旧根雨公会堂

2012-06-13 19:04:34 | 島根・鳥取


 根雨は江戸時代より栄えた出雲街道の宿場町。 その根雨の町を見下ろすように山の中腹に建つこの白壁の建物は、鉄山経営で財を成した根雨の近藤家7代目当主・近藤寿一郎(1880~1958)が当時の根雨町に寄贈したものという(昭和15年築・1940)。 寿一郎は事業の他に郷土の教育文化の振興にも貢献し、日野郡や鳥取県の教育会長を歴任、この建物は演劇、映画、講演会など幅広く活用されて地域文化の発展向上に寄与してきました。  鳥取県日野町根雨497  10年05月上旬

 ※参考 『鳥取県の近代化遺産』 1998
     『鳥取建築ノート』 1991 



 建物の設計者は岡田孝男(1898~1993)という大阪三越百貨店住宅建築部の技師だった人物。 武田五一の愛弟子であり、和風にスパニッシュを取り入れたスタイルは恩師からの影響があるものといわれます。


 根雨の「ネ」と文化の「文」を重ねた誇り高きシンボルマーク。


 2本の円柱が並ぶ玄関。




 昭和61(1986)年に改装されて現在は日野町の歴史民俗資料館。 事前予約で内部見学出来るようです。


 かつては石州赤瓦が葺いてありましたが平成7(1995)年に取り替えられています。




 寿一郎の希望により外観は周囲の民家との調和を考えて努めて質素に造られる。


 建物の見学中、付かず離れずでずっと私を「観察」していた猫さん。 そんなに怪しい者ではありません(ちょっとは怪しい…)。


大社高校 いなさ会館

2010-11-10 19:29:27 | 島根・鳥取





 入母屋屋根の和風建築に巨大な玄関ポーチや上げ下げ窓を組み込んだこの建物は、旧制島根県立第三中学校講堂として明治34(1901)年に建設されたもの。 内部は腰板張りで上部は漆喰仕上げ、天井は格天井で奥には奉安庫も設置されているそうです。 昭和55(1980)年の校舎移転によりこの建物も移築され、その際に解体された旧校舎の玄関ポーチを正面に合体し窓ひとつ分だけ建物の長さを寸詰めされました。 県内で唯一、体育科がある高校らしく、休日でも部活動に汗を流す生徒が多くて皆非常に礼儀正しかったです。  島根県出雲市(旧大社町)北荒木1473 大社高校内  05年09月下旬他

 ※参考 『島根県の近代化遺産』 2002

旧米子変電所

2010-03-03 09:27:57 | 島根・鳥取




 米子駅からも程近く、住宅地の間に姿を見せるレンガの建物は大正7(1918)年に山陰電気により建てられた旧変電所。 米子はもとより境港や安来、松江にまで至る広い範囲に電力供給を行っていましたが、昭和に入って電力需要が増加すると変電所は移転し建物は空家になってしまい、昭和18(1943)年に住宅に転用されて現在に至っているそうです。 部分的に使われた白い御影石の存在が赤煉瓦の美しさを一層引き立てているように感じますね。  鳥取県米子市道笑町  06年11月上旬他

 ※現在は個人邸と思われますので見学の際はご配慮願います。

グランドアパート

2009-11-12 07:05:23 | 島根・鳥取




 昭和5(1930)年築の旧住宅。 正確に言うと向かって左側が昭和5年で、屋根が一段下がった右半分が昭和21(1946)年のもの。 この建物は終戦後に進駐軍が接収し、1階をダンスホール、2階を将校の宿舎として改装し、その際にテラスのある右半分が増築されました。 接収解除後はダンスホールはそのままに2階をホテルとして営業しましたが、その後アパートに改造。 玄関ホールにある螺旋階段は仁風閣を真似たもので、賛恢病院(明治44年頃築 1911頃)から移築してきたものだそうです。  鳥取県鳥取市上町  06年11月上旬他

 ※参考  『鳥取県の近代化遺産』 1998


 ※おまけ  グランドアパートの近くで見つけた個人邸。 大正12(1923)年頃築のO家住宅でしょうか?



旧鳥取高等農業学校本館

2009-09-27 07:14:58 | 島根・鳥取




 鳥取の三洋電機の構内に残る大正10(1921)年築の木造校舎。 煉瓦の基礎や屋根にそびえる望楼なども健在です。 昔の写真を見ると後ろにもっと長く延びた建物でしたが、どうやら切り取られ正面部分だけが保存された模様。 隣にあったはずの講堂(大正12年築)も現存していませんでした。 現地案内板では辰野金吾(1854~1919)の基本設計とされています。  鳥取県鳥取市南吉方3  06年11月上旬

 
 ※おまけ ここから少し離れた立川町の三洋電機の敷地内には、明治31(1898)年築の旧歩兵第四十連隊の建物(兵舎?)が何棟か現存しています。

米子市水道記念館

2009-02-02 07:07:05 | 島根・鳥取




 大正15(1926)年築の旧米子市水源地旧ポンプ室と、同14(1925)年築の旧米子市水源地記念碑。 入り口上部のアーチ窓が目に付く位のシンプルな旧ポンプ室と、高さ7メートルもあるというアールデコな記念碑との組み合わせ。 扁額に刻まれた『天助人』にはどんな意味(願い)がかけられているのでしょう。   鳥取県米子市車尾南2-8-1  06年11月上旬

