内藤やすお|演歌十八番

内藤やすおブログ

岡田晴恵さん

2020年02月27日 | 日記


『岡田晴恵さん』  この二か月、テレビでこの人を見ない日は有りませんよね。 朝から晩まで出ずっぱり・・・白鷗大学特任教授。 医学博士、感染症学・公衆衛生学・児童文学の先生です。



私は毎朝、テレビ朝日の『羽鳥慎一のモーニングショー』を見ながら一日が始まります。 『新型コロナウイルス』の感染、『大型クルーズ・ダイアモンドプリンセス』の集団感染と、この一か月以上連日解説者として登場しています。 最近ではテレビ解説も慣れて来たのか、余裕も感じますよね。 



『岡田晴恵さん』 このレギュラーの『羽鳥慎一のモーニングショー』の他に同局の『週刊ニュース』 『サタデーステーション』 『タケシのTVタックル』 BS朝日の『日曜スクープ』  TBS『ひるおび』 フジテレビ『明石家さんまのホンマでっか』など 多い日は一日に5つの番組のハシゴも!



これは今日の午後のフジテレビの番組『坂上忍のバイキング』



これは同じく本日の午後の日本テレビ『Nスタ』で、赤いドレスに着替えて・・・・



よく見ていると出演する度に衣装も髪型も変えていますよね、これって自前なのか局が用意しているのか、そして肝心な解説者としての出演料はお幾らになんてゲスな勘繰りも・・・



ツイッターなんかでアンチ岡田晴恵なんてバカ者も居るようですが、私は『共感派』 羽鳥君、2時間の番組中、岡田女史立ちっぱなしじゃ可哀そう、たまに座らせてあげましょうね、そしてトイレタイムもきっちりと・・・

『岡田晴恵さん』 明石家さんまさんにテレビ番組の中で『晴恵ちゃん』と呼ばれる程の好感度の親しみイメージも・・・頑張れ晴恵チゃン!



おまけ



28日の『羽鳥慎一のモーニングショー』の岡田晴恵さん。  
この日の『感染研OB』の内部告発の重大発言の勇気に拍手・・・・

今日もまた岡田晴恵さん、このシツコサが私の悪いところでしょうか・・・

古都清乃ディナーショー

2020年02月25日 | 演歌


昨日は司会者の『牧野尚之さん』のお誘いで、『古都清乃さん』のバースデー・ディナーショーに行って来ました。

たまには先輩・ベテランのコンサートを見に行くもの勉強になります。 『古都清乃さん』は、巨匠『吉田正』の生前最後の門下生の女性歌手で『和歌山ブルース』で大ヒットを飛ばし以来スター街道をまっしぐら・・・・この日は歌手生活55周年の記念コンサートの一環でした。



四人編成でしたが『杉本バッハとSSRオーケストラ』の生のバンドをバックに二時間にわたり軽妙な牧野さんの司会進行に合わせて22曲の大熱演。







55年の長きにわたっての歌手生活で培った古くからの熱狂的な『古都清乃フアン』で会場も熱気ムンムン、お客さんイジリの清乃トークも笑いと涙が・・・・



吉川静夫作詞  吉田正作曲

逢いたい見たい  すがりたい
そんな気持ちに  させるのは
ぶらくり丁の  恋灯り
真田堀なら  ネオン川
和歌山泣きたい  あぁ やるせない

久し振りに本物の『和歌山ブルース』を、ヤルセナク聴きました。

東日本大震災復興祈念 『みちのく魂』

2020年02月24日 | 演歌


先日投稿の『東日本大震災』に関して、私も登場したCDのお話を・・・ちょっと古い話しですが。

東日本大震災復興祈念・ザ・グレート・サスケ責任編集『みちのく魂』への楽曲提供のお話し・・・



サブタイトルに『みちのくは負けない!』 みちのくプロレスのザ・グレート・サスケが、地元復興の為に立ち上がった! 民謡からロックまで、東北に縁のあるアーチスト達が復興の為に楽曲を提供した復興祈念CD・・・・



先日ご紹介の復興応援ソング『顔晴れる・がんばれる』が功を奏したのか、私の『ちょいワルおやじのセレナーデ』がこの企画に賛同して楽曲を提供。 親交のあったキングレコードから発売し、その収益金を全額復興支援に寄付しました。



