旧ハワイ公使別邸

2012-05-31 18:35:50 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)


 ハワイがまだ独立国家(ハワイ王国)であった頃の駐日代理公使、ロバート・ウォーカー・アルウィン(1844~1925)の別荘として使用されていた建物。 外国人にとっては日本の夏は蒸し暑くて耐え難く、避暑の為の別荘を探していたアルウィンが伊香保の爽やかな気候と静かな環境を気に入り明治24(1891)年にこの建物を買い求め、大正14(1925)年に亡くなるまで毎夏を過ごしていました。

 アルウィンは現在のハワイ日系人社会の基礎となっている移民(官約移民)の実現をした人物であり、明治18(1885)年の第一回移民から明治27(1894)年の官約移民終了までに3万人近い数の日本人移民を送り出し、「ハワイ移民の父」と呼ばれその名を現在に残しています。  群馬県渋川市伊香保町伊香保29-5  10年04月下旬





 右がアルウィンの写真で左がハワイ州旗。 ハワイ王国は1893年の革命で親米的な政府が成立、1898年にはアメリカ合衆国に併合され完全に消滅しました。


 昭和60(1985)年がハワイに移民が渡って百周年になるのを記念して建物は史跡指定され保存されるに至ったようです。


 展示室内部。 アルウィンが生前に使用していた品々や関係資料が展示されています。


 別荘の一部を保存したので広さはそれほどありません。








 地元の人達からは「アルウィンさんの別荘」と呼ばれ親しまれていたそう。


 伊香保には明治26(1893)年に御用邸も建てられ皇族も避暑に訪れていました。


 近くにある伊香保観光ホテル(昭和4年築・1929)。 外国人向けに建てられたホテルですが現在は事業停止中で放置状態。


 登録文化財になっていますが今後どうなる事やら。

旧大阪農工銀行本店

2012-05-29 19:41:01 |  大阪府


 辰野片岡建築事務所の設計により大正7(1918)年に完成。 当初は赤煉瓦タイルの建物でしたが昭和4(1929)年に國枝工務所(國枝博)により改修を受け、現在のようなクリーム色のタイル張りの建物に一変しました。 近年まで衣料品関連の輸出入を業務とする八木通商の本社となっていましたが、現在はマンション建設の為に内部を解体され、外壁のみ新しい13階建てマンションの足元に保存される予定になっています。  大阪府大阪市中央区今橋3-2-1  08年01月上旬他



 

 植物等をモチーフにしたこういった装飾はアラベスクと呼ばれ、イスラム建築に多く見られるものみたい。


 アールデコを得意にしていた國枝博は東京帝国大学の卒業生。 大阪で活躍したそうですが詳しい事が良く分からない建築家ともいわれます。






 窓や軒周りをテラコッタ(素焼きの焼き物)で飾り、建物の表情がタイルのみで平滑な印象になるのを抑えています。




 建物の裏手にあたる西面は改修を逃れ、辰野時代の面影が残っていました。


 改修を受ける前には角に塔も聳えていたそうです。


 無粋な3階部分は勿論戦後の増築。 今橋は大阪の金融街として知られる町でした。

旧金津小学校講堂

2012-05-28 18:56:23 | 山梨・新潟


 「石油王」といわれた中野貫一(1846~1928)が、亡くなるその前年に自身の地元である旧金津村に寄贈した建物(昭和2年築・1927)。 当時の金津村の小学校には不釣り合いな程に立派な講堂であり、村の年間予算が4万円だったその時代に工事費は2万円にもなるという破格の建物でした。 中野貫一は早くから石油採掘に携わり苦難を経て各地の油田開発に成功、事業を拡大する傍ら、100万円の資金を元に教育・社会事業を目的とする中野財団を設立。 その事業の一環としてこの講堂が寄贈されたようです。 建物は惜しくも平成21(2009)年に取り壊されました。  新潟県新潟市秋葉区(旧・新津市)古津88  07年06月中旬

 ※参考 『新潟県の近代建築』 1994
     『にいがたの近代建築』 2012 

 ※現存せず。







 正面中央ステージ奥に門型の構えと扉があり、そこは御真影(天皇と皇后の写真)を入れてあった部屋であるそうです。




愛媛県庁舎

2012-05-27 18:05:38 | 愛媛・香川


 3代目庁舎(明治42年築・1909)の老朽化によって建て替えられた4代目の愛媛県庁舎(昭和4年築・1929)。 設計は木子七郎(1884~1955)によるもので構造は工学博士の内藤多仲が協力、施工を東京の安藤組が担当しました。 木子家は代々、禁裏・御所に出入りする大工職の家柄で、七郎の父・清敬は宮内省関係の和風建築を手掛けたり、帝国大学の講師として我が国で初めて日本建築学を講じるなどした人物。 七郎の10歳上の兄・幸三郎も東京帝国大学の建築学科を卒業し、住友の建築部に勤めた後に宮内省に入省し宮廷建築家として活躍しました(後に独立して建築事務所を開設)。  愛媛県松山市一番町4-1  12年05月上旬他



