ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

宇宙よりも遠い場所・論 25 ラブ・ストーリー03

2018-12-30 | 宇宙よりも遠い場所
 現実のぼくたちは、移り気だし忘れっぽいので、いかに親しい相手であれ、亡くなったひとのことをそこまで強く思い続けるのは難しい。「去る者は日々に疎し」という諺(ことわざ)のとおりだ。
 「喪の仕事」を控えた報瀬はまだわかる。しかし、利益を生むかどうかも定かならざる天文台のために、「10年かかろうが20年かかろうが構わない」ほどの覚悟でこれだけのプロジェクトを組む藤堂の精神力は桁外れといえる。まさに一生を捧げるということではないか。
 現実世界はおろか、「純文学」においても、かくも情の厚い、確たる意志をもったキャラなんてのは滅多にいない。純文学の登場人物は、現実のぼくたちと同じくたいていは卑小かつ軟弱である。
 『日本の同時代小説』(岩波新書)の斎藤美奈子は、「そんなだから純文はダメなんだ」というが、明治このかた、純文学ってのはそういうふうに成立したんだからしょうがない。だからこそ、一方で「物語」(エンタメ)が発展し、こんなにも隆盛を極めてるのだ。
 藤堂吟というひとは、やはり「物語」の中のキャラなんだと思う。しかし、だからこそ、生半可な純文学の登場人物よりも、遥かに魅力的である。

 かなえの計らいでもうけたインタビューの席に、報瀬はこなかった。「やはり私のことを許せないんだろう」と藤堂は思うが、自分からアクションは起こせない。そんな彼女の背中を次に押すのはこの人だ。


「それは問題ですね。隊長として、きちんと話しておかないと……」



 船を預かる「大人のひと」からこう言われたら、さすがに疎かにはできぬというもの。
 藤堂はデッキに向かう。ありがちな演出ならば、ひとりで海を見つめる報瀬に「ちょっといい?」などと言いながら近づいていく藤堂……といった絵柄が想定されるところだが、そんな月並なことはこの作品はやらない。


「ペンギン……」


 「上陸の時が近づいている」ことを視聴者に知らせつつ、過去の情景(前の記事参照)とオーバーラップさせる心憎い演出だ。
 ここでカメラはいったん、「雲のような人とは何ぞや」について相棒の氷見(CV 福島潤)の意見をきく敏夫へと移り(氷見は「なんとなくわかる」が、それ以上は「言葉にならない」というので、敏夫はいよいよ途方にくれる)、前半(Aパート)は終了。


 後半(Bパート)は、報瀬と藤堂とが、貴子の死について真正面から会話をかわす重要なパートだ。第7話での、望遠鏡をかたわらに置いての会話よりもさらに踏み込んだもので、報瀬は初めてここで藤堂におのれの感情をさらし、内面を吐露する。
 しかもここに、子供の頃の報瀬と藤堂との交流がフラッシュバックでかぶせられることで、話がより重層的になる。こうやって分析すると改めてわかるが、つくづく凝った構成だ(分析するのも一苦労である)。



「あんた、わざと私とあの子二人っきりにしようとしてるでしょ」
「してるよー。だってあの子には、吟ちゃんの魂が必要だからー」


「できないの?(かなりぶっきらぼうに)」
「(少しためらって)はい……」



 吟ちゃんの魂。

 報瀬の父親については、どのような形であれ、作中では一切語られない。あいだに報瀬を挟んでの、貴子と藤堂との関係性は、やや大げさにいうならば、「母系の共同体」のようにもみえる。その最小単位の共同体のなかで、貴子は藤堂に、娘のかりそめの「父」たる役を期待しているようだ。
 庭で縄跳びの練習をする幼い報瀬。なかなかうまく跳べない。藤堂は報瀬に近寄り、ぶっきらぼうに「できないの?」と訊く。やや躊躇ったのち、「はい」と答える報瀬。そこでカメラは「現在」に戻る。



3人はここにいる。もちろん、ただの興味本位ではない。3人にとって、この会話は(出航まえの夜のあの会話と同じく)けして他人事ではない。この場所でこうして立ち会うことは、むしろ「責務」みたいなものだ



「何ですか?」
「どう思ってるか訊いておこうと思って。私のこと」
「憎んでるって言ってほしいんですか? 憎んでません。お母さんが民間の観測船に乗ることになったとき、何度も聞きました。南極観測には危険もあるって。南極がそういうところだということは、理解しているつもりです」
「でも私が隊長だった」
「落ち度があったんですか? あなたの判断ミスで、お母さんは南極に取り残されたんですか?」
「ああするしかなかった」
「じゃあそれでいいじゃないですか」
「わかった。ひとつだけ聞かせて。それは本心? ほんとうにそう思ってるのね」
「(ここからは泣き声)わかりません。だから話すのが嫌だったんです。どう思ってるのかなんてぜんぜんわからない。ただ……ただお母さんは帰ってこない。私の毎日は変わらないのに。………………帰ってくるのを待っていた毎日とずっと一緒で、何も変わらない。毎日毎日思うんです。まるで帰ってくるのを待っているみたいだって。変えるには行くしかないんです。お母さんがいる、宇宙(うちゅう)よりも遠い場所に」

この表白のあいだ、カメラはまたフラッシュバックして、「何も変わらない」毎日を無表情で送る報瀬の映像をうつす





 その瞬間、船が衝撃を受け、大きく揺れる。定着氷にぶつかったのだ。ついに「南極」に到達したのである。