旧生田医院

2013-02-07 19:55:47 | 徳島・高知


 三角屋根と黄色のモルタル壁が印象的なこの建物は昭和15(1940)年の建築。 戦時色が色濃くなり「贅沢は敵だ」という標語が国民に強く押し付けられた年に完成した建物になります。 今は薄汚れてしまっていますが、建った当時は暗い世相を振り払うかのように明るい色の建物であったろうと想像してしまいました。  徳島県板野町那東  13年01月中旬



 どっしりと落ち着きのある玄関ポーチ。




 ポーチの内側は白っぽく塗られています。 横の窓が板で塞がれていなければもっと明るいのに。


 誰も住んでいないような雰囲気です。




 屋根裏の明り取り用の窓。


 屋根の一部がめくれ上がっている造形。 ここに窓や換気口が無いという事は単純に室内の天井高を稼ぐ為の処理なのでしょうか。 


 僅かに見えた裏側はかなり草臥(くたび)れたもの。 行く末が心配されます。

藤岡医院

2012-03-15 20:02:12 | 徳島・高知


 JR高徳線の板野駅の北側、板野東小学校に向かう途中に見えてくる下見板張りのレトロ医院。 当初は鳴門市大津町で産婦人科を開業していた施主が、昭和9(1934)年に医院と住宅を新築して移転してきたものだと伝わります。 ネットで調べたところではまだ現役の医院としての登録があるようですが、文献では既に廃業しているような情報もあり詳細は不明です。  徳島県板野町大寺亀山西  10年03月中旬



 カーテンの破れ具合から判断すると内部は放置状態かも。 外壁はドイツ下見のようですね。






 玄関ポーチを支えるのは丸柱で下部は角柱になっています。


 妻面や破風の部分は白い漆喰仕上げにする事も多い中、この建物では同色の処理にして重厚感を強調しているように思います。




 大津町から移築してきた入院棟(大正11年築・1922)とはこれでしょうね。


 黄味がかった塀の色が味わい深さを増幅させる。


旧三縄郵便局

2010-08-25 07:11:24 | 徳島・高知





 昭和7(1932)年築。 木造で板張りという旧郵便局舎らしいスタイルですが、張り出した玄関部分や正面破風の漆喰装飾など、ちょっとした役場建築のような厳めしさを感じさせる建物になっています。 郵便局ならば破風の装飾は〒マークが描かれていてもよさそうなのですが、植物模様(アーカンサス?)をモチーフにしたのは何かの理由があっての事でしょうか。  現在は個人邸として使用されているみたいです。  徳島県三好市池田町中西  10年03月中旬

トヨサキ写真スタジオ

2010-05-13 18:48:26 | 徳島・高知






 トヨサキ写真スタジオは明治38(1905)年に建てられた旧川口郵便局を転用した町の写真館。 正面から見ると2階建てですが実際は傾斜地に建てられた3階建ての建物であり、ここでは郵便業務の他に電話交換業務も行って最盛期には40人近い職員が働いていたという立派な建物でもあります。 当初は屋根の上にガラス張りの塔屋もあったそうですが、雨漏りが酷かった為に写真館に改造した時(昭和57年頃?)に取り除いてしまったそう。 それでも正面の上げ下げ窓や下見板、半円と三角が規則正しく並んだ軒先のバージボードなどに往時の姿を認める事が出来るハイカラな写真館です。  徳島県三好市山城町大川持584-1  10年03月中旬

 ※参考 『徳島県の近代化遺産』  2006  

幻獣の棲まう家

2010-03-31 07:13:00 | 徳島・高知




 JR牟岐線(阿波室戸シーサイドライン)と新町川が交差する辺りに建つこの邸宅は、ドイツ・ベルリン大学への留学から戻った産婦人科医の自邸として昭和3(1928)年頃に建てられたもの(三河家住宅として重要文化財指定)。 地元の建築技師・木内豊次郎がドイツの田園住宅を手本に設計したと云われ、潜水艦の艦橋のような展望台、玄関上で波打つ2階部分のバルコニーなど、ディテールに目を凝らせば凝らすほど虜になってしまうような濃密なデザインが施されています。 屋根に鎮座する棟飾りの幻獣(ガーゴイル)にとどまらず、お庭にライオンやゾウの石像までがあるのが個人的にはポイント高し。  徳島県徳島市富田浜  06年12月下旬他

