碌山美術館

2012-10-10 19:46:24 |  長野県


 日本近代彫刻の先駆者であり、東穂高村(現・安曇野市)出身の荻原碌山(1879~1910)の作品と資料を保存・公開する為に建設された個人美術館(昭和33年築・1958)。 まるで教会のような佇まいの建物は早稲田大学理工学部建築学科の主任教授だった今井兼次の設計によるもの。 キリスト教に傾倒し洗礼を受けた碌山にちなんだ建物は、①碌山の精神に通じる教会風の建物、②明治近代化のシンボルであるレンガを用いる、③北欧の風土に似た安曇野の自然と融合する構造、という事を意図して設計されたといわれています。  長野県安曇野市穂高5095-1  11年03月中旬

 ※参考『近代化遺産 ろまん紀行 東日本編』  2003



 29万9100余人から873万円もの寄付が集まって誕生した美術館。 建設工事には地元中学の生徒達も参加しレンガや玉石運びに協力したという。


 屋根に載る鐘楼。 本当に教会のような建物です。


 頂には不死鳥(フェニックス)。


 構造は鉄筋コンクリート造で外壁にレンガを使用しています。






 今井兼次(1895~1987)は昭和22(1947)年に妻・マリア静子を亡くした事をきっかけにカトリック受洗。 


 戦後においても戦前の表現主義的な建築を設計した今井ですが、この建物にはそうした要素は無いように思います。






 荻原碌山(本名・守衛)は農家の生まれ。


 当初は絵画を志し渡米するも、フランスで見たロダンの「考える人」に深く感動し次第に彫刻への志向が強くなっていく。


 取っ手に注目。 ドアノッカーもキツツキ型をしていて面白いですね。




 恋の三部作といわれる「文覚」「デスペア」「女」といった作品は、郷里の先輩でパトロンでもあった相馬愛蔵の妻・黒光(こっこう)への叶わぬ想いや絶望感、心でしか結ばれない苦悩などから生み出されたものという。


 LOVE IS ART、STRUGGLE IS BEAUTY.(愛は芸術なり、相剋は美なり) 守衛の求め続けた言葉が刻まれる。    


 3月の信州はまだ寒い。
 

 積み上げたレンガに温もりが灯る。




 ロマンチシズムな建物はひと際気高く美しい。

旧大沢小学校本館

2012-05-26 08:55:01 |  長野県


 竣工は明治26(1893)年という木造校舎。 建設に使用された木材は村の共有林などから供給を受け、村民(当時は大沢村)のほとんどが建設に関わりを持ったという正に村民総参加の建築であったと伝わります。 昭和58(1983)年に野沢小学校と統合して大沢小学校は閉校、以降は資料館になっているようです。  長野県佐久市大沢789  12年04月上旬



 南を向く正面側はペンキも剥げかけていますが木造建築らしい素朴な風合いも好ましい。




 このファンライトが洋風に見せる大きなポイントですね。


 ブラケットは新しいものと思いますがデザインは過去のものを踏襲しているのかも。








 東西に廊下が走る中廊下式。 中央階段で上下に行くようになってるそうです。


 背面は北向きなので白く塗られたペンキもまだ残っています。 写真を良く見てたらクロネコさんがいるのに気が付いた…。


 引き違い窓の上は横棒を通した回転式の窓になっているのでしょうか。


 資料館になっていると記されていましたが開館しているかどうかは不明。


 擬洋風建築で有名な旧中込学校(明治8年)からも場所的に近いのですが、およそ18年の歳月で様式が大きく変化したのを感じます。

軽井沢ユニオンチャーチ

2012-04-20 20:01:12 |  長野県


 宿場町としての役割を終えて衰退していた軽井沢を、外国人向けの避暑地として紹介し開発の基礎を築いたのがA・C・ショー(1846~1902)ならば、まちづくりの基礎を築いたのがカナダ・メソジスト教会の宣教師であったダニエル・ノルマン(1864~1940)という事になります。 彼は軽井沢を清潔な保健的静養地としてまとめ上げ、布教活動の傍ら町の環境衛生や自然保護、文化活動に尽力したと伝わります。 このユニオン教会もノルマンがカナダ・メソジスト教会からの資金援助を得て、キリスト教各派合同の礼拝所としてウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)の設計により完成させたものです。 以来、今日まで礼拝のみならず各種の集会や音楽会が開かれるど、軽井沢の夏を記憶する代表的な存在となっています。  長野県軽井沢町軽井沢  07年9月上旬他 



 ここではヴォーリズ設計で大正7(1918)年完成という説を取りますが、、ユニオンチャーチのHPを見ると官営鉄道の高級技師用クラブハウスを買い取り改装、明治39(1906)年から教会として使用と書かれています。 真相はどちらなんでしょう?


