ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

いまどきのブンガクを考えるための5冊 アップデート版18.12

2018-12-15 | 純文学って何?
 先に当ブログでも紹介したとおり、岩波新書から斎藤美奈子『日本の同時代小説』が出たので、「いまどきのブンガクを考えるための10冊」のリストも、とうぜん更新されねばなりませぬ。そういうわけで、10冊を5冊に精選してのアップデート版です。本は年代順ではなく、ぼく自身が「重要」とみなす順に並べてますんでよろしく。


 01 日本の同時代小説 斎藤美奈子 岩波新書 2018年

 1960年代からイチゼロ年代まで、この50年あまりの「日本文学」をとにもかくにも新書サイズにまとめてみせた。しかも「純文学」にとどまらず、エンタメからラノベ、ケータイ小説までひっくるめてだ(それはまあ、ニホンのブンガクってものがそれだけ流動化しちまったってことでもあるのだが)。いや、けっこうな力業ですよ。
 いちばんの魅力は取り上げた作家の名前が多いことだろう。だから、ちょっとした小辞典として使える。「こんな本が欲しかった。」という本の見本みたいな本だけど(「本」って漢字を何回書くんだ)、なにぶんやってることが豪快だから、とうぜん偏りもある。だから若い人たちがこれを読んでまるっきり鵜呑みにするとまずいのだが、とりあえず今の時点では類書がないので、当面は手放せません。


 02 ニッポンの文学 佐々木敦 講談社現代新書 2016年

 「純文学とエンタメの閾(しきい)をオレが取っ払っちまうぜ!」って意気込みで書かれた本だったんだけど、わずか2年後に出た上記の斎藤さんが、「え? 純文学? え? エンタメ? そんなのなんか違いってあるの?」みたいな調子でやってるもんで、なんかその意気込み自体が今となっては空回りにみえてしまうというね……。まあ斎藤さんのほうがポストモダンってことだろうね。
 佐々木敦さんは同じ講談社現代新書から『ニッポンの思想』『ニッポンの音楽』も出してて、3部作になってます。ぼくは「思想」編がいちばん役に立ったけど、この文学編もいい。「土台がしっかりしている」という感じ。ただ、そのぶんフットワークが重い。佐々木さんは大学の教授で、斎藤さんは在野の文筆家。よかれあしかれその差ははっきり出てますね。ともあれ、どのジャンルにせよ今の日本で「小説」を書こうというならば、この2冊くらいは読んどいたほうがいいんじゃないか。


 03 戦後文学を問う―その体験と理念 川村湊 岩波新書 1995年

 これなんですよ。震災とオウム事件の年に出た本。てっきり絶版扱いだと思って、さっき調べたら、版元でも「在庫あり」になってる。版を重ねてるんだね。いやあ、よかった。ほんとに充実してるからね、これ。
 内容については、大手通販サイトで「モチヅキ」って方がレビューを書いてらして、これが素晴らしい。密度が高いので、改行を加えて、コピペさせて頂きます。

 戦後文学は「帰還」の主題から始まり、主として60年代に「対中国観」(政治と文学との関係)、「安保闘争」(若いエネルギー)、「皇室関係の筆禍事件」(目に見えない禁忌)、「ベトナム戦争」(当事者性、三角関係の構図)を主題化し、
 次いで「性・性差関係」(現実との緊張関係、肉体を通じた原初的な関係性、ジェンダーの問題)、「クルマ社会化」(移動する「個室」)、「家」(家庭崩壊)、「アメリカ化」(高度資本主義社会の拡散と自明化、越境の問題、サブカルチャーとの関係)、「在日文学」(多数派・少数派の民族的アイデンティティーの解体)を問うた。
 ここからは、戦後における「政治意識」の退潮(或いは変容)、更にはグローバル化を背景とした成熟社会化に伴う社会の複雑性の顕在化と社会秩序の危機、といった大きな流れが浮かび上がる。
 それを踏まえた上で、著者は新たな文学の予兆として、「孤児」(帰属対象の喪失)、「夢の世界」(現実性との境界侵犯)、「架空の地誌」への「漂流」傾向をやや批判的に挙げつつ、歴史認識問題の未解決をもって戦後文学が未だ(だらだらと)続いていることを主張している。文学の批評だけあってやや抽象的な感は否めないが、共感できるところは多い。漫画や映像との関係や戦前の文学との連続性の有無も気になるところだ。

 みごとな要約です。おそれいりました。で、この方が末尾に書いておられる「漫画や映像」、つまりサブカルの影響がむちゃくちゃ大きくなってきたのが、1995年以降の偽らざる趨勢なんですね。


 04 リトル・ピープルの時代 宇野常寛 幻冬舎文庫 2015年(単行本は2011年)


 最新刊『母性のディストピア』(集英社)ってのが凄そうなのだが、高くて買えないんで読めない。読んでない本は紹介できない。でもって、いま文庫化されてる主著2冊のうち、『ゼロ年代の想像力』(ハヤカワ文庫)とどっちを取るかって話なんだけど、より「ターゲットが絞り込まれてる」感のある、こちらのほうを選びましょう。村上春樹『1Q84』をベースにして、ウルトラマンから仮面ライダーへ、戦後日本の「ヒーロー像」の身の丈が縮小していったことの社会的な意味を浮き彫りにする論考。ただぼくは、同じニチアサ番組でも、プリキュアは見るけどライダーのことは一切まるでまったく全然興味がないので、いまひとつピンとこなかった。でも宇野さんの言ってることはわかったと思う。
 東浩紀よりさらに7歳若い宇野さんは、そのぶんサブカルへの親炙の度合いも深くて、サブカルと「ブンガク」との媒介物としてハルキ文学を捉えていると思うんだけど、村上春樹って大江健三郎のポップ版なんだよね、はっきり言って。まさに『万延元年のフットボール』が『1973年のピンボール』に変換されたって話ですよ。だから宇野さんみたいな人がいっぺん大江文学をじっくり読んで論を立てたらけっこう面白いことになると思うんだよな。そういうの、そろそろやってくれないかな。『大江健三郎全小説』の刊行もはじまったことだし。

追記) 『母性のディストピア』は2019年に上下巻でハヤカワ文庫に入った。宮崎駿、押井守、富野由悠季のアニメ3大巨匠の作品(だけ)を通じて現代ニホンを論じてみせた意欲作。たいそう面白かったです。書評はいずれまた。


 05 柄谷行人講演集成 柄谷行人(あたりまえだわな) ちくま学芸文庫(オリジナル編集) 2017年

 柄谷さんは読みづらい、と思われてて、そりゃまあじっさい読みやすくはないけども、アタマのわるい学者の文章みたいに「日本語が下手で何書いてんだか分からない」という読みづらさではなくて、いつも目いっぱい高度なことを言おうとしてるから難しくなっちゃうんだよね。論旨そのものはいつだって明快なんだ。ことにこれは講演録なんで、ふつうに書かれた論考よりも読みやすい。それでも難しいけどね。でも読みとおせば相当に視界がクリアになります。文学にかんしていえば、3番目に置かれた「近代文学の終り」は必読。中上健次論であり、日本の近代~現代文学論でもある「秋幸または幸徳秋水」も必読。それにしても、『岬』や『枯木灘』『地の果て 至上の時』の秋幸が「幸徳秋水」のアナグラムだって知ってましたか?