そんなご縁もあって、私の主宰する定期演歌ライブ『演歌十八番』にも、お忙しいところを縫って『ザ・グレート・サスケさん』もゲスト出演に・・・

2011・3・11 東日本大震災以降、沢山の復興支援ソングが出されましたよね。 私も楽曲を通じて、ほんの一部ですが復興支援に参加出来たのは良かったと思っております。

一枚のCD 『顔晴れる・がんばれる』

2020年02月22日 | 日記


2011・3・11  東日本大震災。 

この災害の被災者からの一通の手紙から作られたCD『顔晴れる(頑張れる)cw絆鶴』と言う楽曲が有ります。

原案は、被災者と交流の有った『小山昭年さん』
作詞・紺野あずさ 作曲・鈴江蓮 編曲・喜多見光 歌・後藤聖子 

発売は2011・9・7 製造元・(株)ユーズミュージック 発売元・ABACABA  そして私の会社『メディアネットワーク』が何の役割だったのかCDの帯に記載されています。 レコーディングや制作打ち合わせにも立ち会った記憶も・・・



歌手の『後藤聖子さん』 熊本在住ですが、この楽曲を持って連日マネージャーと車に泊まり込んで被災地の慰問に・・・被災地の役所から私の所にも感謝状をとの話も来たくらいです。  CDの売り上げ枚数も相当な数に・・・


『顔晴れる・がんばれる』
 
あの日がもしも  無かったら
いつもと同じ 午後でした
さびしく消えた  ふる里の村
それでも春が  やってくる!
季節はめぐって  ゆくけれど
花は変わらず  咲いている
鳥は大空  飛んでいる
・・・・
死ぬほど泣いて  泣きつくしたら
心は晴れる 顔晴れる(がんばれる)
季節はめぐって  ゆくけれど
花は変わらず  咲いている
鳥は大空  飛んでいる


きっとこの歌で被災された方々に復興への力や希望を与えた事でしょうね。  良い仕事をしましたよね。 あの日から10年。 災害は忘れた頃にやってくる・・・・油断大敵ですね。

久し振りにこの『顔晴れる』と『絆鶴』を聴きました・・・・

絶唱、浅間山荘 『あぁ 友よ!』

2020年02月19日 | 演歌


今から48年も前の昭和47年の2月19日。 まさに昭和を代表する大事件の生々しいテレビ中継で日本中の人々の目をくぎ付けにした『浅間山荘事件』を思い出して下さい。 この日から28日までの10日間のテレビの視聴率は当時のNHKの10時間にも及ぶ生中継で民放各社を含めて、なんと89・7%と・・・この数字は視聴率日本最高で未だに破られていません。





『浅間山荘事件』で殉職された『高見警部と内田警視』の御霊を慰霊し、この事件を風化させてはいけないと、私のお世話になっていた『警視庁の0B』で、当時現場の膠着した状態を解決すべく選ばれた特別コンバットチームたる任務に抜擢され浅間山荘に突入した『大塚金治さん』の肝入りで作られたのが『あぁ友よ 絶唱、浅間山荘』なる一枚のCDが作られました。 今から14年前の事・・・・



『昭和47年、10日間にも及ぶ銃撃戦の浅間山荘事件で人質救出に命をかけて突入した友よ 友よ 父よ・・・この曲はその男達の鎮魂歌である』とジャケットに記されています。

ほとんど知られていませんが、この『あぁ 友よ』は私の会社『メディアネットワーク』で初めて手掛けた作品なんでございます。

作詞・新山ノリロー  作曲・鳴海日出夫  編曲・松井タツオ  唄・前多まさと  制作・メディアネットワーク

一時は有線放送でも頻繁に流していましたが、訳って廃盤に・・・・



『突入せよ 浅間山荘』・・・映画化にもなりましたよね、あれから半世紀、半分風化されてしまったのが悲しいです。

それにしてもクレーン車から吊り下げられた重さ1トンのデッカイ鉄の玉が浅間山荘の壁をぶち破るテレビ画面にはド肝が・・・


あのカップヌードル売れたのは酷寒の雪の中で食べる機動隊の映像のお陰なんですよ。 

主犯格の『坂東国男』が今も逃走中で、この事件はいまだ解決はしておりません。