 外観だけ見ると近年復元された新しい建物みたい。 改修に改修を重ねて現在に至っているようです。 




 優しい心遣い。


 白色のペンキで塗られていて清潔感があります。


 大きな空間が広がる。


 小屋組みも見えて解放的ですね。








 2階へはこの階段から。


 ちょうど玄関の真上の部屋にあたります。


 1階だけで200人位は軽く座れそう。




 派手さはありませんが木の温もりを強く感じる癒しの空間です。
 

 外へ。




 こんな張り出しもあります。


 木漏れ日の中を歩いていく。



 こちらは日本聖公会 軽井沢教会の司祭館(昭和初期築)。 今まで気付きませんでしたが長野の近代化遺産調査ではヴォーリズの設計となっています。


 1階のガラス部は後の増築でしょうか。 側面に窓が少ないようにも感じます。


 隣接するショーハウス記念館の2階から。

旧志賀村役場

2012-04-03 18:15:37 |  長野県


 明治34(1901)年築。 正面中央部を凹ませて入母屋屋根を載せた玄関ポーチを設置し、前に突き出した両翼部分は階段室に充てています。 志賀村は昭和30(1955)年に三井村と合併して東村となり、さらに昭和36(1961)年には4町村合併により佐久市の発足へと続いているようです。  長野県佐久市志賀中宿  10年09月上旬



 左右対称の造りは庁舎建築の定番。






 中を覗くと内部は畳敷き。 転用されてからの改装でしょうね。


 「志賀老人連合会憩の場」・「志賀遺跡保存会事務所」という2つの看板がありました。


 破風には湧き上る雲をイメージしたような装飾。 擬洋風建築の延長線上にある建物という印象です。




 割れたガラスから階段の手摺部分が。。。


 建物横手の扉。


 


 付近には旧志賀村の面影が今も残るかのようでした。

長野商業高校同窓会館

2012-01-18 20:05:11 |  長野県


 明治33(1900)年創設、今年で112年目を迎える伝統校の正門脇にあるこの建物は、大正9(1920)年に開校20周年の記念事業として建てられたもの。 ファサードは平滑で装飾類も簡略・省略化されており、ある意味大正建築らしい雰囲気が感じとれる建物となっています。 長野県長野市妻科243  11年5月下旬



 扉やサッシは現代的な物に取り換えられていて利便性が図られる。




 建物の印象を決定づけるペディメント付近の装飾。


 日当たりの良い建物南面。


 木造2階建てです。




 こちらは北面。 上から見ると平面はT字型ですね。


 この建物が文化財にも指定されていないのは少々驚き。 埋もれた建物にならない事を祈りたい。

旧瀧澤医院

2011-07-11 20:43:18 |  長野県


 明治28(1895)年築の擬洋風医院。 家主は下久堅村の医師の家庭に生まれ、医大を卒業して内務省衛生局選抜医から高松病院長にまでなりましたが肺病を患って帰郷。 父親の跡を継いで診療に当たり、やがて西洋医学の治療にふさわしい施設が必要となってこの医院を建てたと伝わります。  長野県飯田市虎岩  11年07月上旬

 ※参考 『長野県の近代化遺産』  2009



 門と建物が一体となったような面白い形。 一階は診療室と手術室、二階は入院用の居室になっているという。 


 鉄柵が閉まっていて近付けません。 基礎の部分は漆喰を使った擬石風仕上げでしょうか。 


 平成18(2006)年に解体修理を行っているようですが、向かって左側は下地が剥き出しになってしまっています。 


 左手に付属する建物。 


 下から見上げるとこんな場所に建っています。 5月に行ったときはボンヤリしていて発見できなかった。。。  


 100年以上も変わらない光景。 長野はお宝物件が本当に多いですね。
 

旧河南村役場

2011-07-10 15:28:10 |  長野県


 昭和39(1964)年に高遠町(当時)に編入されてその歴史に幕を閉じる事になる河南村の村役場として昭和11(1936)年に完成したもの。 外壁の一部にスクラッチタイルをあしらった木造2階建ての瀟洒な建物です。 伊那谷のフィルム・コミッションで紹介され各種撮影の誘致が行われている建物でもありますが、実際に目にしてみると先行きがとても不安に感じられるような状態でした。  長野県伊那市高遠町  11年07月上旬



 崩れてしまっていますが玄関ポーチの上はバルコニーになっていたと思われます。


 ペディメント部分のアップ。




 簡略化された柱頭部分。




 建物の前面部分は瓦礫等の散乱で足場が悪くなっていて近寄りにくいです。


 荒れているというより解体が始まっているようにも見えるのですが…。


 床下換気口のグリル。


 背面の平屋部分は後年の増築っぽい(?)。 現在は個人所有という情報もあったのでこちらを生活の場にして暮らしていたのでしょうか。


 窓ガラスの割れっぷりも酷いですね。


 この日は平年より12日早い梅雨明けの日で35℃近い猛烈な暑さ。 恨めしい青空をデジカメの「ワンポイントカラー」で抜き出してみました。


 こちらは同じく「ノスタルジックモード」での撮影。 この建物が何かの撮影で使用される日は本当に来るの? 

