『どこかに故郷の 香りを乗せ 入る列車の 懐かしさ 上野は俺らの 心の駅だぁ くじけちゃならない 人生が あの日 ここから 始まった…』
歌碑の前のボタンを押すと『大音量』でこの歌が流れます!埼玉県と栃木県の境に流れる『利根川』の河川沿岸の『道の駅・はにゅう』に、今年3月に建てられたばかりの『あぁ上野駅』の歌碑です。
『歌碑』と言うより、この『あぁ上野駅』の作詩をした『関口義明先生』の顕彰碑と言った方がマトを得た様な立派な『碑』でした。なぜ此処に『あぁ上野駅の歌碑』が…と、現地に行ってみると、この先生が『羽生市』出身だからと『歌碑』にその功績やら何やら長々と刻んで有りました!
広い『道の駅・はにゅう』の、利根川を見晴らす広い敷地の外れに建っている『あぁ上野駅』の歌碑の前に、歳の頃は私と同年代のご夫婦が『感慨深げに』何度も、この歌に聞き入っていたのが凄く印象的でした。ヒョットすると『あぁ上野駅』が生まれた時代に多かった『集団就職』で上京して来た頃を懐かしんで…かなぁ?この歌『あぁ上野駅』には、そんな人達の思い出深い歌なのでしょうね!
『井沢八郎』の歌ったこの『あぁ上野駅』が出たのは、昭和36年、東京オリンピックの有った年でした。世の中も「…景気」で、各企業も東北の田舎から沢山の高校や中学校を卒業したばかりの若い働き手をどんどんと必要に…『集団就職』の始まりでしょうね、まさに『上野駅』はその終着駅…『あぁ上野駅』が大ヒツトしたのが分かりますよね!
昭和36年と言えば、私の大学一年の時でもあります!当時の私は大学の授業よりも『アルバイト』に明け暮れ、夜な夜な先輩たちの後にくっついて『赤提灯』通いに明け暮れておりました。まだカラオケなんか少ない時代で『8トラ』ってやつでカセットテープをセットして演歌等を歌っていました。
勿論『あぁ上野駅』も良く歌っていました…何の集団就職の実感も無く!
『あぁ上野駅』の作詩家の『関口義明先生』です。2012年に亡くなりました。享年72歳!
72歳なんてまだ現役のバリバリと言っても過言じゃないですよね…地元『羽生』の高校を出て地元に根をおろしての作詩家稼業…この歌碑『あぁ上野駅』も地元の先生の縁故者や観光協会が中心になっての『歌碑建立』。沢山の歌碑を見て来た私ですが、これほど立派な歌碑は珍しいでした。太陽光で発電された電源で『ボタン』を押すと…『どこかでぇ 故郷のぉ…』と流れます!
『本家本元』の上野駅に建っている『あぁ上野駅の歌碑』です。改築を重ね立派になった駅構内と比べ、以前のままの淋しいガード脇に建っています…見逃しがちです!私にはコッチの『あぁ上野駅』が演歌を感じます!
業務連絡
本日、午前8時より『埼玉テレビ・ロイ白川の心の演歌』に出演致します!