旧仁科家住宅

2010-06-22 18:48:18 | 山梨・新潟


 かつて織物の街として栄え、甲斐絹の集散地であった都留市に残る絹問屋の建物(大正5~10年築 1916~1921)。 現在は都留市商家資料館として一般に公開されています。  山梨県都留市上谷3-1-20  09年02月中旬他



 国道139号沿い。 土蔵造りのこの建物は郡内織物会社(絹織物の仲介業)経営の仁科源太郎が建てたもの。


 店舗にあたる玄関の間。 土間と畳敷きの部屋が連なる。


 階段の親柱は後付けっぽい。


 生地見本でしょうか。




 廊下の板は全て欅板。 歪みのあるガラスが時代を感じさせます。


 離れになっているトイレ。 男子便器は新しい物でした。 女子用は未確認。。。


 欠けているのが惜しい。




 木組み部分の装飾。


 こちらの離れは非公開。


 3色使いのタイルが艶やかです。


 洋間が二つ。 手前が仏間で奥が応接間。


 大きな仏壇は京都にまで出向いて購入したもの。 床板は市松模様になっています。


 象嵌細工?


 仏間の明かり取りの窓。
 

 異なるテクスチャーの組み合わせが建築に深みをもたらす。


 応接間の絨毯と応接セットは当時からの物で外国製。 建築主の商圏が中国や台湾、朝鮮半島から樺太にまで及んでおり、海外との交流による体験がこの洋間に生かされているそう。


 天井の漆喰装飾。 照明は天井枠部分に光源を取る間接照明だという。


 中心飾りを拡大。


 石炭ストーブは仏間と応接間の壁をくり抜いて設置されており、2部屋同時に暖が取れる仕組み。


 右から読んでフクロク(福禄)ストーブ。 大正末に札幌の鈴木豊三郎が興した会社みたい。 






 出窓の外はまだ室内でした。


 階段を上がって2階へ。 『弁達ホテル』の看板がこんな所に・・・


 さっき見た離れのトイレを上から観察。


 3棟連なる2階建ての蔵も仁科家の物でしょうね。






 階段の転落防止用の柵にも装飾。


 数ある建築サイトでもほとんど取り上げられないのは外観が地味すぎるから? もっと知られても良いと思う建物です。 


 ※おまけ すぐ近くの交差点にあるこの建物は、他サイトの情報だと昭和5(1930)年築の旧呉服屋だそう。 10年位前、2ヶ月に一度ほどの割合でこの先にある管理釣り場に悪友と通っていました。 その行き帰りに見たこの建物の店のシャッターはまだ開いていたように思い返します。 

旧八戸商業銀行小中野支店

2010-06-20 18:47:39 | きた東北 (青森・秋田・岩手)



 大正8(1919)年以前に建てられたという銀行建築。 400戸を焼失したという大正14(1925)年の小中野大火を焼け残り、昭和5(1930)年頃にはカフェバー「ハトバ」に転身。 その際に銀行のカウンターは取り外され居室部分が増築されました。 昭和24(1949)年に燃料販売会社の旭商会の事務所となって1階の道路側部分を増築、現在は「ひまわり食堂」という明るく元気そうな名前の食堂になっています。 角地を上手く利用して半八角塔をこさえ、屋根のドームとコウモリ傘みたいな玄関部分の3連アーチが道行く人の目を引く存在になっていますね。  青森県八戸市小中野8-13-1  05年08月中旬他

 ※参考 『青森県の近代化遺産』  2000

富山第一銀行本店

2010-06-19 07:20:31 | 富山・福井



 典型的な戦前の銀行建築といった感じで立派なオーダーを配したこの建物は、意外にも(?)戦後の建築。 「無尽館」と呼ばれていた昭和21(1946)年築の木造社屋の前半分を取り壊し、佐藤工業の設計・施工でRC部分を増築して完成させたものでした(昭和26年築 1951)。 何でも先代社長(当時)の希望で東京の第一銀行本店(昭和5年築 設計・西村好時)を模して設計し、建設に使用した石材量は当時の北陸では一番であったそう。 本家・東京の第一銀行本店はもう現存していませんが、北陸・富山に生き写しのようなこの建物が残っているというは元の建物の素晴らしさを再認識させるものですね。  富山県富山市総曲輪2-2-8  08年06月下旬

 ※参考 『富山県の近代化遺産』  1996

みよや

2010-06-17 07:18:02 | 山梨・新潟


 割烹・旅館になっている「みよや」さんは大正初期の建築。 1階部分は現代風に改装されていますが、2階部分には天使の漆喰細工やバルコニー、妻飾りが残っていて、佐渡金銀の陸揚げ港として栄えた町の面影を思い起こさせる華やかさが感じられます。  新潟県出雲崎町羽黒町101-1  10年05月下旬



 日本海には背を向けていますが目の前は北国街道が走っています。 ジェロの歌ではありませんがこの建物を追って出雲崎までやってきました。




 左側の天使。


 右側の天使。 ざっくりとしたディティールが微笑ましい。


 「みよや」さんのHPに載っている「鏝絵の間」も良さそうです。

夕陽丘高校 清香会館

2010-06-15 19:54:50 |  大阪府






 夕陽丘高校は明治39(1906)年に府立の高等女学校として設立された歴史を誇る伝統校。 この建物はその伝統校の同窓会館として昭和9(1934)年に建築家・木子七郎の設計により完成したもの。 木子が設計を担当したのは彼の妻がこの女学校の出身であり、建設資金を工面していたのが彼女の同級生であったからと云われています。 建物はRC造3階建てで角部を大きく面取りして柔らかみを持たせ、まるでふっくらとした女性のボディラインを思わせるような優しい造形。 「清香会館」という言葉の響きが持つイメージとも合致するような建物に思えます。 設計時に木子が考慮した点も今に伝わっており、①構造的に丈夫 ②質実簡素で虚飾は不要 ③近代女性は知的に明朗であって欲しいので建物も朗らかな感じ ④耐久性、維持管理が経済的の4点であったそうです。  大阪府大阪市天王寺区北山町10-10  08年01月上旬

 ※参考 『大阪府の近代化遺産』  2007
  現役の高校の敷地内にあります。 見学の際はご配慮願います。 

2つの小学校

2010-06-04 07:09:35 | 福岡・長崎・佐賀


 島原市立第一・第三小学校は共に昭和初期に建てられた鉄筋コンクリート(RC)造の建物。 建設から80年以上経ち、両校舎はいま耐震強度不足を理由とする改築・大規模改修の議論の中で揺れています。  長崎県島原市城内1-1129(同・広馬場7758)  09年12月下旬



 第一小学校の門柱。 建物の柱型とも共通する意匠。


 子供達を守る大きな庇(ひさし)。


 照明の取り付け部分にも装飾。 




 昭和2(1927)年築。 祖父母の代から見上げた視線の先にはいつもこの建物がありました。


 歴史の重みが持つ風格。 しかしまだ将来は見えません。


 (おまけ)敷地の南側にある旧島原高等女学校正門(大正11年 1922)。




 第三小学校へは煉瓦塀の階段を駆け上がります。  


 昭和3(1928)年築。 平面と曲面の違いはあれど、第一小学校とも共通するデザイン。








 正面は北東向き。 庇を支える逞しい円柱が足元に影を落とす。 


 時間と共に育まれた都市の景観は、一つ一つの町の記憶の積み重ねでもあると思います。


 ※両校舎とも現役の施設として使用されています。 見学の際は充分に御配慮願います。