旧福浦灯台

2009-05-31 08:39:53 |  石川県



 明治9(1876)年に日野吉三郎により建てられた小さな灯台。 高さは5メートルで、現存する日本最古の木造灯台だそうです。 北前船が行き交っていた頃には、この小さな灯台からの僅かな光でも船乗り達にはそれこそ頼もしく思えたでしょう。  石川県志賀町(旧富来町)福浦港  06年08月中旬

 
 こぼれ話。  この灯台の近くには車数台を停められるスペースがあるのですが、そこまでの道が狭い上、少し手前にある坂道クランクが脱輪の危険があるので運転には大変気を使います。 大型ミニバンは厳しいかも。 おまけに車を降りて灯台へ向かう小道には、おびただしい数のフ・ナ・ム・シ。 その数ざっと、数百匹(数えちゃあいませんが)。 一歩近寄ればワサワサァーと、『モーゼの十戒』で海が割れるように道を開けてくれますが、小道は人が1人くらいしか通れない狭さなので、きゃつらの陣地に踏み込むのは身の毛がよだつオゾマシサがあります。 一瞬マジで灯台を諦めようかと思いました(汗)。 基本的に虫苦手な管理人ですが、この時はさすがに意を決して小道に飛び込み灯台を見学。 しかし見学を終えて車に戻ってからも、自分が居ない間に車内に何匹か入り込んだのではないかという妄想に取りつかれ、見えないフナムシの亡霊に暫らく苛(さいな)まれました・・・   

神宮徴古館

2009-05-30 07:00:00 |  三重県




 伊勢神宮に関する歴史博物館として明治42(1909)年に完成。 建物の設計は片山東熊・高山幸次郎によるもので、2人はちょうど同じ年に完成した赤坂離宮(現・迎賓館)でも一緒に仕事をしています。 外壁を白い花崗岩と花崗岩風に加工したレンガ(備前陶器会社専売花崗岩煉化石)で仕上げているので石造りの建物に見えますが、元はレンガ造りの平屋建てで、戦災で外壁を残して内部を焼失した為、RC造で2階を増築したようです。 戦災前の写真を見ると中央にドームが載っかり、屋根は陸屋根のようになっていました。  三重県伊勢市神田久志本町1754-1  05年12月下旬他

 ※写真が一部大きくなります
  参考 『東海の近代建築』 1981   戦災前の写真が掲載されています
     『総覧 日本の建築5 東海』 1986


 ※おまけ 神宮農業館(明治38年築 1905)。 我が国の農業に関する博物館として建設。 徴古館に対してこちらは和のイメージ。 設計・片山東熊?



 
 同じく 神宮文庫(大正14年築 1925)。 設計不詳。


トトロのヴォーリズ

2009-05-29 07:15:20 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島




 ヴォーリズの設計した小さな個人住宅が、今は雑貨屋さんの店舗として大切に使われています。 昭和10(1935)年にキリスト教徒夫妻の為に建てられたという洋館は、平屋建てで赤茶の屋根と白い上げ下げ窓がチャームポイント。 外装の板張りも白く塗られていますが、元はヴォーリズ記念館のような無彩色で木目の美しさを生かしたものだったのかな・・・とも思います。 営業時間に間に合わず内部は見られませんでしたが、ヴォーリズが九尺二間の家で実践したように小さくて簡素な家でも快適で心の豊かな生活が十分に送れる、という事が窺える素敵なお宅でした。  宮崎県延岡市土々呂(トトロ)町5-1300  09年05月上旬

 ※参考 ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ邸) 滋賀県近江八幡市  昭和6(1931)年築。

旧緒方村役場

2009-05-28 07:09:54 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島





 町を見下ろす丘の上に建つ洋風村役場。 昭和7(1932)年に実施された緒方村と旧南緒方村の合併により新たに建設されたもので、設計は鶴崎工業学校建築科の三浦玲三によるもの。 スクラッチタイルが貼られた玄関ポーチは堂々としており、屋根の三角の換気窓や破風の下の持送りなど、控えめな装飾が地方の村役場としてはなかなか立派な建物に見せています。 昭和33(1958)年の新庁舎完成後は公民館として使われ、昭和40(1965)年から平成4(1992)年までは竹田直入医師会立豊西准看護学校となっていましたが、学校閉鎖後は長らく空家の様子。 単純に計算しても17年ぐらいは空家になっている(?)ので各部には痛みが見え状態はあまり良くないです。 平成の大合併によって豊後大野市が誕生し、地域の中心部が旧三重町に移ってしまった現状ではこの建物の保存活用に光は見えて来ないのかも知れません。  大分県豊後大野市緒方町馬場574  09年05月上旬

