英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『天地人』 第23回~第25回

2009-06-22 14:03:26 | ドラマ・映画
 書くのはやめて、見るだけにしようと思っていたのですが、見るのもやめるかもしれません。

★第23回
 好評だった兼続の幼少時の与六が、再び登場。
 「再登場を」の声にこたえて、新たに収録したと、NHKの午後の情報番組で大々的に宣伝していました。節操がないというか、あざといと言うか……

 今回、いよいよ「愛」の文字を前面に押し出したのですが、主の景勝が「義」を掲げたのと、同じタイミングで家老が自分の文字を掲げていいのでしょうか?当時は、こういうことは通例だったのでしょうか?
 さらに、兜まで「愛」を。実在しているのだから、仕方がないのですが、完全に主より目立っています。

 周囲はその姿を、持ち上げ讃えていましたが、この反応も不思議です。
 あの兜を作って、それを着用した兼続の勇気に拍手です。

★第24回
 お涼、登場。
 出しゃばりで、したり顔、初音を思い出してしまいました。しかも、兼続に惚れたと。えっ、そんなに簡単に惚れるの?
 初音はくのいちでしたが、お涼は千利休の娘で、茶道はもちろん、柔道(柔術)にも長けていました。柔道一直線の桜木健一と互角の腕です。


 名刀より、お涼がでしゃばった金糸の太刀袋を喜ぶ秀吉。
 太刀より金袋を喜ぶ秀吉に嫌悪感を抱く景勝。

 この両者の思想の違いを描いた点は良かったと思います。


 あまりのストレスに、体が拒否反応を起こしてしまった景勝。史実ではどうなのでしょう。第25回では、兼続が代理であいさつ回りしますが、史実はどうなのでしょう?


★第25回
 この大河ドラマの大きな不満に、兼続の周囲の過大評価があります。
 今回は特に顕著で、景勝に代わってあいさつ回りする兼続を、多少、文化(風流)に精通する点を見せはしますが、視聴者を納得させるほどの魅力は感じられません。この傾向はずっと続いています。
 脚本家さんは、出来上がったものを実際に見ているのでしょうか?単に、自分の頭の中で勝手に納得しているだけのように思えてなりません。

 初音が再登場しました。しおらしくなっていました。北条から逃げてきたとのこと。
 その初音の実家の真田家。いくらお家存続のためとはいえ、上杉から豊臣にさっさとくら替え。でも、景勝、兼続になんの断りもないというのは、さすがに考えられないでしょう。

 まあ、秀吉の兼続の凋落の道具に使いたいという脚本家の都合だったと思われます。
 初音と真田幸村と二重にしがらみを攻められ、揺さぶられる兼続を見せたかったのでしょう。脚本家が頑張ったと思っておきます。


 周囲の評価はともかく、内容的にはぱっとしない兼続に対し、三成は格好良かったですね。


 千利休に「器は器に過ぎない」と景勝が言い放ったのには見直しました。もう少し、いいところを見せて欲しいですね。
 そして、景勝・兼続が秀吉に対する覚悟を決めました。

 ちょっと、来週は楽しみです。私にとっても、見切り時です。


 ちなみに、真田忍者の初音襲撃が中途半端だという声がありますが、わたしは、あれでいいと思います。
 幸村は初音が兼続にかくまわれているのを知っていて、それを利用しようとしたと思われます。
 初音が北条を逃げ出し真田家から追われていて、命も危ない状況を、兼続に知らしめればよかったのです。兼続には秀吉の家来になってもらわなければならないので、兼続に危害を加えられるはずがない。また、初音を殺してしまっては、兼続を説得する材料がなくなってしまう。

 それで、ちらりと襲撃しておいて、あのタイミングで幸村登場となったと考えます。
コメント (4)
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