坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『子供』は純粋である

2006年07月29日 | 坊主の家計簿
 7月29日

 食類等     ミネラル水6         414円
         パスタ1.4×2         194円
         リングイネ2         176円
         レモン果汁          228円
         ちくわ             59円
         納豆3×2          136円
         わかめ            100円
 レンタル屋   GO!GO! 7188『蛇足歩行』  300円
         GO!GO! 7188『とのさまツアー』300円

 合計            1907円 
 7月累計         98024円

 そうか、『ジェットにんぢん』とは『ジッタリン・ジン』やったんか。。。コンビニ以外で初めて聴いて初めて解った。
 と云う事で、バテバテなのでビート注入。最近お気に入りのGO!GO! 7188のライヴDVDを買おうかどうか悩んでいたのだが、とりあえずレンタル屋で借りる。エエ感じやなぁ~。ついでに初スタジオ版CDを借りたのだが、「一発録音でっか?」みたいな感じでエエ感じ。ライヴ版聴いてるみたい。

 
 「子どもは純粋である」=「純粋でない子どもは『子どもらしく』ない」
 「日本の子どもは最近すれてきた。それに比べてアジアやアフリカなどの発展途上国の子ども達の眼はキラキラしている」

 これを例えば『女』に代えてみる。

 「女は優しい」=「優しくない女は『女らしく』ない」
 「最近の日本の女はすれてきた。それに比べてアジアやアフリカなどの発展途上国の女達はまだ優しさを残している」
 
 「女は気配りが上手である」=「気配り出来ない女は『女らしく』ない」
 「最近の日本の女はすれてきた。それに比べてアジアやアフリカなどの発展途上国の女達はまだ優しさを残している」

 「女はかわいい」=「かわゆくない女は『女らしく』ない」
 「最近の日本の女はすれてきた。それに比べてアジアやアフリカなどの発展途上国の女達はまだかわゆさを残している」
 
 「女は奥ゆかしい」=「奥ゆかしくない女は『女らしく』ない」
 「最近の日本の女はすれてきた。それに比べてアジアやアフリカなどの発展途上国の女達はまだ奥ゆかしさを残している」

 まあ、『子どもは純粋だ』なんて、そんなもんやろう。
 男達、あるいは『大人』『長老』等から押し付けられて来た価値観に悲鳴を上げる。そういう声はよく聞く。当然子どもも悲鳴を上げている。ただ、あいつらは基本的に言語で伝える手段にまだ慣れていない。故に暴れたりする。

 でも、『女』でも、『男』でも、『子ども』でも同じではないのか?そんな固定化された偏見を押し付けられるのは『苦』でしかなく、「本当の私を見て」「本当の私を愛して」と。

 「お母さん、お父さん。僕は本当は純粋なんかじゃないんだ。でもお母さんや、お父さんが僕に純粋さを求めるから僕は演技してただけなんだ。でも、僕はもういっぱいいっぱいなんだ。だから僕は僕として生きる。決して『子供』としてなんか生きたくないんだ。僕は僕として生きたいんだ。」
 「だって、僕、お母さんや、お父さんの事が大好きだし。大好きな人の前で嘘なんかついて生きたくないんだ」
 「だから僕、純粋なんかじゃないんだ。『子供は純粋だ』なんて決めつけないで。」


 抑圧の悪循環。
 『子ども』あるいは『発展途上国』と云うキーワード。
 要するに『先進国』に生きる『大人』である『私』は、ドロドロに汚れていて穢くって大嫌い。

 ♪全身恥部 全身恥部
  体の一部が恥部じゃない
  私は全部恥部なんだ
  (http://www.youtube.com/watch?v=7OyYiI4PMRk&NR

 罪悪深重煩悩具足のわれら


 押しつけの価値観での『子供』は純粋である。純粋である存在を『子供』と云う。
 それは現実の生身の存在の『子ども』とは別の存在である。
 頭の中の理想の『子供』を、現実の生身の『子ども』に押し付ける事は暴力以外のなにものでもない。
 そんな暴力を振るう人達が、要するに『子どもは純粋だ』という暴力を振るう人が『優しい』わけがない。たんに自分が嫌いなだけだろう。