英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『天地人』 第26回「関白を叱る」

2009-06-29 11:01:56 | ドラマ・映画
 今まで、さんざん脚本についてこき下ろしてきました。でも、ここ数回を見ていて、脚本家よりもプロデューサーに問題があるのではないかと思うようになりました。(脚本の評価も、依然低空飛行ですが)
 脚本家とプロデューサーの関係は把握していませんが、好評だった与六(子役)を再登場させたりするのを見ていると、今まで感じてきた、今回の大河ドラマの「一貫性のなさ」「唐突感」が納得できるのです。
 プロデューサーの意向により、与六(子役)のシーンを加えたり、初音の登場を増やす(これは私の邪推?)ことによって、脚本の挿入・削除が多発していたのではないでしょうか。
 これによって本来積み重ねてあったエピソードが削られて、重要部分だけ語られることにより、また、急きょ挿入することで、過去との整合がつかなかったり、細切れになってしまい、「唐突感」「一貫性のなさ」だらけになってしまった気がします。
 あとは、ホームドラマ調、恋愛路線、室内シーンが多いのは、脚本家の好みなのでしょうか?


 さて、今回は、第1回放送の冒頭シーンでもある「秀吉の勧誘」の場面がメーン。
 前回放送で、「これは戦じゃ」と決死の覚悟、また今回のタイトル「関白を叱る」、さらに前回予告で秀吉が涙を流すシーンや「お前らのような無礼な奴ら」というセリフで、これは、相当の盛り上がりになるのか?と期待していましたが、初回シーンそのままだったし、それも、秀吉を言い負かすのではなく、断固拒否するだけでした。
 しかも、刀を突き付けられて、このあとどうなる?と思ったところで、北政所に叱られるシーンに場面転換。「叱ったのは、北政所かい!」という落ちでした。

 あのあと、兼続、あるいは秀吉はあの場をどう収めたのでしょうか?あのままだと、「しめし」がつかないと思います。やはり、脚本も相当……
 どうせなら、景勝が刀に手を掛け、「秀吉公が切らせぬ、兼続はワシが切る」ぐらいの気概を見せるとか、兼続が「秀吉公が景勝様の家来になるなら、秀吉公の家来になりまする」とか切り返してほしかったです。


 よかったのは、秀吉と家康の化かし合い。短いシーンだったが見ごたえは十分だった。できれば、そこに至るやり取り(秀吉の妹を家康に嫁がせる等)を描いて、秀吉-景勝・兼続と秀吉-家康の関係を、兼続と千利休のシーンは省いて、もっと対比させてほしかったです。
 それに、千利休と三成の絡みがまったくなくて、兼続に三成に気をつけろと言っても、まったく説得力がありません。

 一応、一つの山場もすみましたし、おかげさまで、踏ん切りがつきました。
コメント
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