 ※参考 『大分県の近代化遺産』 1994

旧安保小児科医院

2009-05-27 06:00:00 |  神奈川県








 鎌倉市医師会長も務めた安保医師により大正13(1924)年頃に建設。 小町にあった先代の建物が関東大震災(大正12年)で倒壊した為に居を移して新規開院し、その後、御子息に引き継がれた建物は平成7(1995)年まで小児科医院として使用されました。
 大きな破風と窓の木枠が印象的な佇まいですが、この建物が優しく琴線に触れてくるのは、開業当時のまま残された医療器具やさりげない小物・細工の数々など。 特に天井の照明吊りに施されたニンジンと兎、大きな鶴の漆喰細工などは、受診に来た子供を怯えさせないようにと考えたユーモアが窺えて、微笑ましい気持ちにもなります。 現在は鎌倉風致保存会が建物を管理しているので無料で内部見学出来るのが嬉しいです。  神奈川県鎌倉市御成町9-1  07年10月下旬

 ※参考 『鎌倉 洋館 スケッチ帖』  2004

高津尾発電所

2009-05-26 07:06:12 | 奈良・和歌山




 日高川の水勢を利用すべく建てられたレンガ造りの水力発電所(大正7年築・1918)。 開口部の上辺にはアーチをつけ、1階と2階の窓の間には白い石を配して単調さが無いように外観を工夫しています。 右と左で1階部分の階高は同じなのに2階部分の高さが随分違うのが不思議~。  和歌山県日高川町(旧中津村)高津尾808  07年08月中旬

 ※写真が一部大きくなります。


 ※おまけ 情報がほとんど無くて未確認の建物を2つほど紹介。

 旧川辺町の江川で見つけたのは 旧西川医院(大正5年築)でしょうか。

 こちらも同じく江川で見つけた下江川会場。 これは古いかどうか微妙。

 

富永公園金剛閣

2009-05-25 07:12:14 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)



 足利駅のすぐ近く、町を見下ろす小さな山の上に起立する大谷石造りの塔(大正14年築 1925)。 ここはレンガ造の織物工場や煙突の請負業で財を成した富永金吉が私費を投じて整備した公園で、金剛閣はその展望塔として建設されたものだそうです。 平面は縦横4メートル、4層から成っていて高さは10メートルあり、一番上には○に金の一字が大きく掲げられ目立っています。 小山自体の高さも約20メートルあるそうなので塔の最上階からの眺めは素晴らしいでしょうが、公園はもう跡形も無く、塔に続く急な石段も目の前の個人邸のものっぽい(?)ので近づく事は出来ません。  栃木県足利市助戸3丁目  08年11月下旬

 ※参考 『大谷石百選 自然美・建築美』 2006

角島灯台

2009-05-21 07:05:23 | 岡山・広島・山口







 明治時代の「お雇い外国人」、R・H・ブラントン(1841~1901)の設計により建設(明治8年築 1875)。 白御影石造りで高さ約29.6メートル、内部には105段のらせん階段が廻っており内外ともに非常に美しい造りになっています。 灯台は明治12年まで英国人技師により保守された為、ベランダの付いた洋風・煉瓦造りの吏員退息所(現・灯台記念館)が建設され、傍らには同じく煉瓦造の小さな倉庫も現存しています(ともに明治8年の築)。 後で知ったのですが、灯台の隣にあるRC造の気象観測舎(1・2枚目の写真にアンテナ部分だけ写ってます)も戦前の築、昭和19(1944)年のようです。  山口県下関市豊北町角島  05年12月下旬 

 ※写真が一部大きくなります。

野上弥生子 成城の家

2009-05-20 07:12:23 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島





 作家・野上弥生子(1885~1985)が東京の成城で暮らした住宅(昭和4年築 1929)。 建物は弥生子の実家筋(弥生子は臼杵の醸造元の長女)に引き取られ、今は臼杵東中学校の裏手の辺り、河口に面した住宅地に移築されています。
 途中で傾斜の変わる急勾配の屋根に小さな煙突、半円形のサンルームが特徴的な建物は、元は三菱銀行の支店長を務めた森可修(もり よしなが)が自らの設計で建てた邸宅でした(サンルームは竣工半年後の増築)。 生涯作家人生を送った弥生子は、百歳を間近に控え99歳で没する直前まで、この建物の2階にあった小さな書斎で筆を執っていたようです。 建物と一緒に移築された正面の門扉に、「成城1丁目~」と刻印された住居表示のプレートが今も当時のまま残されているのが強く印象に残りました。  大分県臼杵市臼杵70-15  09年05月上旬

 ※参考 『日本の洋館 昭和篇Ⅰ』 2003
  写真が一部大きくなります。 

みずほ銀行大分支店

2009-05-19 07:12:42 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島






 買い物客で賑わう大分駅周辺から歩くこと数分、人通りも疎らになった官庁街のすぐ近くにあるのがこの建物(旧大分県農工銀行 昭和7年築 1932)。 角地部分にアールを付けて出入り口とし、銀行建築に付き物のオーダーはかなり簡略化((ピラスター?)されていますが、植物をモチーフにしたような装飾が各部に施されて外観を細やかに飾っています。 設計者の国枝博(1879~1943)は大阪にある八木通商(旧大阪農工銀行)の改装を行うなど装飾建築を得意としていたらしく、その片鱗がこの建物の外観にも現れているのですが、しかしその最大の見せ場はこの建物の内部、天井部分に広がる純度の高いアールデコ装飾に集約されているのだそうです。  大分県大分市都町1-4-2  09年05月上旬