 両翼を広げ中央には銅板葺きのドーム屋根を配す。 建設費は102万円で現在の金額に換算すると100~120億円くらいになるそう。


 ♪


 車寄せの正面には右から左に「廰縣媛愛」の文字。


 

 車寄せの装飾。


 照明部分にも装飾があります。


 内部へ。


 手の込んだ天井装飾。 


 市松模様の床は大理石。 探せばアンモナイトの化石も見つかるそうです。


 装飾がいっぱい。




 電話ボックスも建築当初からのものでしょうね。


 上階へと続く階段にも大理石が張られています。 


 ちなみにここのロビーは2階にあたります。 階数表示も昔のままですね。


 階段の踊り場にはステンドグラス。


 ステンドグラスをアップで。


 3階は赤い絨毯が印象的な空間。


 階数表示もこの通り。


 階段を上がりきった所が貴賓室。 暖炉も大理石で出来ていますが、当初から薪ではなく電気式のものであったそうです。


 

 天井のシャンデリアはガラス製で建築当初からのもの。 


 今度は4階へ。


 この円筒状の張り出しは塔屋へと続く階段部分になります。


 下部の装飾をじっくり見ていたら何か気持ち悪くなってきた(汗)。


 ここにもステンドグラスが嵌まっていますね。


 トップライトからは光が降り注ぐ。


 お約束の階数表示。


 装飾も単なる羅列ではなくデザインを微妙に変えて配しています。


 4階の正庁。 各種式典が行われる場所。


 首が痛くなるほど天井を見上げてしまいます。


 これ以上は立ち入り禁止で見られませんでしたが、柱頭の上には鷲(ワシ)の装飾などもあるそうです。


 さっき見た円筒部分の階段がこれ。


 お花模様が可愛らしい。


 ドームの下にあたる部屋は鍵がかかっていて入れなかったので戻ります。


 螺旋な階段も美しい。


 4階から見た階段室。


 別の階段から屋上も見る事が出来ました。 さっき入れなかったドーム下の部屋は会議室になっているようです。


 ここは両翼の前方に突き出した部分。


 扉の上の装飾。


 階段を一気に下って1階に到着。


 

 1階は薄暗く、見上げた上階が恋しくなります。


 そろそろお別れの時。
 

 

 日の丸と愛媛県旗が翻る。 素晴らしい建物を堪能出来た事に感謝。

旧大沢小学校本館

2012-05-26 08:55:01 |  長野県


 竣工は明治26(1893)年という木造校舎。 建設に使用された木材は村の共有林などから供給を受け、村民(当時は大沢村)のほとんどが建設に関わりを持ったという正に村民総参加の建築であったと伝わります。 昭和58(1983)年に野沢小学校と統合して大沢小学校は閉校、以降は資料館になっているようです。  長野県佐久市大沢789  12年04月上旬



 南を向く正面側はペンキも剥げかけていますが木造建築らしい素朴な風合いも好ましい。




 このファンライトが洋風に見せる大きなポイントですね。


 ブラケットは新しいものと思いますがデザインは過去のものを踏襲しているのかも。








 東西に廊下が走る中廊下式。 中央階段で上下に行くようになってるそうです。


 背面は北向きなので白く塗られたペンキもまだ残っています。 写真を良く見てたらクロネコさんがいるのに気が付いた…。


 引き違い窓の上は横棒を通した回転式の窓になっているのでしょうか。


 資料館になっていると記されていましたが開館しているかどうかは不明。


 擬洋風建築で有名な旧中込学校(明治8年)からも場所的に近いのですが、およそ18年の歳月で様式が大きく変化したのを感じます。

旧厳木郵便局

2012-05-23 18:08:46 | 福岡・長崎・佐賀


 医院診療所として使われていたこの建物は大正7(1918)年に建てられた旧厳木郵便局。 昭和28(1953)年に新局舎が竣工した事により局舎としての役目を終え、買い取られて現地に移築されてきたものになるそうです。  佐賀県唐津市厳木町厳木  09年12月下旬

