春分の日「rippleさんのブログ」で、円空・木喰展(えんくう・もくじき展)が間もなく終るのを知って、いきなり出かける事としたのである。
これほど纏まった円空仏と木喰仏は、初めてであった。
これほどの木喰仏は、ぼくにとっては初めてであった。
円空は、美濃の国で出生した。
いまの岐阜県である。
円空仏はデザインが簡素化されており、ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴だ。
一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てている。
一刀彫というのは鉈一本で彫り出した事に由来するが、実際には多数の彫刻刀によって丹念に彫られており、鉈で荒削りで彫ったに過ぎないというのはただの宣伝である。
円空から後代の木喰も同様に日本各地で造仏活動を行っており、ノミ痕の残った鋭い円空仏に対し、表面を滑らかに加工した。後年、柔和で穏やかな表情を有した「木喰仏(微笑仏)」は円空仏と対比されている。
木喰は甲斐国出身の木食僧で、安永7年(1778年)に蝦夷地を訪れ、同地において造像活動を開始したとされる。
円空と木喰の廻国ルートは重ならず、円空仏と木喰仏の分布も異なっていることが指摘されている。
木喰が円空に影響され、木彫を始めたとは云えないのである。
因に円空と木喰とは、円空(1695年入滅)木喰(1718年生)だから、時代的には19年の間隔がある。
しかも木喰が木彫を始めたのが、61歳以降だから約80年の間隔が空いているのである。
木喰は、1718年(享保3年)甲斐国東河内領古関村丸畑(現在の山梨県南巨摩郡身延町古関字丸畑)の名主伊藤家に生まれる。丸畑は甲斐国南部・河内領に属する山村で、甲斐・駿河間を結ぶ駿州往還(河内路)と中道往還を東西い結ぶ本栖路(現在の国道300号)が通過する。
木喰の生涯については自身の残した宿帳や奉経帳記録や自叙伝である『四国堂心願鏡』、各地に残した仏像背銘などから、かなり詳細にたどることができる。
1731年(享保16年)、14歳(数え年、以下同)の時、家人には「畑仕事に行く」と言い残して出奔(家出)し、江戸に向かったと云われているのである。
「円空の鉈の切り口春兆す」
円空・木喰展は22日で終る。
円空仏と木喰仏と出会いたい方は、今日が最終日である。
時間がある方は是非、行かれるようにお勧めする。
感動の嵐である。
円空と木喰の木彫像が焼く250体展示されている。
圧巻である、
その時代、浄土を信じた日本人の敬虔な心が見える。
それが素晴らしいのである。
荒 野人
これほど纏まった円空仏と木喰仏は、初めてであった。
これほどの木喰仏は、ぼくにとっては初めてであった。
円空は、美濃の国で出生した。
いまの岐阜県である。
円空仏はデザインが簡素化されており、ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴だ。
一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てている。
一刀彫というのは鉈一本で彫り出した事に由来するが、実際には多数の彫刻刀によって丹念に彫られており、鉈で荒削りで彫ったに過ぎないというのはただの宣伝である。
円空から後代の木喰も同様に日本各地で造仏活動を行っており、ノミ痕の残った鋭い円空仏に対し、表面を滑らかに加工した。後年、柔和で穏やかな表情を有した「木喰仏(微笑仏)」は円空仏と対比されている。
木喰は甲斐国出身の木食僧で、安永7年(1778年)に蝦夷地を訪れ、同地において造像活動を開始したとされる。
円空と木喰の廻国ルートは重ならず、円空仏と木喰仏の分布も異なっていることが指摘されている。
木喰が円空に影響され、木彫を始めたとは云えないのである。
因に円空と木喰とは、円空(1695年入滅)木喰(1718年生)だから、時代的には19年の間隔がある。
しかも木喰が木彫を始めたのが、61歳以降だから約80年の間隔が空いているのである。
木喰は、1718年(享保3年)甲斐国東河内領古関村丸畑(現在の山梨県南巨摩郡身延町古関字丸畑)の名主伊藤家に生まれる。丸畑は甲斐国南部・河内領に属する山村で、甲斐・駿河間を結ぶ駿州往還(河内路)と中道往還を東西い結ぶ本栖路(現在の国道300号)が通過する。
木喰の生涯については自身の残した宿帳や奉経帳記録や自叙伝である『四国堂心願鏡』、各地に残した仏像背銘などから、かなり詳細にたどることができる。
1731年(享保16年)、14歳(数え年、以下同)の時、家人には「畑仕事に行く」と言い残して出奔(家出)し、江戸に向かったと云われているのである。
「円空の鉈の切り口春兆す」
円空・木喰展は22日で終る。
円空仏と木喰仏と出会いたい方は、今日が最終日である。
時間がある方は是非、行かれるようにお勧めする。
感動の嵐である。
円空と木喰の木彫像が焼く250体展示されている。
圧巻である、
その時代、浄土を信じた日本人の敬虔な心が見える。
それが素晴らしいのである。
荒 野人