坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

社会起業家?

2008年07月21日 | 坊主の家計簿
 7月21日

 雑費  レンタル        105円
 食類  焼そば麺         20円
     パイン缶2       200円
     ちくわ          49円
     牛バラ         259円
     餃子           88円

 合計              721円
 7月累計          90986円

 レンタルは『死国』(http://www.asmik-ace.com/Shikoku/)。純愛物語やな。

 今日は御仕事早めに終わる。ついでに急遽「明日休み」との事。ラッキー♪なんだが、え~と、歯が痛い。歯、っちゅうか、以前に抜歯した親知らずの辺りの歯茎が痛い。口内炎とか歯槽膿漏用の薬を塗ろうと口の中に指を突っ込んで痛い辺りに薬を塗ると、なんかよく解らん突起物が。。。骨か、歯なのか知らんが、そんなもんがやなぁ。。。そういや、数日前から微妙な違和感があったのだが、これが原因やったのかな?
 っちゅう事で、明日のお休みは歯医者で終了。予約してないけど、本読みながら待ってたら治療してくれるやろう。クーラーも効いてるし。

 さっきまで、これまた途中からというか、殆ど最後辺りしか見てないのだが『カンブリア宮殿』っちゅう番組を見てた。熟女ナンバーワンの小谷真生子が出ているはずの経済ニュースを見ようとしたら番組延長かなんなのか知らんがやってた。
 何やら『社会起業家』とかいう人達の特集だったらしい。
 「おお、これは一番キライなジャンルではないか」と云う事で悪口を書きます。だって、歯が痛いんだぜ。歯が痛い時は八つ当たりするのが一番。ん?よく解らんが、やっぱし気になる。

 18歳ぐらいの時に『関西リサイクル運動市民の会』っちゅう所でしばらく働いていた。バイトから入って、社員(スタッフ)になった。なんだが、18いうたら私の中ではバリバリの思春期気分が残っていたので辞めたのだが、非常にイイ勉強をさせてもらったと思う。
 代表は高見裕一という人。
 今は知らないが、当時の高見さんは市民運動ノリがキライだった。元々市民運動ノリから始まった団体であり、スタッフにも運動家が結構居た。なんだが、なにやら私が入った時辺りは路線変更をしたかったのか、東京から出張でやって来た時に初めて会った時に私を捕まえて「市民運動ノリは消そうと思う」みたいな事を云ってはった。
 ついでに『夢』じゃないけど、理想も聞いた。「今は無理やけど、初任給で一流企業に負けたくない」と。つまり、市民運動ノリで働くのでなく、純粋に企業としてやって行きたかったのだと思う。確か、「それでないと運動は続かん」みたいな事も云ってはったし。
 検索すると、私が居た時に会議で話されていた『らでぃっしゅぼーや』の株を手放されたようである。
 http://miyazaki21.com/toushi/toushimenu.html
 この記事自体が古いのだが、記事内にある

【「でもね、理念が広がるなら、ほかの会社に担ってもらって構わないと思っていた」と高見さん。
「我々が続けるよりも、キューサイさんの経営方針と資金力なら、どんどん会員を増やして5年以内の上場も可能やと思います」】

 と云う言葉が非常に高見さんらしい。
 ついでに検索すると『出る杭になる?: NGOでメシを食う!』(http://www.bk1.jp/product/01567684)というタイトルの本も書いているみたいである。これも非常に高見さんらしい。
 で、この高見裕一という人が『社会起業家』かというと、私には単なる『企業家』にしか思えん。「一流企業並みの給料」というのは善もクソもないやろ。単に商売。

 坊さん学校を最初に卒業してから坊主バーに出戻りしないとイケナイ時までの2年間、共同作業所で働いて居た。『共同作業所』つまり、『障害者』と呼ばれる人と『健常者』と呼ばれる人が半分半分の作業所。っちゅうか、純粋なパン屋。
 出来た時から知っている、こちらは純粋の市民運動家の人達が作り上げた作業所。だから気合が入って居て「障害者も健常者も給料は一緒!」という、かなり画期的な事をやったらしい。他は知らんからそれが当り前だと思って居たのだが。ただ、私が入った時には、それでは人材が集まらない、と云う事で、若干、数万円の格差があったが、あれも『一時的な措置』だったらしい。
 代表も障害者。詳しい事は知らんが、脳性麻痺かなんからしい。
 で、代表は助成金を打ち切りたかったらしい。
 ちなみに売り上げのうちに最大の割合を持つ宅配生協みたいな所の殆どのお客さんは、そこが共同作業所である事を知らなかったと思う。だからパン屋。あくまでも障害者と健常者が一緒に働いているだけで、そういう単なる『パン屋』。
 何やら代表曰く、運動の中で助成金を獲得する運動をして来たが、助成金がある事によって『生きる力』が奪われた感覚がある、と。だから、出来れば助成金なしでも経営として成り立つようなパン屋にしたい、と。要するに『共同作業所』というレッテルから離れて、単なる『パン屋』にしたい、と。