 ※参考『佐賀県の近代化遺産』 2002



 正面側全景。 訪問時は廃院しているような雰囲気でしたので敷地の外からの撮影です。


 下見板で白ペンキ仕上げ、基礎はレンガ積み。


 玄関と両翼を前に突き出したEの字型の平面プランになるのでしょうか。


 懸魚があって和風の要素も感じさせます。 下のくり抜かれた図形はハート♡にも見えますね。


 小城から唐津まで行きたかったけど、時間切れの為ここで引き返す事になりました。

鹿児島県立博物館

2012-05-22 19:25:52 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島


 昭和56(1981)年1月に新規会館したこの博物館は旧県立図書館を転用・改装した建物。 それまであった木造の図書館の老朽化と利用者の増大、及び事務量の増加などにより昭和2(1927)年に建て替えられた建物にあたります。 設計は当時、鹿児島県の建築課に勤めていた岩下松雄で総工費は22万2200円、蔵書数は42、691冊にもなり規模と設備において九州で随一を誇る立派な図書館であったそうです。  鹿児島県鹿児島市城山町1-1  09年05月上旬

 ※参考 『鹿児島県の近代化遺産』 2004



 正面入口部分を円筒形に立ち上げ、左手の階段室部分にも曲面を取り入れる。


 金環日食で一喜一憂したばかりですが、この時は日本の陸地では46年振りに見られる皆既日食で沸いていました。


 庇のカーブが美しい。 支える柱頭も独特です。


 規律正しく並んだ縦長窓。




 隅部に曲面を用いるのは岩下の作品の大きな特徴になっています。  


 昭和9(1934)年築の鹿児島気象台(現存せず)。 鹿児島県政記念館の写真パネルより。


 昭和10(1935)年築の鹿児島中央高校。

遺愛幼稚園

2012-05-17 19:00:47 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 遺愛幼稚園は明治15(1882)年創立の遺愛女学校(現・遺愛学院)の附属幼稚園として明治28(1895)年に創設。 しかし明治40(1907)年の大火で建物は焼失し幼稚園は一時廃止されていましたが、大正2(1913)年に再建されたのが現在の建物になるのだそうです。  北海道函館市元町4-1  11年04月下旬



 淡いピンクの下見板が幼稚園っぽくて可愛らしい。 建物はレンガの基礎の上に建っています。


 味付けは繊細というよりは大らか。


 建物の設計者は不明ですが、杉並町にある遺愛学院の本館・宣教師館(共に明治41年築)にも通じた明るいデザインです。


 裏から見ると特徴的な屋根が良く見える。


 こちらは窓枠の白いペンキが少し剥げかかっていますね。


 平屋の附属舎が隠れていました。

 ※現役の幼稚園舎として使用されていますので見学の際は充分にご配慮願います。

旧尾県学校

2012-05-16 19:33:25 | 山梨・新潟


 尾県(おがた)学校は明治6(1873)年に谷村学校の分校として開設され、同10(1877)年に谷村学校から分離独立。 翌年には現在の建物が完成し、藤村紫朗・山梨県令を迎えて落成式が行われました。 建物は幅・奥行とも12.7メートルの正方形、屋根には塔屋が載り2階はベランダ状になっていて中央部分は半円形にせり出しています。 昭和16(1941)年に廃校になった後は地域の集会所などに利用され、昭和48(1973)年に半年に渡る復元工事が行われた後は郷土資料館となって公開されています。  山梨県都留市小形山1565-1  12年05月中旬



 朝日を受けて建つ。 後ろには中央自動車道の富士吉田線が走っています。
 

 屋根がかかってる張り出し部はベランダだと思っていたのですが、どの資料・ネット情報にもバルコニーと書かれていて私には使い分けの定義が良く分かりません。。


 5~6年前に訪問した時は内部撮影禁止だったので今回は外観の見学だけ。


 現在はキレイな白壁ですが、昔は板壁だったという。


 最近になって自分が半円・円筒形好きである事が分かってきた。


 かつては塔屋の部分に太鼓を吊って時を報じていたようです。




 網代天井。


 こちらは背面側。


 帰りにデジカメをまた落っことかし、ズームするとピントが変(涙)。

石崎汽船本社

2012-05-14 19:53:13 | 愛媛・香川


 江戸時代から続く海運業者の本社屋として三津の海岸端に建設されたもの(大正13年築・1924)。 三津は松山市周辺の海の玄関口であり、明治36(1903)年に開設された三津~尾道間航路により本州への最短窓口になるなど大変な活況を呈していました。 建物は鉄筋コンクリート造(RC造)地下一階で地上二階(一部三階)建て。 一階には事務室と応接室、二階は来賓室や会議室・食堂にあて、三階には秘書課の為の部屋を設け、職住一体型ではない(社長の住まいがドッキングしていない)事務所専用ビルとしては県内でも初期のものになるそうです。 建物の設計者は木子七郎(1884~1955)。 愛媛県で初めてのRC造である萬翠荘(旧久松定謨邸・大正11年)を手掛け、関東大震災(大正12年)後の復興事業にも携わっていたことから、この本社ビル建設にあたっては特に耐震耐火に気を配り、自らが施工監督にあたり技術指導をし、資材の購入まで細部に渡って関与していたそうです。  愛媛県松山市三津1-4-9  12年04月下旬

