭和8(1933)年築、昭和62(1987)年移築。  神奈川県南足柄市広町1544 足柄森林公園 丸太の森内  08年03月上旬