坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

個人主義

2007年11月02日 | 坊主の家計簿
 11月2日

 食類  はも&焼きイカ        200円
     ティッシュ5         178円
     チキンラーメン5       178円
     ワンタン麺5         178円
     キャベツ           100円
     アクティブ・ダイエット3   285円
     太もやし            29円

 合計                1148円
 11月累計             2322円

 ♪ママ ママ 共産党
  パパ パパ 共産党
  ママ ママ パパ パパ
  ママ ママ パパ パパ 共産党

  おとうさん おかあさん ウソツキ
  
 (THE STALIN『GO GO スターリン』より)

 今日は、週末の金曜日らしい。
 よって、明日お休みの皆様はきっとカラオケに行って上記の歌をカラオケボックスで叫んでいるであろう。あ、スナックでは辞めた方がエエぞ。きっと『ひかれる』ぞ。カラオケボックスでなら盛り上がる事必須の曲。メロディーも簡単、歌詞も簡単。是非是非。

 っちゅう事で、本日は御仕事終了後に『報恩講準備その1』。
 地味にやってたら結構疲れてもうて、御近所のスポーツ店へ。最近マイブームのヨットパーカー探し。
 ヨットパーカーはエエぞ。フードを被って横になったら仮眠速攻でっせ。
 フリースは『ポリ』である。私は駐車違反の恨みを生涯忘れる事がないので『ポリ』は『敵』なのだ。あ、『ポリ』とは『ポリエステル』ね。大阪では面倒なので『ポリエステル』も『ポリ公』も『ポリ』なのだ。
 結構、気に入ったのがあって、少しチェック。数日迷って、報恩講ストレス解消で、多分買う。

 のち、この前潰れたスーパーの跡地に新しく出来たスーパーへ。本日開店。
 以前のスーパーでしか買えなかったものを探してたんだが、数点なし。うぅぅぅ。。。そば茶が。。。石鹸が。。。まあ、どっかで探そ。
 以前のスーパーに比べてかなり安い。ビール系なんぞは御近所最安値。お惣菜屋も、コロッケ屋も、パン屋も以前と同じ店が入っててよかった。
 店内をウロウロしつつ、開店記念で安かったものをゲット。

 部屋に帰って仮眠。
 起きてテレビをつけると
 【民主、連立を拒否】
 「なんの事じゃ!!!おっちゃんが寝てる間に何があってんや!!!」と、ニュース番組をウロウロと。
 まあ、自民党と民主党が連立するのも解りやすい。勝手にやったらエエ。
 問題は、共産、社民である。この左翼政党がどうするのかが今後の注目である。
 共産党は全選挙区に立候補者を擁立する事を断念したらしいが、今回の事でどうするのだろうか?
 社民は、もはや潰れかけやし、一応「昔、御世話になりました」の私ですら見捨てている。妄想癖についていってられまへんで。ガキが。
 よって、共産党中心になる『しか』ないのだが、共産党が、この政局にどう動くのか。これが一番の注目やな。

 ちなみに私はネオコンになった。左翼の妄想癖には懲り懲りやな、ホンマ。
 とは云え、自民党に票を入れるわけがなく、民主党にも余り票を居れていない。今回の動きで、ますます民主党に投票する気がなくなったし。
 だから、共産党、気合入れんかい。社民党と合併してやな、『共産党』っちゅう名称を変えるくらいの根性みせたらんかい。今回の『自民・民主連立』の動きで、うまい事いったら議席を増やせるで。

 革命が出来るとすれば選挙しかない。当たり前の事である。
 なんの解放運動でもそうなのだが、基本は選挙やろ。
 『私たちが正しい』で、選挙に勝てるのか?『与党』になれるのか?
 与党になって、自分達の声を反映させる。のが、民主主義国家の革命やろ。

 「私達は正義である。」と云うのは勝手だが、『正義』なら与党になれよな(笑)それでなかったら「私たちにとって、これは正しい」と言い換えた方がエエのんと違うか?
 もの凄く当たり前な事なんだが、世の中には様々な思想や、宗教、様々な考えの方がおられる。様々な生き方の人達がおられる。
 当然、性別や、民族なども含む。
 その『差異』を認められないからマイノリティは『マイノリティ』なのだ。マイノリティとして差別・偏見を受けるのだ。
 そのマイノリティが『差異』を認めない、違う意見の人達を認めようとしない事は、自分達が差別・偏見を受けて来た事と全く同じ事をやっているわけだ。
 当たり前である。人だから。タダの人だから。
 『敵』を作る事は当たり前である。『他人』なんだし。
 ただ、その理屈で押し通すのなら、力の強う方が勝つ。当たり前だ、マジョリティとマイノリティなんだから。勝負なんぞ最初っから決まってる。
 敵だの、鬼だのと呼ばれて喜ぶ人は少ない(はず)。
 だから、宣言が意味を持つ。解放の言葉として意味を持つ。
 差別や偏見の世の中を『わたくし事』としたから、縁起に立ったからこそ、宣言は素晴らしい。
 だから、まあ、差別や偏見を『私と切り離した世界』の事として、「悪いのはあいつ等や!」の人には、仏教も、宣言も都合が悪い。
 解同の話で云うのなら、解同は『宣言』を『教えの言葉』として聞かなかった。だから、今やボロボロになってる。
 解放運動、反差別運動の今後の展開として、エエ教科書になったと私は思う。
 その教科書を読む、読まないは好き勝手だが、「悪いのはあいつ等や!」で、例えば「悪いのは男達である」と叫ぶ事は気持ちがイイだろうが、何の意味もない。

 日本の戦後にも『全学連』『全共闘』等の『戦』があった。
 当然、これはウケやすい。『敵』を作るから。『悪者』を作るから。自分が『正義』にいれるから。
 戦争中の日本だって、一面でみれば『アジア民衆解放運動』だった。
 で、『鬼畜米英』でんな。
 同じ事だ。『同じ事』と云わずに未来はない。

 「エロ坊主は保守に転向した」ではない、『ネオコン』と云う、もっとタチの悪いものに転向しただけの話だ。

 迷いの原因は私にしかない。迷っているのは私でしかない。差異を見出せないのは私でしかない。だから、一個人の『私』からの革命しかない。
 私が生きている世界だし。主人公は私である。
 他人との差異を『認めてくれない悔しさ』があるから、だから、差異を認める。
 『社会正義』がうっとうしいからこそ、私から始める。

 自己責任と云う当たり前の事が、つまり、個人が忘却されようとしている。
 個人よりも先に『社会正義』が、国家、左派同様に、『社会正義』が先に立っている。
 うっとうしい話や。