 ※参考『愛媛の近代洋風建築』 1983
    『愛媛温故紀行』 2003
    『三津の古建築ものがたり』 2011
    『萬翠荘物語』 2012 



 柱型の間に薄茶のタイル。 創建当初の写真と見比べても外見上の大きな変更点はありません。


 総工費は38、366円(当時)。 ちなみに萬翠荘は30万円かかったといわれています。


 2階のバルコニー。 上棟式では懸賞付きの餅まきを行い、竣工したばかりの新型船との祝賀披露を兼ねて600人もの群衆が詰めかけたという。


 装飾品の多くは大阪から調達。 


 窓枠は予算の都合で鉄枠から木製に変更、エレベーターの設置もやはり予算により中止になったそうです。


 痕跡で分かりますが、ここは出入り口になっていました。


 かつては会社の前は砂浜で泳ぐ事も出来たそうですが、埋立てや港の大改修により海岸は遠くなっています。

愛媛~高知の旅。

2012-05-09 07:19:01 | その他・雑記
 今年のゴールデンウィークは四国の西側、愛媛の川之江(四国中央市)から高知市周辺までを反時計回りした建築訪問旅。 調べ返してみたら愛媛県へは07年の10月、高知県へは06~07年の年末年始以来の訪問になりました。 5年ほどの間に蓄積した情報を元に、建築めぐりの旅へご案内。



 和田医院診療棟  М43  愛媛県四国中央市  愛媛の松山より東は今回初探訪です。


 旧為山堂医院  T元  同上


 旧県立三島中学校講堂  T13  同上


 旧富郷郵便局(М42 or T6)??  同上  山奥の個人邸の敷地内にあった建物。


 旧蕪崎郵便局(T10)?  同上  現局の近くですがこれかどうか微妙。


 岡部商店  詳細不明  新居浜市  海浜館を見に行く途中にありました。


 新居浜武徳殿  S13  同上  県内の他の武徳殿は全滅?


 旧住友病院本館  M32  同上  玄関ポーチは後付けなんでしょうか。


 旧芸備銀行新居浜支店  S6  同上  装飾の簡略化も極まれり。


 旧別子鉱山鉄道 星越駅  T14  同上


 旧広瀬邸馨原文庫  T12/S2  同上  妻面のレンガの積み方が変わっています。


 旧広瀬邸  М10  同上  最近は近代和風にも興味あり。


 旧端出場水力発電所  М45  同上  道の駅から良く見えます。


 第四通洞/四通橋  T4/T8  同上  兵どもが夢の跡。


 住友倶楽部  S11  同上  思っていたのとは印象が違いました。


 旧大浜灯台吏員退息所  M35  今治市  海~!と叫びたい。


 今治ラヂウム温泉  S2  同上  90の父親(おやじ)が修学旅行でここに来たんだ、と地元のおっちゃんが嬉しそうに言ってました(笑)。


 今治市上水道水源地ポンプ室  S11  同上


 大西町の洋館付住宅  詳細不明  同上


 旧亀岡村役場  S18~20頃  同上  旧道を漁って見つけました。


 旧飛田医院  詳細不明  同上  波止浜の旧専売局は建て替えられたみたいで残念。代わりにこれを発見しました。


 木原眼科  詳細不明  西条市


 曙湯  詳細不明  同上  これは好きなタイプです。  


 河原津のネコさん  同上  チビでもちゃんと威嚇するのね。


 旧石根郵便局  S7  同上  歩道橋の上からの眺め。


 旧永野医院  T15  同上  このままでは勿体なさすぎる。


 日本基督教団 川上教会  詳細不明  東温市  昭和9年の建物か??


