坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

勝ち組(聖)と負け組(俗)

2006年07月13日 | 坊主の家計簿
 7月13日

 外食   焼き肉ビール     2573円
 雑費   夕刊フジ        120円

 合計          2693円
 7月累計       30940円

 ♪満員電車の中 くたびれた顔して
  夕刊フジを読みながら 老いぼれてくのはゴメンだ!
  (真島)

 いや、日刊ゲンダイが欲しかったのだが。。。焼き肉屋の近所のコンビニで売ってなくってやな。。。今日行った店は新聞とか漫画とか置いてないし。
 なので夕刊フジ。

 【大阪日本橋 イレルンジャー】(夕刊フジ 平成18年7月14日号22面より)
 
 ちゃう、っちゅうねん。。。

 【「罰されるのはいつも行動した側だ。でも、侮辱されなければ、あんなことはしていない。元凶を罰されなければならない。非難されるべきは挑発した側だ」と、無実潔白の”被害者”を強調しているマテラッツィを非難した。】(夕刊フジ 平成18年7月14日号2面より)
 
 ようゆうた、ジダン。ついでにやな、
 「今回の北朝鮮の事はどうなんだろうか?」と。
 「今回北朝鮮がミサイルを発射した『行動』をとった事は許されるべきではない。それは私がマテラッツィに頭突きをした『行動』と同じく許されるべき行動ではない。しかし、私は今回の私自身の過ちを通じて感じる。私がマテラッツィに頭突きをしたような原因が北朝鮮にもあるのではないのか?私たちは北朝鮮の人権無視を非難する。北朝鮮の餓えた子ども達、あるいは拉致被害者に対して北朝鮮に非常に憤りを感じる。しかしその元凶はなんなんだ?私は今回の事を通じて北朝鮮を激しく非難出来なくなった。私と同じ様な状況が彼にもあるのではないのか?」
 と、是非云って貰いたかった。そしたら世界中のマスコミはジダンにこう云うだろう。
 「やっぱりテロリストやんけ!」
 と。

 あ、話が。。。
 
 最近よく思い出す人がいる。20の頃に知り合った人。私がミナミに出てからは会っていない。
 「映画のような。。。」と云うが、多分、映画より現実の方がもっと凄い。
 その人(仮にHさん)は、確か、学校もちゃんと出てなかったはず。
 初めて会った時、とりあえず怖かった。顔が、外見が。もう、漫画に出て来る様なヤクザ。でも、何回も会っているうちに、人なつこい人だと云う事が解ったし、なんか気に入って貰ったし。
 やっぱり元ヤクザだった。しかも鉄砲玉。大阪市内のあるの人。当時私が働いて居た店のオーナーで解同幹部のおっさんが、自分所のムラの若いヤツがヤクザの鉄砲玉に使われる情報を聞いて救い出しに行ったらしい。なにやら映画のシーンみたいな話なんだが、当時抗争があった組に対してHさんが鉄砲玉に使われようとしている時に交渉に行ったらしい。そんなこんなで恩義もあるんだろうし、元々ムラの兄ちゃんだったオーナーだし、店によく来てた。
 店には当時、夜、私ともう一人が入って居た。私の友人だったのだが、その頃、その友人と私は折り合いが悪かった。
 で、Hさん。私と仲良かった事もあるんだろうし、また、個人的にもキライだったのだろう、なんか友人を無視した事があった。
 激怒するオーナー。店に入る前からの付き合いだし、結局若くして死んじゃうのだが、私が知ってる限りであんなに怒った事を見たのは初めてだった。
 同時に、「悲しい」と。「俺は、本当に哀しい」と。「ムラの教育はなんだったのか?俺がやって来た事はなんだったのか?」と。
 今も冷血だが、当時はもっともっと冷血だった私は、その後の事を憶えていない。でも、
 【吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何んであるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。】(宣言より)
 を、今なら思う。当時も宣言は知ってたけど、『知ってた』だけだったし。

 Hさんは、場で働きだした。
 「エロ坊主君(当然本名)、俺は焼き肉屋に行ったら必ずタレまず舐めるねん。で、不味かったらビールだけ飲んで出て行くねん」やったっけ?なんかそんな言葉を思い出す。

 オーナーが死んだ時に追悼集会が支部であった。私はオーナーと喧嘩状態だったので当然出なかった。でも、あとから所属寺の住職から遺稿集を見せて貰って、Hさんが非常に短い言葉、あんまり文字など書くのは得意じゃなかったはず。でも、非常に短い言葉で「○○兄ちゃんは。。。」みたいな感じだったと記憶しているのだが、書いて居た。

 
 『大人の脳を鍛える任天堂DS』やったっけ?
 テレビ番組でも『頭を鍛える』とかが大流行り。
 ついでに私もブログに「頭が悪いのか?」と書く。飲み屋で「脳味噌腐ってるのと違う?」と言う。


 「あなたはどんな人に成りたいですか?」

 「みんなと一緒に生きたい!」

 でも、『願い』は常に『聞いて行くもの』。『問われ続けるもの』。


 頭が良く、道徳的である人は当然褒められる。
 褒められると嬉しいし、また、今現在の世の中の『道徳的』価値観の中で生きている事が出来るれば、当然、自分を問わずに済む。
 当然『道徳的』にも世代差、地域差、個人差がある。
 例えば「お前はアカか!」は侮蔑なんだろうか?私には「お前は右翼か!」の方が侮蔑に聞こえる。
 結局入らなかったが、高校中退して中核派に入ろうとしてたわけだし、代わりに市民運動に関わったわけだし、個人的にもビラを撒いたし。
 それが、私の戦後民主主義。

 ヒーローになる条件。
 国民感情。以前なら世論か?
 一つの決められた価値観。それは大きな、例えば『国家』と云う価値観もあるんだろうし、もっと身近な自分が属している『仲間』の価値観もあるんだろう。
 出来る人は、その場に居ればイイ。出来ない人が去って行くのがイヤでなければ。


 【源空光明はなたしめ 門徒につねにみせしめき 賢哲愚夫もえらばれず 豪貴鄙賎もへだてなし】(親鸞)
 【悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ること を喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを恥づべし傷むべしと 】(親鸞)


 ♪ohhh・・・翼の折れたエンジェル
  あいつも翼の折れたエンジェル
  みんな飛べないエンジェル
  (中村あゆみ『翼の折れた天使』より)