旧教業小学校

2012-09-26 19:10:09 | 京都・兵庫


 明治2(1869)年1月の町組(町単位で集まった地域的な住民自治組織)の改組により進められた京都の小学校の創設は、年内に64校もの小学校(いわゆる番組小学校)の開校へと繋がります。 教業小学校もその時に開校した歴史ある学校で、写真の建物は昭和7(1932)年に建て替えられた鉄筋コンクリート造のものにあたります。  京都府京都市中京区三坊大宮町  12年09月下旬



 敷地の南側一杯に建てられた校舎。 児童の減少による小学校の統廃合により現在は廃校になっていますが、地域のコミュニティ施設のような使われ方をしていると思われます。


 国による学制の施行は明治5(1872)年の事。 京都の番組小学校はそれに先立つ日本最初の近代的学校教育制度でした。




 ちょっとだけ中を拝見。








 建物の外観上の見所はこの玄関部。 三角出窓はアールデコというかキュビズム風とでもいうのでしょうか。 設計は京都市営繕課によるものです。


 この日時計は昭和28(1953)年3月の卒業記念。 この時の卒業生はもう70歳を超えていますね。 


 …トーテムポール?




 奥には戦後に建てられたと思しき色白校舎。


 北側のグラウンドから。 右手には体育館も見えます。


 近くの住宅には校内清掃の日付と参加を呼び掛けるビラも貼りだされていました。 校舎建設・整備の財源の一部は町衆など学区民も調達していたと聞くので、小学校校舎は地域の誇りや歴史の象徴として慕われるような存在なのかも知れません。

山本医院

2012-09-21 07:29:16 | 富山・福井


 鯖江の市街地から東に4~5キロ、磯部町の道路沿いに建つピンク色の洋館医院。 福井県の近代化遺産調査では大正12(1923)年の建築、恐らく現役の医院ではないものと思われますが建物の傷みも少なく大切にされてる様子がうかがえます。  福井県鯖江市磯部町  12年09月中旬



 寄棟造の玄関ポーチ。


 「∧本(山本)」の銘が入った特注の瓦です。
 

 玄関ポーチの上にも同じく「∧本」。


 2階の窓の下部が1階の屋根にかかっています。 内部は畳敷きの和室になっていて掃出し窓のようになっているのか、それともこの1階の張り出し部分は後の増築なのでしょうか?


 木製の建具がいい感じです。




 事前のネット検索ではヒットしなかったので期待してませんでしたが、こんな大物が残っていようとは。 まだまだ全国各地にはお宝物件が眠っているのかも知れませんね。 

滝の上発電所

2012-09-07 18:10:40 | 北海道 その他のエリア


 大正13(1924)年、北海道炭礦汽船(北炭)により夕張川沿いに建てられた水力発電所。 2年後に竣工した清水沢火力発電所と共に北炭の各炭鉱(ヤマ)に電力を供給してきました。 しかし昭和62(1987)年の真谷地炭鉱の閉山により北炭は夕張での採炭事業から撤退、この発電所も平成6(1994)年に北海動企業局に1億円余りで譲渡され、現在は4~5月の融雪期のみの発電に供されています。  北海道夕張市滝ノ上5  11年05月上旬

 ※参考『道南・道央の建築探訪』 2004
    『そらち炭鉱遺産散歩』 2003



 イギリス積みのレンガ。


 ☆印(五稜星)は北炭の社章。 この部分は色ガラスが嵌まっています。


 レンガも苔生しる。




 櫛形窓の上にアーチ窓。 反対側の側面にこのアーチ窓はありません。


 

 雨混じりの天候で煉瓦の色も冴えず。


 道内における私企業設置の発電所としては最初の物だそう。 小規模ですが発電コストが安かった為に有効に活用された施設だったといわれます。

旧永井医院

2012-09-04 18:25:38 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島


 国道270号に面して建つ木造平屋のこの建物は、大学を卒業後にこの地で開業した施主により大正初期に建てられたものと伝わります。 その後、御子息が跡を継ぎましたが平成12(2000)年に閉院し、以来内部はそのままに残されて今日に至っているそうです。  鹿児島県日置市東市来町伊作田  12年01月上旬

 ※参考『鹿児島県の近代化遺産』 2004 



 積年の風雨に晒され表札の文字もかすむ。


 窓枠や扉が変更されているのも已む無しです。




 内部は和風の造りになってるよう。 さすがに敷地内に立ち入って中を覗くのは憚られます。




 大正元年は1912年。 一世紀にも渡る時の重みが建物にまつわりつく。

定金家住宅

2012-09-01 15:38:52 | 岡山・広島・山口

 
 町名の由来ともなっている金光教本部のある町に建つ白壁、スティックスタイル風の洋風建築。 歯科医院兼住宅として大正6(1917)年頃に建設されたもののようです。  岡山県浅口市金光町大谷  11年01月上旬

 ※個人邸ですので見学の際は充分にご配慮願います。



 シンメトリーな外観に対して門の位置は少し南側にオフセット。






 ハンマービームトラスを模したといわれる妻飾り。




 正面(東側)は洋風、西側は和風住宅が繋がります。


 男尊女卑の時代にも金光教の教えには「女は神に近い」という万人平等、女性尊重という人間観があったそう。 平塚らいてうの「原始、女性は実に太陽であった…」というフレーズが思い浮かぶ(良く知らないケド)。。


 線が細いというか繊細なタッチの建物です。