 旧南吉井信用購買組合事務所  T~S初  同上  閉鎖されているみたい。


 旧南予鉄道 岡田駅  М43頃  松前町


 鍵谷カナ頌功堂  S4  松山市  松山ゆかりの木子七郎の作品。


 旧新田中学校本館  S15  同上  


 旧白楊会館  S9  同上  繁盛してるようですね。


 宮前川の鳥さん  同上  この落着きっぷりに憧れる。


 旧濱田医院  T12~15頃(伝)  同上  まだ残っていました。産婆の資格を持つ者と看護師がそれぞれ2~3人働いていたそうです。


 旧石川医院?  詳細不明  同上  N○K的には真っ赤なクルマ。筋違いには旧今治商業銀行の建物も残っていました。


 石崎汽船本社  T13  同上  こちらも木子作品。


 М邸  詳細不明  同上  旧医院と思います。


 道後温泉本館  М27  同上


 道後温泉駅  S61  同上  М44の建物を新築復元。良く出来ています。


 旧湯築尋常小学校  М40  同上  変貌ぶりに愕然。もしやレプリカ? 


 旧愛媛県立松山測候所  S3  同上  内部見学してみたい。


 愛媛県教育会館  S12  同上  階段がギシギシ軋みます。


 萬翠荘  T11  同上  展示があって今回は内部撮影出来ませんでした(無念)。


 愛媛県庁舎  S4  同上  この建物を文化財として認識し、公開している姿勢も素晴らしい。  


 旧上浮穴農林学校 知今堂  S19  久万高原町


 旧大西旅館  詳細不明  同上  見るからに危なっかしいね。


 渓泉亭  S5~6  同上  これを眠らせてしまうのは惜しい。


 仕七川小学校講堂  S37?  同上  見つけた時はもっと古いかと思った。


 大瀬診療所  詳細不明  内子町  旧役場の近くにありました。


 旧二宮医院(T4)?  同上  3階建なので凄く目立つ。 


 旭館(電気館)  T14  同上  改修するという噂も現地で聞きましたが本当でしょうか。  


 旧内子警察署  S11  同上  ファサードが波打っていて心配。


 三瀬医院  S4  大洲市


 大正湯  T5頃?  八幡浜市  30分ほどの八幡浜訪問でした。


 旧預州銀行本店  S11  同上  トナカイの角みたいな電柱をどうにかしたいね。


 白石和太郎家洋館  М末  同上  3度目の正直でようやく内部見学。


 旧紀伊野歯科医院  S11  西予市  違う建物を探していて発見。


 旧魚成尋常高等小学校講堂  S10  同上


 旧城川文書館  詳細不明  同上  旧銀行(М20頃)という情報もあります。


 旧松丸郵便局  S4  松野町  屋根瓦に〒マーク確認しました。


 旧奥南村役場(S12)?  宇和島市  過去の経験と直感ではこれ。


 H邸  T15  同上  何とも言えぬ雰囲気のある洋館。


 旧清満郵便局  S14  同上  


 旧御内郵便局(S9)?  同上  これも確証がありません。


 I家住宅  S13  愛南町


 叶崎灯台  М44  高知県土佐清水市  高知に突入。


 叶崎  同上  高いトコ苦手なのでこれ以上が踏み出せない。。


 旧北ノ川郵便局  詳細不明  四万十町  可愛い番犬にガウガウ吠えられるので遠くから撮影。


 旧須崎警察署佐川分署  М19  佐川町  ちょっと残念な形での再移築です。


 若藤美髪館  S元  仁淀川町  なんかピンボケってる(汗)。


 白石工業交友クラブ  S11  須崎市  お気に入りの一枚。


 旧三浦商店  T中期  同上  公開されてました。


 I邸のレンガ  T元  高知市  水面に浮かぶ。


 織田歯科医院  T14  同上  サービスショット。


 聖パウロ教会礼拝堂  S5  同上  隣の個人邸も気になります。


 村田建材店  S6  同上


 刈谷石灰工業所  T期  同上  知らなきゃ見つけられない。


 N邸  詳細不明  同上  上の刈谷石灰工業所を探している時に遭遇しました。


 旧島村写真館  S期  同上  緑のドイツ壁とのドギツイ配色。


 旧高知県電気局庁舎  S2~3頃  南国市  やっぱり好きなんだなぁ。


 旧前浜劇場  詳細不明  同上  廃劇場見つけました。


 旧久礼田劇場  詳細不明  同上  建物が傾いています。


 稲生の個人邸  詳細不明  同上


 稲生の建物  詳細不明  同上  場所的に石灰関係の事務所建築と思われます。


 旧郵便局  詳細不明  香南市  外観は平凡ですが内部がいい感じ。


 龍河洞  香美市  鍾乳洞はけっこう好き。


 旧美良布信用組合  S5  同上  最後は正義のヒーローで華麗に締めくくる。