若桜町歴史民俗資料館

2008-11-22 22:24:18 | 島根・鳥取




 旧山陰合同銀行若桜支店(明治40年築 1907)を移築復元したもの。 土蔵造りで内部も畳敷きの建物には洋風の要素はほぼ見当たりません。 銀行の建物ならば立派なカウンターくらいあっても良さそうなのですがそれもありません。 元々無いのか、それとも移築時に改修されたのか判断に悩むところです。  鳥取県若桜町屋堂羅31  06年11月上旬

津森内科医院

2008-11-21 00:00:00 | 島根・鳥取



 登録文化財に指定されている個人医院(昭和初期築 1926?)。 急勾配の屋根と棕櫚の木がとってもお似合いの建物です。 松江といってもここは中心部から外れた中海沿いの方なので、訪問しにくいのが難点です。  島根県松江市本庄町569-1  06年11月上旬

裏通りの銀行建築

2008-07-16 19:14:13 | 島根・鳥取


 旧山陰合同銀行河原支店(大正11年築? 1922?)。 河原町の裏通りで見つけた建物。 これがお目当ての銀行建築かどうか、ずっと確認できませんでしたが、つい最近見た他サイトの古写真にこの建物の銀行時代の写真が載っている事を発見。 それによると、元々は松江銀行の建物だったようです。  鳥取県鳥取市河原町河原  06年11月上旬

  
 ※おまけ こちらは同じ通りにあった岸医院。 玄関の上には右から左に「岸醫院」というプレートと緑色の丸電球が付いてます。 今は人影もまばらな通りですが、かつてはこの通りが町のメインストリートだったのかもしれませんね。


 ※両建物とも現在は個人邸です。 見学の際はご注意願います。
 ※追記  岸医院は大正初期築、旧山陰合同銀行河原支店は大正4(1915)年以前築という資料もあります。

旧塩屋出店洋館

2008-04-22 07:09:29 | 島根・鳥取




 商家風町屋の旧塩屋出店の中庭に建つ小さな洋館(昭和10年頃築 1935)。 子供たちの文化育成の為に教会として利用されていた建物を、智頭町出身の映画監督である西村克己氏の映画記念館として再生したものです。 本当に小さな建物ですが、1階には所狭しと昔の映画のポスターなどが展示され、ささやかな時間を過ごす事が可能となっています。  鳥取県智頭町智頭545  06年11月上旬 


 ※おまけ  こちらが旧塩屋出店主屋(明治30年頃築 1897)。 現在は食事処として活用。 正面脇の通路から中庭に入れば洋館の姿を見られます。 主屋・洋館ともども登録文化財。


旧布部郵便局

2008-04-21 07:01:04 | 島根・鳥取



 昭和14(1939)年築。 昭和62(1987)年まで現役だったという郵便局舎は、細部の意匠にこだわった白壁の綺麗な建物でした。 玄関庇(ひさし)と上部の装飾には丸みを持ったデザインを施しつつ、1階横の窓は菱形にして微妙にハズしている所が心憎い。 現用途は不明でしたが、大切にされているようで一安心です。  島根県安来市広瀬町布部  06年11月上旬

瑞穂町武道館

2008-04-16 07:12:13 | 島根・鳥取




 昭和3(1928)年築の旧田所尋常高等小学校講堂。 マンサード屋根になっている出入り口部分の庇(ひさし)が特徴的。 建物正面部分の出っ張りには奉安庫が配置されていたそうです。  島根県邑南町(旧瑞穂町)下亀谷210  05年09月下旬

 ※おまけ  武道館のお隣りにあったこの建物は、昭和30(1955)年築の旧田所小学校でしょうか。 訪問時は建設資材の置場のようになっていました。


宍道湖の洋館

2007-12-13 00:00:00 | 島根・鳥取


 恐らく祥雲閣(旧山本権七氏別邸洋館 大正5年築 1916)ではないでしょうか。 樹木に阻まれ正面からは建物の確認が出来ず、宍道湖沿いに回り込んでようやくその姿を拝める事が出来ましたが、御覧の通りかなり荒廃しているようでした。 こうなってしまうと再生は厳しいかも知れませんね。  ところで山本権七氏というのは一畑グループ(一畑電気鉄道ほか)の社長を務めた方と同じ人物でしょうか?  ただの同姓同名かもしれませんが・・・  島根県松江市  05年09月下旬 

 ※10年05月再訪しましたがアパートに建て替わっており現存していません。

坂口合名ビル

2007-08-07 07:07:33 | 島根・鳥取




 山陰の玄関口であり商業都市としての顔を持つ米子市。 この建物は大正9(1920)年創業の坂口合名会社の本社屋として昭和6(1931)年に完成したもの。 現在も同社の事務所として活用中のようです。  鳥取県米子市尾高町66  06年11月上旬他