 ※個人邸と思われますので見学の際はご配慮願います。



旧逢坂医院

2010-03-23 19:30:33 | 徳島・高知





 大正10(1921)年頃に建てられたという個人医院。 右手に和館らしき建物が連なった和洋接続タイプの住宅に見えました。 ほとんど創建当初のまま、という感じでオリジナル状態を保っているのですが、某廃墟サイトに内部写真が公開されているので恐らく現在は空家になっているのだと思います。  徳島県つるぎ町  10年03月中旬




 ※追記 『徳島県の近代化遺産』によるとこの地域は無医地区であった為、この医院が開業した時は地元住民達に非常に喜ばれたそうです。 家主(医師)は熱心なキリスト教徒で人間を非常に大切に扱ったので村民からは聖者と仰がれ、昭和17(1942)年には寿像(存命中に造っておく人の像)が関係町村民によって建てられたといいます(医師は昭和24年に72歳で逝去)。

織田歯科医院

2009-12-08 19:41:15 | 徳島・高知




 先の大戦による空襲により大きな被害を受けた高知市内中心部に古い建物はあまり残っていません。 高知城近くにあるこの医院の敷地内にも30発ほどの焼夷弾が落ち、そのうち5発が燃え上がったのを懸命に消火してこの建物は焼け残ったとものだといわれます。 建物はRC造2階建て、柱型を浮き立たせ縦方向の直線を強調したものになっていますが、破風のデザインや小さな装飾で直線を崩しファサードは単調さを感じさせないものになっています。 屋上にある小部屋(?)は何の為のものなのか気になりますね。  高知県高知市升形  07年01月元旦

 ※現役の医院ですので見学の際はご配慮願います。

旧畑山発電所

2009-03-11 07:11:17 | 徳島・高知



 安芸市の中心部から曲がりくねった道を延々と北上していき、疲れと共に嫌気がさして、もう引き返そうかと思い始めた頃にようやく姿を見せるのがこの旧発電所の建物です(大正12年築 1923)。 更に近づくには目の前の清流に架かる吊り橋を渡らなければなりませんが、ところどころ底板の抜けた木製の橋は見るからに危険そうで、リスクを冒してまで足を踏み出す勇気は流石にありません。 それでも建物の妻面のアールの付いた処理の仕方などは、“ドイツ表現主義の流れを汲む”という解説も頷ける独特のもので、わざわざ遠くまで足を運んだ甲斐があったと思えるものでした。  高知県安芸市畑山  06年12月下旬

 ※参考 『土佐の名建築』 1994

KIRAKUZA

2009-03-10 07:13:45 | 徳島・高知



 高松と徳島を結ぶJR高徳線の板東駅前で見つけた旧映画館らしき建物(詳細不明)。 映画全盛期の昭和の匂いを今でも漂わせています。  徳島県鳴門市大麻町板東  06年12月下旬

 
 ※おまけ 大麻町の近代建築の紹介。 まずは船本家牧舎(旧富田畜産部牧舎)。 ドイツ人の設計・施工で大正6(1917)年に建設(大正8年増築)されたもので、1階部分は煉瓦造になっています。  大麻町桧野神ノ北


 お次は、柿本家バラッケ(旧板東俘虜収容所 大正6年築)。 トイレ休憩で立ち寄った道の駅内で偶然に発見したもので、登録文化財のプレートが貼られていたので気が付きました。 移築されてきたとはいえ、扉や窓はアルミ製だし外壁も屋根も完全に新しいので外見的に見所はありません。 移築前は牛舎に転用されていたので物産館として活用・保存するには仕方なかったのかもしれませんが・・・ もう一つ現存する旧板東俘虜収容所の建物(安藝家バラッケ)は調査不足の為、追い切れず。  大麻町桧東山田 道の駅 第九の里内 

旧梼原町役場 

2008-09-16 19:36:01 | 徳島・高知



 現・梼原町歴史民俗資料館別館(明治24年築 1891)。 正面のバルコニー部分には力が入っていますが、全体的には洋風建築をうまく消化出来ていないようなモドカシサを感じてしまう建物です。 特に窓の数が絶対的に少ない上に開口部の面積も限られているので、中で仕事する人達にとっては採光や通風の面で苦労させられたのではないでしょうか。 それでも地理的・時期的な条件を鑑みれば、西洋化の波が日本列島を駆け巡ってこのような山間の町にも確実に押し寄せていた、という時代の生き証人のような価値は今でも高いと思います。  高知県梼原町(ゆすはらまち)梼原1653-1  07年01月上旬

