佐保会館

2013-04-24 19:29:37 | 奈良・和歌山


 大正13(1924)年に皇太子殿下(後の昭和天皇)の御成婚記念事業として立案され、奈良女子高等師範学校(奈良女子大学の前身)の同窓会(佐保会)により建てられた同窓会館(昭和3年築・1928)。 建物の設計は奈良県下市町出身の岩平太郎(1893~1984)によるもので工事費は26、683円(当時)、同窓生や教職員からなる建設係が組織されてその責務を担ったそうです。  奈良県奈良市北魚屋西町(奈良女子大学内)  13年02月中旬

 ※参考『近代奈良の建築家 岩平太郎の仕事 武田五一・亀岡末吉とともに』 2011
    『近代和風建築 伝統を超えた世界 上/下巻』 1998  



 正門から入って北西方面、グラウンド脇に姿を見せる。


 同じ古都でも京都とは異なり、奈良の近代建築は伝統に対する意識の高まりにより和風意匠を外観に用いたものが多くなっています。




 

 1階には洋風の応接室などもありますが床の間のある和室などが中心になっているそう。


 2階は洋風の大ホールと控室があるそうです。


 設計者の岩平太郎は大正7(1918)年に京都に建築事務所を開設、しかしこれは師匠の武田五一が設計を依頼された建物の実地設計及び現場管理を行う為の組織でした。 プロフェッサーアーキテクトとして忙しく飛び回る師匠を下支えし、その繋がりによって設計活動を行っていましたが大正10(1921)年の暮れに郷里の吉野に戻り、そこで地縁を得て奈良ではこの佐保会館や公共建築などを依頼される自立した建築家に育っていたようです。

芳流館 互盟社

2011-11-07 18:32:10 | 奈良・和歌山

 
 古座川沿いの県道227号に面して建つ木造洋風建物。 正確な建設年代は分からないようですが、大正時代に建てられた物だといわれています。 「互盟社」とはこの地域に明治時代に創設された青年会の組織の事で若衆組にあたるそう。 若衆組は集落ごとに組織されており、村での自警団的活動や消防、祭礼行事などといった仕事を分担し、夜は若衆宿に集まって一緒に寝泊まりし親睦を図った古来からの習俗なのだそうです。  和歌山県古座川町高池  11年02月中旬



 正面全景。 司馬遼太郎(1923~1996)の『街道をゆく 熊野・古座街道』では「ミルクコーヒー色の木造洋館」として描写されています。


 ちゃんとコリント式のオーダーになっているのが凄い。 設計施工は不詳ですが腕の立つ棟梁の仕事だったのではないでしょうか。






 互盟社の「互」。




 屋根瓦にも「互」の文字が。




 現在は町の文化財の獅子舞が保存されていて、グループの活動拠点になっているみたいです。

旧長井邸

2011-10-27 19:46:53 | 奈良・和歌山






 住宅街の路地の間に顔を覗かせているこの建物は、神戸で貿易商を営んでいた長井氏が長男を(旧制)田辺中学校(明治29年創立・現在の田辺高等学校)に通わせるために大正8(1919)年頃に別宅として建てたもの。 赤やオレンジといった暖色系の色の作用もあるのかもしれませんが、神戸の異人館よりも明るく親しみやすく思えるのは温暖な紀州・田辺の気候や土地柄にもよるものでしょうか。 長井氏の長男が学校を卒業した後にこの別宅は人手に渡り、昭和28(1953)年頃からは旅館・赤別荘として長らく営業されていました。 しかし現在はその旅館も廃業し、個人の邸宅として大切に使われているようです。   和歌山県田辺市下屋敷町  11年02月中旬他


 ※個人邸ですので見学の際は十分ご配慮願います。

旧名手郵便局

2010-11-11 18:54:00 | 奈良・和歌山



 大和街道の宿場町・名手(なて)市場は明治から昭和にかけては近辺で銅山が経営され、そこで働く鉱夫達で町は賑わいました。 この旧郵便局は昭和3(1928)年の建築、2階は電信電話業務に使用され往時には50人程の職員が机を並べて仕事に勤しむ姿があったそうです。  和歌山県紀の川市(旧那賀町)名手市場  07年08月中旬