 そういう個人的な経験があるので、今日観た『社会起業家』っちゅう言葉に妙に違和感を感じる。
 変な話だが、それ程金儲けに熱心にならなくとも生きて行けるわけやし。それでも商売は商売だし、企業は企業でしかないと思うのだが。
 今日の番組を観ていて、一番違和感があったのは『善的』だった事。
 「なにか社会に役立てるような在り方」やったけな?そんな発言があったと思うのだが、死国、ちゃうわ、四国のうどん屋なんぞを筆頭にすべての商売が社会に役立っていないか?
 世界一の金持ちから落ちたのかどうか知らんが、Mac派の敵であるビルゲイツなんぞはどれだけ社会に影響を与えているのだ?当然、Macの方が使い易いのだが、しかし、ビルゲイツ一派のパソコンを通じて言語に障害がある人達や、人見知りが激しくてコミュニケーションが苦手な人達がコミュニケーションを取る為の道具としても、もの凄く社会に影響を与えていないか?
 なんか、単なる企業家、商売人ではなく、『社会起業家』という事いう言葉には『善的』なものを感じて、ちゅうか、単なる差別意識を感じて非常にうっとうしい。
 生活が成り立たなくとも出来るのは、単に実家が金持ちとかそういう理由なんだろうし、あるいは純粋に『好きな事をやっている』だけでエエのではないのか?
 好きな事を仕事としてやっている。
 つまり、潰れたがエエBARであった『プカプカ』や『ファニーメイ』のマスターの様にやな。単に好きな事をやっていた『だけ』ではアカンのか?2件とも、少なくとも大阪のロックバー界には多大な影響を与えたぞ。

 『好きな事をやっているだけ。』と云う事に、善もクソもない。あくまでもそれぞれの生き方でしかなく、そこに善もクソもない。
 「これは善だから、世間から認められないのはおかしい」とは善に酔い、善に狂っているだけの話。
 
 言い換える。
 「私は善をやっているのだから、世間から認められるべきなのだ」
 「私は善をやっているのだから、私は私を認める」

 明日は休みなのだ。しかも歯茎が痛い。よって毎度の『イラク人質事件』でんな(笑)もおエエか。
 まあ、何が『善』なのか、なにが『悪』なのかなんぞはそれぞれの価値観でしかない。宗教観や、思想の問題であり、時代社会の問題。
 善をした人は社会から居場所を与えられ、悪をした人は社会から居場所を奪われる。
 だから、「私がやりたい事」でなく、『善』になる。
 『善』であるが故に、そこに自分のアイデンティティー(自己同一性)を見出す。
 善の側に立つ事によってしか、自分を自分として認められない。そこにあるのは孤独。底にあるのも孤独。

 「あ~ら、○○ちゃん。あなたはとってもイイ事をしましたね。私はそんなあなたの事が大好きですよ」
 と、
 「どんなあなたであっても、私だけはあなたの事を見捨てない」
 とは、全然違う。
 条件付きの愛と、無条件の愛とでは全く違う。
 
 都合が良ければ受け入れ、都合が悪ければ排除する。
 思い通りになれば受け入れ、思い通りにならなければ排除する。
 それが娑婆世間。っちゅうか、日頃の生活そのもの。
 それが故に『善』でないと困る。

 そうではなく、ただ単に「私の人生である」と。善もクソもなく、私の人生であると。
 『社会起業家』等と、他の企業家、商売人と差別する事なく、単に「私の人生である」と。「私の人生の中で選んだ仕事である」と。シンプルにやな。。。

 『公』と『個』
 『公』と云っても、『個』より『公』を先に立てる『公』でなく、どこまでも『個』を尊重する『公』もある。
 個を尊重する公、まあ、『違いを認める世界』っちゅう言葉があるが、そういう世界。
 当然、社会起業家の人達も『個』を尊重するが故に、つまり困っている人を助けたい等という善的な気持ちでもってやられておられるのだろうと思うが、これがでんな、やるのが差別大好きの人間がやる事でんねん。苦労を差別にする人間がやる事でんねん。
 だから、あくまでも「私がやりたい事でしかない」とやなぁ。他の多くの人達と全く同じの人生であって、全く同じの労働であって、全く同じの商売でしかない、とやなぁ。
 それが『同じ対等な人間』っちゅうもんでしゃろ。