佐古配水場

2008-04-02 07:07:02 | 徳島・高知



 鉄筋コンクリの骨組みをレンガの壁で囲った水道施設の建物群(大正15年築 1926)。 徳島市の水道局の始まった時に建てられたもので、由緒正しきものだそうですが、現役の水道施設内にあるので建物には近づけません。 何処かにいいアングルがないか柵伝いに歩いていたら、同じように前を歩いていた親子3世代(チビッ子・父親・お爺ちゃん)+ 柴犬のグループが、馴れた手つきで柵の切れ目から敷地内に入っていく姿が・・・ 私もつられて内部に入ってしまおうかと思いましたが、さすがにマズイと考え自重。 地元民にとってはそれだけ身近で日常的な施設だ、という事が窺えた場面でした(違う?)。  徳島県徳島市南佐古6-3-11  06年12月下旬 
  

旧高知県電気局庁舎

2008-02-12 19:46:03 | 徳島・高知



 近代建築が少ないと思われている高知県ですが、昭和初期に建てられたという立派な建物が残っていました。 『土佐の名建築』(1997年刊行)に、取り壊し予定がある・・と出ていたので、もう無いかも知れないと思っていましたが、遠くまで足を運んだ甲斐がありました。 白黒の写真しか見た事がなかったので、外壁の淡いブルーグレー色が目に眩しく感じてしまいます。 現在の使用状況が分かりませんが、塔の部分(アールになっていますね)にはらせん階段もあるそうなので、内部も見てみたいし、しっかり活用されていくと嬉しいのですが・・・  高知県南国市立田  06年12月下旬

 ※写真が一部大きくなります。

梼原公民館(ゆすはら座)

2007-07-17 07:07:55 | 徳島・高知




 梼原は四国カルストに抱かれた山間(やまあい)の小さな町。 そんな「雲の上の町」にゆすはら座はあります。 戦後の混乱期であった昭和23(1948)年に、5つの町組(自治会)を中心に大勢の人々が資金を出し合い、娯楽の場・産業振興の拠点として築かれました。 梼原の戦後を町民と共に見続けてきた建物は、一時期保育所としても使われていた事がありましたが、昭和40年代後半から次第に使われなくなり、老朽化と共に昭和62(1987)年に一度は解体が決定。 しかし、かつてこの保育所に通ったり、ここで映画や芝居を見て育った人達の保存にかける熱意や地道な活動が実り、町は小屋の保存を決定。 町有地へ移築・復元の上、劇場や集会所として現在でも利用されるようになりました。  高知県梼原町梼原1496  07年01月上旬

旧吉良川郵便局

2007-07-12 07:04:12 | 徳島・高知



 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている室戸市吉良川町。 漆喰壁の民家が建ち並ぶ中に、小さな洋風の郵便局舎が佇んでいました。 大正15(1926)年に建てられ、昭和40(1965)年頃まで使用されていたという局舎は、すっかり町並みに溶け込んでいて現在は学習塾の様子。 寄贈された赤い丸ポストが、誇らしげに過去を代弁していてくれました。  高知県室戸市吉良川町  06年12月下旬

脇町劇場

2007-07-11 07:05:30 | 徳島・高知




 かつては日本全国に多数存在し、地域の娯楽施設として人々につかの間の夢や希望、明日への活力を与えつづけていた芝居小屋。しかし戦後の経済発展の時流に乗って映画やテレビといった新しい娯楽が台頭し、芝居小屋はいつしか消え行く運命に。

 脇町劇場は昭和9(1934)年に、地元有志によって建てられた芝居兼映画用の劇場。劇場のすぐ近くには製糸工場があり、そこで働く多くの若い女性達の楽しみ・息抜きの場として、劇場にはいつも活気が溢れていたといいます。時代が移り、戦後は主に映画館として供されていましたが、映画産業の斜陽化と建物の老朽化により平成7(1995)年に劇場は閉館。解体され駐車場となる運命でしたが、山田洋次監督の映画『虹をつかむ男』の舞台(オデオン座)として選ばれた事から保存運動が沸き起こり、取り壊しから一転、町の文化財として生き残る事になりました。
 昭和初期の姿に修復された劇場には花道・回り舞台などが残り、創建当時の姿を可能な限り生かしつつ現代的な機能(映画上映用の大スクリーン等)も与えられました。「うだつ」の街並みと共に町の看板を背負うという重責を担っており、劇場で催し物が無い時には内部の見学も可能となっています。  徳島県美馬市脇町猪尻西分140-1  06年12月下旬