石井鶴三美術館

2007-07-31 07:05:20 |  長野県





 旧上田男子尋常高等小学校同窓会明治記念館(大正4年築・1915)。 当初は明治天皇の即位50周年を記念すべく計画された建物でしたが、天皇の崩御(ほうぎょ)により図書館機能を持った記念館に切り替えられて建設されました。 その後、上田市に寄付され(上田市が買い取ったという資料もあり)市立図書館として利用されていましたが、図書館の新築移転により昭和60(1985)年からは石井鶴三(つるぞう)美術館となっています。

 石井鶴三(1887~1973)は彫刻・絵画を通じて信州の芸術教育に多大な貢献を為した人物。 信州の山を愛し、上田には大正13(1924)年から昭和45(1970)年まで毎夏、彫塑講習会の指導に訪れていたそうです。  長野県上田市大手2-8-2  07年07月下旬

旧上伊那図書館

2007-07-30 07:06:11 |  長野県






 昭和5(1930)年築。 『信州の近代遺産』によると、この建物は図書館・教育諸団体の活動拠点として使用され、第二次大戦中は都会からの文化財の疎開先、終戦直後は進駐軍の拠点になったといわれます。 創建当初は建物前面に高遠焼といわれるタイルが張ってあったそうなので、外観は改修工事を受けている様子。 市立図書館の建設(平成6年 1994)に伴い閉館し今後の活用が模索されていましたが、市の歴史的建造物として整備・保存がされる事になったようです。  長野県伊那市伊那荒井桜町3520  07年03月下旬

 ※伊那市創造館さまより「高遠焼のスクラッチタイルに関しては創建当時のまま残っている様です。」という御指摘を頂きました。 お詫びして訂正致します。






 ※10年10月上旬再訪。 現在は「伊那市創造館」と改称され活用されています。

横浜市開港記念会館

2007-07-29 11:25:18 |  神奈川県



















 横浜開港50周年を記念して大正6(1917)年に竣工した「ジャック」の塔。 ホールや事務所を含む複合的施設として計画され、地下食堂にはホテル・ニューグランドの出店、公会堂部分では国内外の音楽家達が演奏を行うなど、開港地・横浜の商工業の発展・進取の気風を象徴する建物として政財界のサロンとしても使用されました。 しかし関東大震災(大正12年 1923)により外壁を残して建物は全焼してしまい、昭和2(1927)年の復旧工事ではドームは失ったままでの再建。 その後は戦災・米軍の接収を乗り越え、平成元(1989)年にドームと屋根が創建当時の姿で甦りました。
 
 2階ホールのステンドグラスは大井の渡しと箱根越えを描いた1対の作品で、ファンライトは横浜市章と鳳凰を描いたものになっています。 そして階段室のステンドグラスはペリーの乗船していたポーハタン号。 船尾に立つ星条旗を見たGHQの高官が感心し、米軍接収中にもこの建物には(改修など)手をつけさせなかったと云うエピソードもあるそうです。 通常でも共有スペースは見学可能ですが、毎月15日は一般公開日で普段は使用中で見られないところも見学可能になっています。  神奈川県横浜市中区本町1-6  06年10月下旬他

旧須玉郵便局

2007-07-28 20:22:15 | 山梨・新潟



 現局の道を挟んだ向かい側に残る旧局舎(昭和8年築 1933)ですが、訪問時は空家か倉庫のようだったのが少し残念。 ここから更に北に進んだ所にもちょっと変った建物(個人邸)があって、旧多麻郵便局(昭和12年築)ではないかと思っているのですが確信が持てません・・・  山梨県北杜市須玉町若神子  06年01月下旬他


 ※追加  こちらがその個人邸。 正面は新建材で覆われてしまっていますが、玄関ポーチや屋根の形状などから古い建物と思われます。 

三井田川炭鉱大煙突・伊田第一竪坑櫓

2007-07-26 07:11:37 | 福岡・長崎・佐賀



 田川の石炭記念公園内に、炭鉱節にも歌われたレンガの大煙突と竪坑櫓が聳え立っています。高さ45・45mの大煙突は、捲揚機の動力用のボイラーから煙を排出する為に明治41(1908)年に建てられたもの。ドイツ製と国産の耐火レンガ、合わせて約21万枚が使用されたといいます。一方、竪坑櫓は明治42(1909)年に完成したもので、高さは約23(28?)m。2本掘られた竪坑は直径5・4m、深さは360m以上に達していました。
 全ての炭鉱が閉鎖され、筑豊が黒いダイヤで賑わっていた当時の面影は各地に微かに残るのみ。そんな中でこの場所は、人々の記憶に炭鉱の光と影の歴史を投げかけるモニュメントとして存在を新たにしています。 福岡県田川市伊田 石炭記念公園内  05年04月下旬

米子専門大店

2007-07-25 07:05:51 | 島根・鳥取




 大正13(1924)年頃に建てられたRC造のビルディング。 米子初の貸しビルだそうです。 当初は三井物産と米子銀行が借り、次いで日本海新聞、そして昭和24(1949)年から現用途になりました。 米子専門大店というのは良く分からない企業名だなと思って調べてみたら、どうやら米子の商店の協同組合のようなものらしいです。 パラペットに旧米子銀行の記章があるのは建設時からのものであり、当初から米子銀行に貸す目的で建てられたと推測出来るとの事。  鳥取県米子市道笑町1-111  06年11月上旬