 ※参考 『建築探偵 奇想天外』 1997  内部の写真が掲載されています。 素晴らしい!
     『都市の記憶 美しいまちへ』  2002  こちらも同様。

旧讃井小児科医院

2009-05-18 07:12:29 | 福岡・長崎・佐賀




 大正11(1922)年築の木造医院。 直方のまち歩きマップによると、当初は内科・胃腸科・歯科を備えた総合病院として開院したとあります。 筑豊からの石炭輸送の拠点として発展した町の歴史、暮らした人々の生活の豊かさなどがこの建物の規模から計れるように思いました。 讃井の読みは「さぬい」です。  福岡県直方市殿町  09年04月下旬

 ※現在は個人邸と思われます。 見学の際はご配慮願います。
  10年11月追記  現在は向野堅一記念館となっているようです。

鹿児島銀行別館

2009-05-16 07:05:00 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島






 鹿児島で現存最古の鉄筋コンクリート造の建物(大正7年築 1918)。 外壁に花崗岩を張り付け玄関脇にはイオニア式オーダーを備えた、いかにも銀行建築らしい威厳に満ちた建物です。 お隣(裏側)が鹿児島銀行の本店なのですが、この建物は普段どのような使われ方をしているのでしょう。  鹿児島県鹿児島市金生町6-6  05年05月上旬他

 ※追記 現在は鹿児島銀行の食堂や会議室として使われているようです。

大丸心斎橋店

2009-05-15 07:08:26 |  大阪府








 第一期:大正11(1922)年~第三期:昭和8(1933)年築。 御堂筋側のゴシックスタイルの外観は、茶色のスクラッチタイルと白い花崗岩・テラコッタを使ったクッキー&クリームのように美味しそうな配色。 北西角には「水晶塔」と云われる鉱物結晶のような塔もそびえます。 心斎橋筋側の入口上には羽を広げた壮麗な孔雀の姿。 イソップ寓話をモチーフにした動物たちも建物内外に棲みついて訪問者達に視線を向けています。 「百貨店」という言葉の響きが持っていた憧れやトキメキを形にしたような煌びやかな内装は、6階までの大吹き抜けこそ無くなれど、洋画家・佐伯祐三がパリに渡るに際しチケットを求めにここを訪れた頃と何ら変わらない輝きを保っています。 ヴォーリズが弾けた珠玉の作品。  大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-7-1  08年01月上旬他

 ※参考 『モダン・シティふたたび 1920年代の大阪へ』 1987 
      『approach』 1998春号 特集:慎ましさの中の豊かさ ―近江八幡のヴォーリズ建築  ※竹中
       工務店の広報誌
      『モダン心斎橋コレクション メトロポリスの時代と記憶』 2005
      『大大阪モダン建築』 2007
      『ヴォーリズ建築の100年 恵みの居場所をつくる』 2008



 ※おまけ  大丸の裏手の方向、東心斎橋にあるのがこの島之内教会。 中村鎮の設計によって昭和4(1929)年に建てられたものではないかと思うのですが、決め手となるような証拠を持っていません。 窓や出入り口などの開口部の取り方は、同じ天満教会にも似たような印象を受けるのですが、果たしてこれは古い建物なのでしょうか?  


 ※追記 昭和3年築の建物として登録文化財に指定されました。


 こちらが天満教会(昭和5年築)。 コンクリートブロック造りで有名な建物です。
 

蘇峰記念館

2009-05-14 07:07:47 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島






 旧淇水文庫(昭和4年築 1929)。 ジャーナリスト・政治評論家等として活躍した徳富蘇峰(1863~1957)が、父・徳富一敬(号・淇水)の郷土愛を偲んで水俣町に送った寄付金・壱萬円を基にして町立図書館として建設。 昭和58(1983)年に図書館が新設移転すると、蘇峰並びに実弟・徳富蘆花のゆかりの資料を展示する記念館に改められました。 建物の設計は地元の建築技術者・渡辺録治によるものですが、蘇峰自身も指導に当たるなどしていたそうです。 河川改修による道路の嵩上げにより、建物の1階部分は半地下のようになってしまいました。  熊本県水俣市陣内1-1-1  09年05月上旬

 ※参考 『総覧 日本の建築9 九州・沖縄』 

旧加納町役場

2009-05-13 07:11:45 | 愛知・岐阜



 京都大学教授だった武田五一に設計を依頼して大正15(1926)年に完成。 1階に役場事務室と兵事課、2階には議場と議員控え室が配置され、この2階の議場の天井は緩い尖りアーチ状になっているそうです。  訪問時は空家になっていて壁は薄汚れ、みすぼらしさを通り越して“おどろおどろしい”感じさえありました。 どうやら耐震性に問題があるようですが、綺麗に磨けば間違いなく光る建物なのでこのままにしておくのは勿体無いです。  岐阜県岐阜市加納本町1-16  08年04月下旬

 ※写真が一部大きくなります。