坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『ネット右翼』の意見

2008年07月22日 | 坊主の家計簿
 7月22日

 雑費  レンタル         105円
     歯医者         2710円
 食類  ミネストローネ2     196円
     きゅうり          78円
     パン           140円
     MIU2          136円
     レタス          128円
     ハンバーグ        129円
     インスタント味噌汁     98円
     ステーキ         292円
     チキンラーメン5     298円

 合計              4310円
 7月累計           95296円

 レンタルは『ザ・ハリケーン』(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31902/
 これって一度観たかなぁ。。。まあ、別に2回観てもエエねんけど。
 なんだが、今日は見ず。

 お休みだったので、ゆっくりと昼ぐらいまで寝る。歯医者に電話して予約を入れる。その間に公文の筆ペンテキストを仕上げて、いざ歯医者へ。
 なんか、説明を聞いたのだが、休みなので頭はボケーっとしている。なんかよう解らんのだが、骨を少し削る。麻酔が切れている時間なんだが、別に痛くもない。昨夜のイヤな痛さが無くなってエエ感じである。んが、当然、今日は禁酒。さすがに口の中の骨を削った日に飲酒はまずいやろ。風呂も歯医者に行く前に入ったし、後で軽くぬるめのシャワーを浴びるだけにしよ。

 歯医者から帰ってテレビをつける。チャンネルを弄っていたら鈴木邦男が。。。ゲストなんだろうか?レギュラーなんだろうか?なんかよう解らんけど関西ローカルの『ムーブ!』っちゅう、情報番組に勝谷氏なんぞと並んでコメンテーターとして出てた。
 当然、見る。「ファンか!」なんだが、まあ、ファンである。
 ちなみに最近、私には『さまーずの三村』が取り憑いている。なんかよう解らんのだが、三村が取り憑いていて突っ込み癖がついてしまっている。よう解らんのだが。
 で、鈴木邦男のコメンテーターである。
 鈴木邦男って、情報番組のゲストとか、あるいは本等の言論は素晴らしいのだが、ああいう情報番組での様々な情報に対してコメントを云って行く事には向いてないような気がするのだが。。。ああいうのはキャスターから振られた事に対して瞬時に、勝谷のように少し過激で、しかも世間ウケのイイ言葉を返すのが良いのだろうが、鈴木邦男は重いのだ。まあ、勝谷の様に『軽くもなれる』のは、やっぱり無理っぽい気がする。まあ、それが故に鈴木邦男なんだろうが。

 せっかくなのでホームページを見てみる。
 『今週の主張』で変わらず過激な事を。。。
 http://kunyon.com/shucho/080721.html
 なにやら、ホームページによると
【自民党の加藤紘一(元幹事長)が拉致被害者5人について「国家と国家の約束だから北朝鮮に返すべきだった」】
 という加藤氏の意見に対して賛同したら
【「加藤発言」に対し皆が「もっての外だ」「許せん」と言ってる時、私はつい、「加藤発言」を弁護した。もっとも、「そうだ。許せん」と一緒に批判することも出来た。でも、私は加藤さんの真意を知ってるし、加藤さんの勉強会でも話した。だから、「ちょっとそれはひどい」「加藤さんの発言も、もっともだ。理がある」とフォローした。そしたら、ドッと批判が私にきた。】
 らしい。
 変わらず過激な人である。

 当然、鈴木邦男氏は右翼である。
 なんだが、この鈴木邦男の過激さって、排他的ではないな。『排他的な事を許さない過激さ』か。

 しゃて、ネット右翼である。っちゅうか、『ネット右翼』という人格も思想もない。鈴木邦男が右翼であるのが証明なんだろうが、『右翼』という人格もないし、思想だってそれぞれである。鈴木邦男が本当に「右翼か?本当は親鸞主義者ちゃうん?」と云いたくなるが、まあ、本人が『右翼』と云っている限りは右翼なんだろう。
 で、ネット右翼。うちにもタマにトラックバックで来る所が『ネット右翼』かどうかは知らん。本人が「私はネット右翼である」と宣言したのならネット右翼なんだろうが、まあ、それでなければ『ネット右翼』ではない。
 また、『ネット右翼』であっても、何か全国のネット右翼を取り仕切る団体があり、そこの意見に全てのネット右翼が従っていて、どんなネット右翼であっても『同じ意見』しか云えないのであれば、それは『ネット右翼』としての意見なんだろうが、実際にはそんなもの等ないのであろうし、よって、結局それぞれの意見でしかない。
 『ネット右翼』を本人が名乗っていても、あくまでも『ネット右翼の一人に意見』でしかない。それは仏教に様々な流れがあり、日本だけでも様々な宗派や教団があり、それでも同じ『仏教徒』である事と変わらない。『仏教徒』としての意見であっても、結局『いち仏教徒』の意見でしかない。世界の仏教教団を統一する機関がないだろうし、つまり、世界中の仏教徒としての意見等あり得ない。ネット右翼も同じである。