旧滋野郵便局

2011-05-22 19:15:02 |  長野県


 しなの鉄道・滋野駅前にある昭和2(1927)年完成の旧郵便局。 疲れた体に元気を与えるミルクココアのような色合いが、「ほっこり」とした気分にさせてくれる建物です。 現在は古物商の看板が掲げられているのが妙にマッチしてますね。  長野県東御市滋野  11年05月中旬
 











JA須高 井上支所

2010-07-12 07:04:48 |  長野県





 旧井上販売購買利用組合(昭和3年築 1928)。 細部は異なりますが正面から見るとほぼシンメトリーな外観をしていて落ち着きを感じさせる建物です。 昭和2年の金融恐慌の直後ということもあり、不安感を払拭する為に信頼感や安定性といったものを意識して建てられたかも知れません。 玄関の上にあるマークは「産」という字に読めますが、組合員が手掛ける「産物」とか「産業」に意味を掛けているのでしょうね。  長野県須坂市幸高447-イ  08年08月上旬 

 

茶房 銀のポスト

2010-04-06 07:08:52 |  長野県





 昭和12(1937)年築の旧蓼科郵便局。 昭和52(1977)年に現局が西隣に建てられた為、現在は喫茶店として使用されています。 右手にお座敷が続いているのが他では見ない面白い構造で、どうやら建設当初からのもののようです。  長野県茅野市北山蓼科4035  09年11月上旬他

 ※参考 『信州の近代遺産』  2006

新生病院礼拝堂

2010-03-05 18:48:43 |  長野県






 蔦のからまるこの神秘的な建物は、カナダ聖公会により開設された結核療養所(旧新生療養所)に建てられた礼拝施設(昭和9年築 1934)。 療養所建設交渉にことごとく失敗し、ようやく34番目の候補地であったここ小布施に開かれたものだという話も伝わっています。 昭和53(1978)年に結核病患者の入院は止められ結核療養所としての使命は終えましたが、現在はキリスト教の精神に基づいた総合的な医療が続けられているそうです。  長野県小布施町小布施851  07年10月下旬他

 ※施設の性質上、見学の際はご配慮願います。
 


旧日本勧業銀行松本支店

2009-09-12 07:00:00 |  長野県





 現在はホテル併設型のウエディング施設となっているこの建物は、昭和12(1937)年に建てられた、かつての日本勧業銀行の松本支店です。 オーダーやペディメントといった古典様式を用いた典型的な銀行建築ではありませんが、放物線を描く正面の7連アーチが新しい時代の銀行建築としての格式を存分に感じさせます。 設計は日本勧業銀行の営繕課?  長野県松本市大手3-5-15  06年07月中旬他


 ※おまけ こちらは同じ通りにある青翰堂さん(古書店)。 両側をビルに挟まれてしまって窮屈そうですが、ぷち松本城といった趣が可愛らしく、屋根(天守)にはちゃんと鯱も載っています。


駒ヶ根市郷土館

2009-07-01 00:00:00 |  長野県




















 大正11(1922)年に建てられた旧赤穂村役場の本庁舎部分を移築して郷土館として開設。 屋根の上に載っかる時計塔がポイントの洋風村役場です。 平面図をみると微妙に左右対称を崩していますが、ほぼシンメトリーの造りになっていてとても美しいフォルム。 現在は建物右手から内部に入るようになっていますが、正面入り口から中を見てみれば真正面に2階へと通じる階段が左右に分かれていて、その2階にはガラスケースに収められた鳥獣類の標本が飾られています。 1階は右手にかつての食堂、左手には同じく事務室が置かれており、この事務室は銀行のカウンターのような受付があって、壁際にはステージ状になった議長壇が移築復元されています。 建物各部には様々な装飾が施されていて、それらを見つけ歩くのが楽しい建物だと感じました。 設計は伊那村出身の工学博士・伊藤文四郎によるもので近世コロニアル式、内部は近世ルネサンス様式を取り入れてあるそうです。 当時の赤穂村の総予算の3割近い工費で完成。  長野県駒ケ根市赤穂  07年03月下旬他

 ※写真が一部大きくなります。

旧東川手村役場

2009-04-07 07:17:57 |  長野県



 信号待ちの車内から屋根の換気窓に気が付いて、“ねこまっしぐら”的に向かって見つけた建物。 ネット検索で昭和6(1931)年築の旧村役場らしいという事は分かりましたが、それを確認出来るような資料も持ち合わせていなくて保留物件にしていました。 ・・・が、しかし、記事にでもしようかと思って久々にこの建物を検索にかけてみたら、去年(2008年)の暮れに解体されたような情報が。 こんな事になるならば、もっと早くに紹介しておけば良かったですね・・・。 少々野暮ったさが残りますが、2連のアーチ窓や半円の換気窓などが可愛らしい建物でした。  長野県安曇野市明科東川手  08年05月中旬  現存せず?   

 ※写真が一部大きくなります。 


 ※おまけ こちらは同じ時に見つけた不明建物(距離的には少し離れます)。 土蔵造りの旧郵便局で、火避けの呪(まじな)いか屋根には一対の鯱が載り、懸魚には波に躍る魚の姿が彫られています。 空家のようでしたが、いつ頃の建物なのかはサッパリ分かりません。。。  明科中川手栄町