気仙沼カトリック教会

2007-01-31 07:02:23 | 南とうほく (宮城・山形・福島)



 明治42(1909)年築の教会堂。 設計はパリ外国宣教会のオージェ神父とも云われます。 昭和8(1933)年築の司祭館は無くなったようですが、お隣には幼稚園が併設され、この建物も施設の一部として大切に使われているようです。  宮城県気仙沼市南町1-1-1  05年09月中旬他

 ※本文に加筆修正を加えました。
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旧阿波商業銀行 小松島支店

2007-01-30 07:07:36 | 徳島・高知





 大正15(1926)年に建てられたRC造の銀行。 阿波商業銀行は現在の阿波銀行の前身で、明治29(1896)年に本格的な銀行業務をスタートさせて今日に至っています。 この建物は同銀の小松島支店として使われた後、現在は個人邸として大事に使われているようです。  徳島県小松島市松島町  06年12月下旬他
 
 ※個人邸ですので見学の際はご配慮願います。
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旧石巻ハリストス正教会教会堂

2007-01-29 07:08:02 | 南とうほく (宮城・山形・福島)





 国内では現存最古の木造教会堂(明治13年築 1880)。 もともとは石巻市千石町に建てられていましたが、昭和53(1978)年の宮城県沖地震(M7.4 震度5)で被災し、現在地に移築復元されました。 保存にあたっては市民の声による後押しが大きかったといわれます。
 
 近くにある石ノ森萬画館が大勢の親子連れで賑わうのとは対照的に、初秋の高い空の下、静かに内部を見学させてもらいました。 1階は畳敷きの集会室になっていて、壁のような階段を上がって振り返るとそこが聖所になっています。 ここにはいくつかのイコン画がありましたが残念ながら写真による複製のようです。 2階は天井が結構低いので背の高い方は注意が必要だとも思いました。  宮城県石巻市中瀬3-18  05年09月中旬他
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小高熹郎記念館

2007-01-28 09:04:05 | 埼玉・千葉




 大正期に古川銀行鴨川支店として建てられ、昭和初期に現在地に移築。 この建物を買い取った小高熹郎(おだかとしろう)氏は衆議院議員であり、館山の水産業等の発展に貢献。 『里見節』の作詞なども手がける文化人だったらしく、生前この建物を自身の文芸資料の展示に使用していたといいます。 氏の没後ここは閉じられていましたが、現在はNPO法人により海辺のまちかど博物館として活用されることになりました。  千葉県館山市館山 07年01月上旬

 ※10年04月上旬再訪。 写真を全て変更しました。
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迎賓館 (旧赤坂離宮) その2

2007-01-26 07:11:23 |  東京都









 その1の補足です。 迎賓館は平成20(2008)年3月まで改修工事中のため、今年の一般参観は行われません。 例年、5月に往復ハガキによる応募・抽選の後、6月下旬頃に当落の通知が返って来ます。 そして7月末から8月初旬の10日間だけ見学が出来るという手順です。 詳しい参観案内は、5月頃に新聞や総理府のHPにお知らせが出ると思いますのでそちらを参考にして下さい(来年以降です)。 注意点を1つ挙げるならば、年齢制限(満16歳以上 乳幼児の同伴不可)がある事でしょうか。 内部は4間(彩鸞・花鳥・朝日・羽衣)と中央階段(2階ホール)を見る事が出来ますが、写真撮影は出来ません。 洋風にちょっぴり和風が混じった内装はけっこう変な感じですが、とにかく凄いの一語に尽きます。 真夏の東京の暑さは尋常ではありませんが、それを差し置いても一見の価値有りだと思いますので、とりあえずハガキを書いて応募してみてください。  東京都港区元赤坂2-1-1  05年08月上旬
 
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標茶町郷土館

2007-01-25 07:06:49 | 北海道 その他のエリア



 塘路湖を見下ろすように建つこの洋館は、明治18(1885)年築の釧路集治監本館だった建物。 集治監(しゅうじかん)とは現在でいう刑務所の事で、北海道の開拓の為に全国から重刑囚が集められ、厳しい環境下で未開の原野を切り開き、硫黄採掘・道路整備などの土木工事に従事させられました。 政治思想犯なども多く収容され、過酷な労働下では命を落とすものも数知れませんでしたが、次第に強制労働的な使役は減り、明治34(1901)年に網走分監(網走刑務所の前身)にその機能は移され、釧路集治監は廃止されました。
 
 この建物は昭和44(1969)年に現在地に移築され、郷土館として歴史や自然についての資料が展示されているようです。 日没前に辿り着いた洋館を前にしながら、北海道開拓の歴史に思いをやると、多大な犠牲の元に今日の生活基盤が築かれている事に感慨深いものが込み上げてきました。  北海道標茶(しべちゃ)町塘路(とうろ)56  06年05月上旬


 ※おまけ 郷土館に隣地にある塘路旧駅逓。

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迎賓館 (旧赤坂離宮) その1

2007-01-24 12:19:39 |  東京都







 かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった元赤坂の広大な敷地に、東宮御所として10年もの歳月をかけて建てられる(明治42年 1909)。 設計者の片山東熊(とうくま 1854~1917)はルーブル、ベルサイユなどの宮殿を精査しつつ単なる真似でなく、独自の意匠を取り入れこの大作を完成させたといいます。 しかし宮殿として使用されたのはごく限定的であり、戦後は国会図書館や裁判官弾劾裁判所、東京オリンピック組織委員会などに使用されました。 その後、日本を訪れる外国賓客の増加に伴う接待施設の必要性から、村野藤吾(1891~1984)らの設計協力により大規模な改修工事が行われ、昭和49(1974)年に迎賓館として生まれ変わりました。
 