 ※本文に加筆修正をしました。

旧三菱合資会社唐津支店本館

2007-07-24 07:06:25 | 福岡・長崎・佐賀



 唐津港を背にし静けさの中に建つ明治の木造洋館(明治41年 1908)。 唐津港は鉄道の開通(明治32年 1899)により石炭の積出港として大きく発展。 県内の多くの炭鉱の経営を委ねられた三菱合資会社の石炭貿易の基地たる本館としてこの洋館は建てられました。 設計は三菱丸の内建築事務所、建築顧問として唐津出身の曽禰達蔵が関わっていたようです。
 石炭産業の衰退に伴ってこの建物は軍の施設や唐津海上保安庁として転用されましたが、現在は唐津歴史民俗資料館になっています。 しかしここ最近は休館中のようで外観だけしか眺める事が出来ません。  佐賀県唐津市海岸通7181  05年04月下旬

旧三菱第二ドックハウス

2007-07-23 07:06:39 | 福岡・長崎・佐賀






 グラバー園内の動く歩道を上っていき、一番高いところにあるのがこの建物。明治29(1896)年に三菱重工長崎造船所第二ドックの側に建てられ、ドック入りした船の修理が終わるまでの間、船員達が宿泊する為の施設として整備されました。時には外国人船員も宿泊する事があるのでこのような洋風な建物を設計したようです。  長崎県長崎市南山手町8-1 グラバー園内  05年05月上旬

 ※おまけ 最後の写真は旧長崎高商表門衛所。 明治38(1905)年築。 長崎高等商業学校は現・長崎大学経済学部。創立時の遺構だそうです。同じくグラバー園内

松阪地区医師会館

2007-07-22 08:29:48 |  三重県



 旧松阪水力電気本社として大正2(1913)年頃建設(大正10年という資料もあり)。 松阪水力電気は明治39(1906)年に電気の供給を開始し、その後も供給範囲を拡大するなど、地域の人々の夜間の生活に安定をもたらしたようです。 昭和44(1969)年から現用途になった模様。  三重県松阪市白粉町363  05年12月下旬

旧第九十銀行本店本館

2007-07-21 16:22:25 | きた東北 (青森・秋田・岩手)





 旧盛岡藩士94人が株主となり設立された第九十銀行の本社として明治43(1910)年に建設。 銀行は東北金融恐慌により昭和7(1932)年に休業に追い込まれましたが、建物は陸中銀行、次いで岩手銀行の物となり、現在は「もりおか啄木・賢治青春館」として岩手が生んだ2人の詩人の青春時代などについての展示施設になっています。  岩手県盛岡市中ノ橋通1-1-25  07年07月中旬

旧小軽米郵便局

2007-07-20 07:00:47 | きた東北 (青森・秋田・岩手)


 遠目から見えた時点で空家なのは予想できましたけれど、今では単なる選挙ポスターの掲示板になっていました。 良く見ると各政党のポスターが貼られていて賑やかですが、建物だって良く見れば正面と側面では窓の構造が違います。 目に付く正面だけは、ちょっと洋風を気取ったのか上げ下げ窓になっていました。 昭和8(1933)年の建築です。  岩手県軽米町小軽米11-14  07年07月中旬

2つの郵便局舎

2007-07-19 07:07:09 | きた東北 (青森・秋田・岩手)




 米里の人首町に2つの旧郵便局舎が向き合うように建っていました。 4代目(大正14年築 1925)と5代目(昭和9年築 1934)の旧米里郵便局舎。 建築年代は10年も違っていないのに、この差は何でしょう? 道一本の隔たりが、大きな時代の転換を物語っているように感じられます。 私はやっぱり4代目の方がいいなぁ。  岩手県奥州市江刺区米里人首町  07年07月中旬

 
 ※おまけ こちらは旧郵便局舎のすぐ近くにある菊池邸(昭和6年築 1931頃)。 和+洋の接続住宅です。

 
 
 ※3つの建物は全て個人邸だと思われますので、見学の際はご配慮願います。

旧都野津町役場

2007-07-18 07:13:05 | 島根・鳥取





 現・都野津会館(昭和12年 1937)。 建築には基本的には疎いのですが、この時代の建物にはスクラッチタイルの外装が本当に多い気がします。 流行とはいえ年代の特定には非常に役立ちますね。 私は見ていて気付かなかったのですが、屋根には赤い塔屋がある(?)のでしょうか。  島根県江津市都野津(つのづ)町2088  05年09月下旬他

梼原公民館(ゆすはら座)

2007-07-17 07:07:55 | 徳島・高知




 梼原は四国カルストに抱かれた山間(やまあい)の小さな町。 そんな「雲の上の町」にゆすはら座はあります。 戦後の混乱期であった昭和23(1948)年に、5つの町組(自治会)を中心に大勢の人々が資金を出し合い、娯楽の場・産業振興の拠点として築かれました。 梼原の戦後を町民と共に見続けてきた建物は、一時期保育所としても使われていた事がありましたが、昭和40年代後半から次第に使われなくなり、老朽化と共に昭和62(1987)年に一度は解体が決定。 しかし、かつてこの保育所に通ったり、ここで映画や芝居を見て育った人達の保存にかける熱意や地道な活動が実り、町は小屋の保存を決定。 町有地へ移築・復元の上、劇場や集会所として現在でも利用されるようになりました。  高知県梼原町梼原1496  07年01月上旬