 ※参考 『和歌山県の近代化遺産』 2007 

旧西本組本社ビル

2010-01-22 07:12:38 | 奈良・和歌山




 戦前には従業員7~800人という大手建設業者であった西本組の本社屋として昭和2(1927)年頃建設。 西本家の親戚だった岩井信一が早稲田大学の卒業制作として設計したものだと伝わります。 建物の1階部分は石貼りで2階から上はタイル貼りとし、玄関部分にはイオニア式オーダーで支えた見事なペディメント付きポーチを構えていて威厳を感じさせる造り。 現在はカフェや多目的アートギャラリーとして活用されているようです。  和歌山県和歌山市小野町3-43  07年08月中旬

丹鶴ダンス教室

2009-09-24 07:13:21 | 奈良・和歌山



 西村記念館へ行く道を一本間違えて入ってしまい、路地の先に偶然見つけたこの建物は明治38(1905)年に建てられた旧新宮郵便局でした。 元は違う場所にあったものを移築・増築して現在の姿になっているそうです。 両脇の大きな開口(ガレージ?)も後年の改造でしょうね。 飾り板付きの玄関庇の上に設置されたエアコンの室外機はもう少し場所的にどうにかならなかったんでしょうか…。  和歌山県新宮市新宮7683-54  07年08月中旬


 ※おまけ その1  駐車場を挟んで隣りにあるのは熊野経理専修学校(昭和10年築・1935)。 前の道が狭くて「引き」が取れないので全体を写せませんが、こちらも下見板の建物です。 玄関ポーチに算盤(ソロバン)の珠がデザインされているのが経理学校らしくて面白い。




 ※おまけ その2  旧チャップマン邸(大正15年築・1926)。 こちらも西村記念館のすぐ近くにあります。 雑草の生え具合やクモの巣の張り方を見ると訪問時は空き家のようでした。 西村伊作設計の建物です。



宇陀の不明建物。

2009-06-11 07:13:02 | 奈良・和歌山




 榛原福祉会館を探している時に見つけた正体不明の建物。 屋根は入母屋、外壁は石造風に仕上げ、1階の窓には頑丈そうな鉄扉。 玄関周りにはペディメントや様式不明の柱頭飾りまで備わって単なる倉庫建築ではない感じ。 建物左手の痕跡から判断すると、隣に町屋の商業店舗があってその付属屋として建てられたものかも知れません。  奈良県宇陀市榛原区萩原  07年09月下旬


 ※おまけ  こちらが本来の目的だった榛原福祉会館(大正11年築? 1922?)。 旧県立蚕業試験場の建物で、玄関屋根の鬼瓦に蚕(かいこ)の姿があるのが過去を偲ばせます。 建物の状態もなかなか良さそうでしたが、日本建築学会から保存要望書が出ている通り、幼稚園の園庭拡張計画に伴い解体の可能性があるようです。



高津尾発電所

2009-05-26 07:06:12 | 奈良・和歌山




 日高川の水勢を利用すべく建てられたレンガ造りの水力発電所(大正7年築・1918)。 開口部の上辺にはアーチをつけ、1階と2階の窓の間には白い石を配して単調さが無いように外観を工夫しています。 右と左で1階部分の階高は同じなのに2階部分の高さが随分違うのが不思議~。  和歌山県日高川町(旧中津村)高津尾808  07年08月中旬

 ※写真が一部大きくなります。


 ※おまけ 情報がほとんど無くて未確認の建物を2つほど紹介。

 旧川辺町の江川で見つけたのは 旧西川医院(大正5年築)でしょうか。

 こちらも同じく江川で見つけた下江川会場。 これは古いかどうか微妙。

 

日本基督教団 紀南教会

2008-07-26 19:26:24 | 奈良・和歌山



 西村伊作の設計で大正14(1925)年に建てられた教会堂。 十字架さえ掲げられていないシンプルな教会ですが、正面出入り口部分(片側が埋められている?)に架けられた急勾配な屋根と、他とは異なる壁面の処理がこの建物を特徴づけていると思います。 見事に登録文化財指定。  和歌山県那智勝浦町下里930-1 07年08月中旬