 平成17年の一般参観に当選しましたので、その時の写真を掲載します。 なかなか写真点数を絞りきれず迷いましたが、せっかくですので2回に分けてお伝えします。 その2もしばらくお待ち下さいませ。
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北室医院

2007-01-23 07:06:59 | 徳島・高知




 線路脇に居を構える町のお医者さん(大正11(1922)年築?)。 今も営業中だと思われます。 地域に根差した建物が、本来の目的通りに何十年も使用され続けるというのは満ち足りた幸福なのかもしれません。 願わくば何時までも変らぬ光景でありますように。  徳島県つるぎ町半田松生  06年12月下旬

 ※追記 どうやら閉院したようです。
  10年03月中旬再訪。 写真の追加・変更を行いました。
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中標津町郷土館緑ヶ丘分館

2007-01-22 07:09:17 | 北海道 その他のエリア



 旧根釧農業試験場陳列館(昭和3年築 1928)。 昭和58(1983)年に現在地に移築されました。 農業関係の資料を展示しているらしいのですが、内部は見ていません。 基本的に5~10月の土日祝日に開館しているようですが、緑ヶ丘森林公園内の坂道の途中の木立の中に、ひっそりと隠れるように建っているので気づきにくいかも知れません。  北海道中標津(なかしべつ)町丸山4-3  06年05月上旬
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御前湯

2007-01-21 09:08:00 | 島根・鳥取




 美人・美肌の湯として有名な有福(ありふく)温泉。 およそ1350年前に発見されたという小さな温泉地は、山肌に沿って建物が所狭しと並んでいます。 入り組んだ階段を登って辿り着いた御前湯(ごぜんゆ)の建物は昭和5(1930)年に建てられたもので、地元の人間のみならず訪れた者みんなが愛着を持てる公衆浴場であり、疲れを癒しながらゆっくりと温まる事が出来る冬の日の日溜りのような所です。  島根県江津(ごうつ)市有福温泉町  05年09月下旬他
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旧制弘前高校外国人教師館

2007-01-20 07:27:08 | きた東北 (青森・秋田・岩手)




 大正14(1925)年築。 旧制弘前高校で教鞭をとった外国人教師の為の住居で、当初は富田3丁目に2棟が対になって建てられました。 近年まで弘前大学の教官宿舎として使用されていましたが道路の整備計画に伴って解体話が持ち上がり、2棟の内1棟が現在地に移築されました(2004年)。 綺麗に修復された建物は創建当時の輝きを取り戻し、現在は登録有形文化財にも指定されています。
 
 実をいうとこの建物の存在は全く知らなかったのですが、旧偕行社に向かうところを道を間違え、Uターンして戻る途中で偶然にも見つけました。 見つけた時もどこかの住宅会社のモデルハウスかと最初は思ってしまったのですが、帰宅して調べたら上記のような事でようやく納得出来ました。  青森県弘前市文京町1 弘前大学敷地内  05年08月中旬他

 ※07年04月下旬再訪。 写真の追加・変更を行いました。
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天神荘(旧合川営林署)

2007-01-19 07:12:09 | きた東北 (青森・秋田・岩手)





 解体か保存か―  昭和7(1932)年に天神貯木場の事務所兼宿泊施設として厳選された天然秋田杉で建てられた天神荘。 かつては皇族や美空ひばりをも迎え入れたという歴史ある建物は、老朽化という名のもとに解体されてしまうのでしょうか。 米代川の屈曲点に位置し雄大な眺望を得る引き替えに、湿気という難敵と十数年にも及ぶという閉鎖状態が建物を苦しめます。  秋田県能代市二ツ井町麻生字麻生  05年11月中旬

 ※解体されたようです。
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旧清満郵便局

2007-01-18 07:05:03 | 愛媛・香川



 玄関ガラスに、「そろばん あんざん」と書かれたポスターが貼られているところを見ると、今は学習塾として使われているのでしょうか。 中からはピアノ?の音が漏れ聞こえ、正月を迎えたばかりの静かな町並に優しい音色を響かせていました。 昭和14(1939)年築。  愛媛県宇和島市津島町岩淵  07年01月上旬
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山辺道文化館

2007-01-17 07:08:32 | 福岡・長崎・佐賀




 
 中野病院診療棟として久留米市花畑で建設中のものを、草野町に移築して完成したもの(大正3年 1914)。 昭和52(1977)年の廃院後空家となり荒廃していましたが、久留米市が買い取り修復・整備され以前の雄姿が蘇りました。 現在は無料の休憩施設・ギャラリーとして開放され、2階には喫茶室も在ります。 館内にはかつての病院建築の名残がそこかしこに溢れ、大正時代の香りが味わえるところとなっており、かなりお勧めの建物です。  福岡県久留米市草野町草野487-1  05年05月上旬
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防衛館

2007-01-16 07:18:13 | きた東北 (青森・秋田・岩手)




 明治11(1878)年に青森市筒井に青森第五連隊本部兵舎として建てられる。 戦後は青森高校の施設として使用されましたが荒廃し、その歴史的価値への憂いから現在地(青森駐屯地内)に移築されました(昭和43年 1968)。 八甲田雪中行軍遭難の勇士が起居していた兵舎である事から、現在はその関連資料他が展示されています。
 
 ダメ元で守衛の自衛隊員さんに見学依頼したところ、あっさりOKが出てちょっと拍子抜けしながらも内部を見させてもらいました。 付き添いの隊員さんと一緒に見てまわる事になりますが、平日であれば解説担当の隊員さんがいて見学出来るようなお話でした。 資料によっては明治8(1875)年の建築ともいわれます。  青森県青森市浪館近野45?  05年08月中旬
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