内藤やすお|演歌十八番

内藤やすおブログ

今日は父の日

2015年06月21日 | 日記


『故・内藤栄治』享年71歳。明治40年5月10日生れ、昭和53年6月7日歿。

今日は『父の日』 ここのところ新曲『母の陽だまり』を作詩したせいでしょうか、『母の事』が何かと多く話題になったりブログにアップしたりで天国の父から『おいこら!やすお、親父の事を少しは思いださにゃ~』と・・・・
孝行したい時には親は無しを地で行っている私です。親孝行にはなりませんが今日ぐらいは『父』を忍んで一日を過ごそうと思います。 父の命日・生年月日さえ兄に聞くぐらいですから、よくよく親不孝の私ですよね・・・・ごめんよ、おやじ!



私の父と母は新潟県は高田の出身で若いうちから上京して戦争に出兵する事も無く、中野区の野方で『内藤通信電機商會』なる電話店をやっておりました、私が小学校に上がる直前に中野新井町に越すまでの事です。その後中野新井町に引越をして『電話』の販売や設置の仕事で私達幼い子供を何不充なく母と激動の戦後を逞しく生き抜きました『逞しく』とは精神的にという意味ですが、私の成人した頃から『身体を壊し』どちらかと言うと病気がちな『父の思い出』の方が強いです。 競馬・競輪が大好きで亡くなる2・3年前だったでしょうか弱った身体で免許を取り立ての 私の車で競輪場『京王閣』に行ったのが昨日の様に思い出されます・・・競馬の話では、まだ野方に居た頃でしょうか『馬が当たったぞ・・・』で家の庭に馬が来ると幼心に胸をトキメカせたの事も有りました。



菅原都津子の『月がとつても青いから』のレコード盤です。『父』はこの『菅原都津子』のこの歌が好きだったのでしょう・・・当時一般家庭では持っている家も少なかった『手動式蓄音器』が我が家に有っていつもこの唄と裏面の『連絡船の唄』が掛かっていたのも懐かしく思い出します。2・3才の頃の私にこの箱の中に小人の楽隊と歌手いるんだぞと・・・・

世間一般に『母の日』は『父の日』よりも何かと話題やイベントも多く、やはり親と言うと『母』の方がそのイメージが強い様ですよね!



毎回『内藤やすおの演歌十八番』でテーマを決めて7・8曲のメドレーを編集して歌って来ましたが前回は『母の歌メドレー』でしたが、次回は『父の歌メドレー』に挑戦しようと只今準備中です。 しかし『父をテーマ』の演歌・歌謡曲の少ない事少ない事! 『母をテーマの歌』はゴマンと有るのに・・・・

今日は父の日・・・世のお父さん達も今日ばかりは『親父らしく』威厳をもって参りましょう! 父の日だからってご婦人の『乳』ばかり追わないで・・・!
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