 
 ※おまけ  こちらは教会に向かう踏切の近くで見つけた建物。 個人邸にしては変な威圧感を覚えたのですが詳細は分かりません。 「懸泉堂」という立て札が出ています。 

 ※追記 佐藤春夫(詩人・小説家)の父・豊太郎の生家で大正13(1924)年頃に建てられたものとの事です。


 ※お次は教会からの帰りに見つけた個人邸。 こちらも詳細不明ですが、それほど古い建物ではないかも知れません。



 個人邸・教会とも見学の際はご配慮願います。

天理大学 若江の家

2008-02-06 07:09:15 | 奈良・和歌山








 現・創設者記念館(大正13年築 1924)。 天理大学の創設者が旧制大阪高等学校に在学していた際に宿舎として使用していた建物で、設計は「あめりか屋」によるもの。 昭和30(1955)年に大学創立30周年を記念して若江岩田(東大阪市)から移築され、その際に地階(道路側からだと1階部分)を増築したものだそうです。 緑のガラスの入ったアーチ窓と3頭のライオン(?)の顔のレリーフがインパクト大。 一般にも内部公開されています。  奈良県天理市杣之内町1050 天理大学内  07年09月下旬他

奈良国立博物館本館

2007-11-17 09:25:55 | 奈良・和歌山






 竣工は明治27(1894)年の煉瓦・石造の旧帝室博物館。 宮廷建築家・片山東熊を中心に設計されたもので奈良公園の敷地内に建つ洋風博物館です。 現在は裏手のようになってしまっていますが本来の正面側と思われる西面は、櫛形のペディメントや左右の双柱、メダリオンなどが備わるかなり装飾豊かなファサードとなっていて見ているのが楽しいです。 ただ気になったのは、そのメダリオンや両脇のくぼみが「まっさら」というか「のっぺり」している点。 元々あった装飾を削ったか埋めたかのような感じがして気になって仕方ありません。 オリジナルからこのようなのですが何だか物足りなさが残りますね。  奈良県奈良市登大路町50  07年11月上旬他

 ※写真が一部大きくなります。

旧六十八銀行八木支店

2007-11-07 07:08:12 | 奈良・和歌山




 昭和3(1928)年築の銀行の建物で、現在は一日一組限定の貸し切りウェディング会場になっています。 玄関前に飾られた案内写真を見るかぎり、内部は吹き抜けの空間に回廊が廻るという銀行建築らしいもの。 戦後の一時期は映画館にも転用されていたそうです。  奈良県橿原市(かしはらし)八木町1-2  07年09月下旬他

旧大阪電気軌道変電所

2007-10-04 18:30:17 | 奈良・和歌山




 大正3(1914)年頃に建てられたレンガ造りの建物で、現在はビアン・シュールというフレンチレストランになっています。 建物前面は隠れてしまって見づらいのですが、3連アーチやキーストーンなどがあしらわれ単調さを払拭している点が素敵です。 すぐ目の前が近鉄奈良線の「富雄」駅なので、ホーム(高架)から見れば屋根など全体像が掴めそうですね。  奈良県奈良市富雄北1-1-1  07年09月下旬

 ※10年9月下旬再訪。 高架になっている富雄駅からの写真他を追加しました。

杉山小児科医院 診療棟

2007-09-30 18:04:22 | 奈良・和歌山



 大正10(1921)年頃に建てられたというハーフティンバー様式の医院建築。 玄関扉が変更されている点と電信柱(&電線)が目障りである点が残念ですが、それを差し引いても素晴らしい建物である事に変わりはありません。 元々は上田医院として建てられたものですが、昭和20(1945)年に同医院が廃業した後、昭和29(1954)年からは現在の杉山医院となっているようです。 正面向って右側の角ばった建物は昭和初期に建てられた住居棟。  奈良県大和郡山市本町52  07年09月下旬

 ※現役の医院ですので見学の際はご配慮願います。
 ※追記 現在は医院を廃業されて(?)おり、春と秋に建物見学会を開いているようです。


 ※おまけ  こちらは杉山小児科医院の裏の辺りにある浅井家洋館(明治初期)。 こちらは個人邸なので見学の際はご配慮願います。



黒滝村旧役場庁舎

2007-09-28 00:00:00 | 奈良・和歌山




 明治43(1910)年に吉野材木黒滝郷組合事務所として建設。 洋風2階建の建物に平屋建ての和館が付属したモダンな建物です。 大正2(1913)年からは村役場に転用され、昭和53(1978)年に新庁舎が建設されるまで現役を続けました。 その後、郷土資料館や集会所として使われていましたが、平成7(1995)年に現在の「黒滝・森物語村」内に移築され資料館として公開・保存されています。  奈良県黒滝村粟飯谷1  07年09月下旬