 と云う事で、私も今日からネット右翼を名乗ろうと思ったのだが、「仏教徒やんけ!」なので辞め。

 で、無茶苦茶当然の事なんだが、ネット上で右翼的な事を書き込んで居る人は、ネット以外でも右翼的だと思うのだが。ただ、普段、そういう事を喋る『場』が周囲になければ『ネット上だけ』になってしまっているのかも知れないが、それは『場』の問題でしかない。『場』があればネット以外でも意見は云うだろう。当り前ながら。
 だから、ネット上には色々なサイトがあり、ミクシィなんぞには『コミュニティー』なんぞがある。それだけの話でしかない。
 私はブログで好き勝手な意見を書いているが、それは他の人達も同じだろうし、当然『ネット右翼』と呼ばれる人達も同じでしかない。
 意見は、どこでどういう形で云おうが勝手である。匿名がダメなら、全共闘世代の左翼だって顔にタオルを巻いてデモに参加してなかったか?「自分の意見があるのなら、別に公安に写真を撮られても構わないではないか。もっと正々堂々としたまえ」というのが強者の意見でしかないのと同じく、『ネット右翼』に対する偏見はおかしい。
 ブログであろうが、ネット掲示板であろうが、書き込んで居るのは『人』でしかない。ネットがネット自体で書き込めるわけがなく、人が間違いなく書いている。

 「ネットだから過激な事が書ける」というのもおかしい。
 私は差別ネタが大好きだが、これはネットでは絶対に書けない。っちゅうか、タマに『毛唐』とか書いているが(笑)。
 まあ、誰が見ているか解らないから、過激な事は書けない。
 「そりゃ、あなたが特別なのよ」と云うのもおかしい。私もあくまでもネットで遊んで様々な意見を書いている他の人達の中の『一人』でしかない。

 で、『ネット右翼』。
 この『ネット右翼』と呼ばれる人達に対する偏見がある。その偏見の底は『正々堂々』という非常に右翼的な事だったりすると思うのだが、どうだろうか?

 ちなみに真宗仏教の歴史ではこういう言葉がある。
【順誓申されしと云々、常には我が前にては言わずして後言いふとて腹立することなり。我はさようには存ぜず候。我が前にて申しにくくば、陰にてなりとも我が悪き事を申されよ、聞きて心中を直すべき由申され候。】(蓮如)
 まあ、「陰口でもエエから、批判してくれ」と。

 しゃて、長々となったが、明後日は素敵なイベントがある。
 詳しくはこちら(http://www.thangka.jp/event1.html#anchor)を見て貰いたいのだが、
 
 【積水本名裁判報告座談学習会
  平成20年7月24日(木)PM7時から9時まで
  於:Thangka Club
  参加費・・・500円】

 である。一時期、いわゆる『ネット右翼』の中で話題になり、嫌韓流の第三巻にも取り上げられた裁判である。
 当然、原告の徐文平さんも来られる。
 問い合わせ&参加申し込みはこちらに。
 (http://www.thangka.jp/event1.html#anchor

 意見なんぞ、様々な形で伝えればイイと思う。
 けど、裁判という現象でなく、あくまでも原告に対する意見を伝えたく、そういう『場』があれば、本人に伝えてもイイと思う。

【李さんは立場の違う右翼、3人も呼んでシンポジウムをやってくれたんだ。本当に偉いと思った。頭が下がる。】(鈴木邦男http://kunyon.com/shucho/080721.htmlより)

 私も参加する予定であるが、私は上記の鈴木邦男氏の言葉に感動するような人間である。当然、ネット上だろうが、ネット以外であろうが、論争の人なので違う意見に対しては批判するのだが、それ以前にそういう『場』を大事にしたい。
 その『場』での『答え』なんぞは要らないし「異議なし!」は面白くない。
 その場で何か有効的な結論が出される『場』よりも、違う意見の持ち主が同じ『場』で議論出来るという事が素晴らしい。 
 会話、対話、いや、様々な形であっても、意見を出し合える『場』が素晴らしい。
 よって、例えば『ネット右翼』が問題になり、ネット右翼の意見を排除する動きがあれば、それはおかしい。あくまでも『ひとつの意見』でしかないにも関わらず、その意見の内容によって排除する事はおかしい。誰かの、何かの意向に添わない意見を排除する事はおかしい。
 違う意見を表明出来ないのはおかしい。
 何かの『答え』以外の意見を表明する事が排除の対象になるのはおかしい。
 その『答え』が、例えどんな宗教であれ、どんな思想であれ、あるいは国家であり、倫理道徳であったとしても。そんなもんは人間が勝手に作り出したルールやろうが。そんなルールに従い、異物を排除する事はおかしい。
 排除されたくないが故に、常に『答え』に従おうとする。「私の意見は本当は違うのに」と思いつつも、何かの『答え』に従おうとする事は自分自身に対して失礼である。
 自分の意見は、どんな形であっても表現しても構わない。