坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

奇妙な果実

2006年07月06日 | 坊主の家計簿
 7月6日

 記入忘れ   豆腐          100円
 雑費     缶コーヒー       120円
 薬局     目薬          298円
        歯ブラシ        314円
        ミネ水2本       156円
 食類     寿司          200円
        鯖唐揚げ甘酢あんかけ   おまけ
        発泡酒         175円
        タマネギ        110円
        ゴーヤー        198円
        もやし          45円
        ミンチ肉        226円
        トンブリ        105円

 合計         1847円
 7月累計       9532円

 別に『おまけ』まで書かんでもエエと思うのだが、まあ、ついでに。
 今年の初ゴーヤ。年中見かけるようになって来たけど、やっぱし夏のもんざんしょ。どっかのブログで『イボイボ怪獣ゴーヤ』って書いてあって、「おお!」と思った事があるんやけど、今日のゴーヤなんぞまさに『イボイボ怪獣』やなぁ~。デケー、デケー。デカイせいか、苦みが少なくて、ちょっと不満足。やっぱし、ゴーヤは苦くてナンボでっせ。

 このブログの日付は一日ずらして居る。まあ、家計簿という性格上、その日のお買い物を記録したいので。日付が変わる前に書けばエエだけと云う気もするのだが、例えば今日だったら日付が変わる辺りまでは白衣の衿を直していたので。ちなみに本日は1着のみ。慣れてないので2時間近くかかった。。。あと2着か。。。今度や、今度。
 で、ビールを飲み始めるのが、だいたい日付が変わる辺りからやし。
 
 よって、七夕突入。今日、仕事中にお参り先の花屋に行ったら「七夕の笹あります」と書いてあって思い出した。

 七夕って、それぞれに想い出があると思う。私にもある。
 小学生の時の七夕。クラスで先生が「みんなの願い事はなんですか?」とありがちなあれ。色紙を切った短冊に願い事を書く。
 当時、無茶苦茶キライなやつが居た。「こいつさえ居なければ。。。」と云う様なやつ。よって、純粋な子どもだった私は短冊に、首にロープを巻き付けたそいつの似顔絵を書いた。ちょうど笹にくくりつける糸に延長させる感じで。今でもそうなんだが私は絵が下手なのでそいつの名前も書いて。
 泣き出す○○君。「ケ!こいつはいつもそうやって泣き出して教師の気をひいてやがるからキライなんだ。」と、殴ってやろうかと思っていたら、先に教師に殴られた。ついでに親呼び出し。
 「『どんな願い事でもイイ』って先生云ったじゃないか!」って、言ったのだが、聞く耳を持たない教師&親。
 でも、同じ学年一番の優等生だったW君も似た様なものを書いた。本当に似ていた。でも、向こうは日教組であった担任にべた褒めされていた。W君が書いたのは、私が書いた『首を吊る人』までは同じだった。でも、その『人』が○○君でも、他のクラスメートでもなく色を茶色く塗った黒人さんで、その横に『奇妙な果実』って書いてあっただけだった。
 当時小学生だった私は当然『奇妙な果実』の意味を知るよしもなく、また黒人差別なども知るよしもなく、っちゅうか、知ってる黒人は『ブッチャー 』だけだったレベルの私は優等生だったW君に対して憧れと尊敬の念を持っていたので、W君のマネをして次の年の七夕の短冊には茶色く塗った人を書いて『日焼けしたY君』書き添えたら、前年より酷い殴られ方を担任から受けた。多分、私がグレ始めたのは、あの事件からだったと思う。

 って、当然嘘である。
 嘘ではあるが、当然、七夕の短冊に誰か特定の人の名前を書いて
 「○○君が死にますように」って書いたら大問題だっただろう。

 しかし、今はどうなんだろうか?
 例えば今日、夜が明けて七夕の短冊に
 「ヤギ容疑者に死刑判決がおりますように」
 「ヤギ被告が死刑になりますように」
 「ヤギ被告が殺されますように」
 って、書いてあったら教師はどうするのだろうか?
 なんせ『国民感情』らしいぞ。マスコミ曰く、「ヤギ容疑者に死刑判決が出なかった事は、国民感情に反する」とか抜かしてたぞ。
 『国民感情』に反しての無期懲役判決に対して、死刑判決を願うのが『国民感情』なら、ガキが七夕の短冊に
 「ヤギ容疑者に死刑判決がおりますように」
 「ヤギ被告が死刑になりますように」
 「ヤギ被告が殺されますように」
 と書く事は、まさに『国民感情』にのっとっているわけであって、親や教師はガキが
 「ヤギ容疑者に死刑判決がおりますように」
 「ヤギ被告が死刑になりますように」
 「ヤギ被告が殺されますように」
 と書いた事を褒めなければならない。
 
 「よく書いたね。そうだね。ヤギ容疑者は死刑になって殺されないといけないね。よゐこだ、本当によゐこだ。そうだ、お父さんも短冊に書いて一緒にお願いしよう。七夕に願い事をするなんて何十年振りだな。ハッハッハッハ!!!」
 と云う会話が今日行なわれる事は間違いがない。

 トイレに行ったら、蚊が二匹居た。殺した。
 『殺されて良いいのち』などあり得ない。
 故に当然『罪』である。
 
 『害虫』というレッテルによって『罪』から逃れるはずがない。
 肉を喰わない事によって『罪』から逃れられるはずがない。
 『死刑判決』と云う制度によって『罪』から逃れるはずもない。
 『国民感情』だからといって『罪』から逃れるはずもない。

 『罪』は罪である。

 『無条件の救い』と云う。
 逆に云うと『無条件でないと救われない』
 『無条件でないと救われない』のなら、何か条件を出して人を斬り裁き
 「あいつは人を殺したから」
 「あの国は人権無視だから」
 「あの国はテポドンを撃って来たから」
 とは、『いいわけ』では通用するが、根本的に間違って居る。

 当然
 「人を殺した人」
 「人権侵害をした国」
 「テポドンを撃って挑発した国」
 は、間違って居る。だからといって
 「人を殺した人を殺す」
 「人権侵害をした国の国民に対して人権侵害をする」
 「テポドンを撃って挑発した国に対して挑発する」
 事は、自分達の従う論理に反している。自分が「問われ続け、聞いて行く身」である事を忘れ、菩薩である事を忘れ、仏になってしまっただけの話だ。


 って、エラい酔っぱらってもうた。。。明日も仕事や、っちゅうねん。テポドン落とすなよ。