<彼女はめまいがしてきた。ロベルト・シュテルンとつきあっているとそのうち深刻な事態に陥るだろう、と彼女はいつも予感していた。精神的感染の危険を警告する心の声と他人の忠告を、彼女は三年間無視し続けてきた。彼の陰鬱な精神状態はまるで放射線のようだった。つまり、目には見えないが、それにさらされる人すべてに最悪の副作用を及ぼすのだった。彼に関わりすぎると負のエネルギーを過剰摂取してしまう、と彼女も思ってはいた。それでも、彼女は防護服も着ないで繰り返し彼に近づいた。だが今回ばかりは、近づきすぎたようだった。危険にさらされているのは、もはや精神状態だけではなかった。>セバスチャン・フィツェック赤根洋子訳「前世療法」P102より
人は別離を常に意識して、人づきあいをしているのでしょうか? これは、人には、天然に、自由 自立 孤独 を持っている ということでしょうか?
人づきあいの中で、人と会った後でもそうですが、もうこの人とはもう終わりだナ~、と感じることはときどきある。終わりになるのだろうか、終わりにしなくては、と感じることは多々あります。特に、引っ越し、転校、卒業、結婚、葬送、人事異動、転籍、転職、退職などの節目には多く、これらの TPO 以外にも、ふと感じるときはあるものだ。
ロボット(AI)はどこまで人の脳に近づけるかはよく話題になりますが、この感性だけは渡したくありませんね。人類は終末を迎えることになりかねませんものね。我々が生きながらえてきたということは、一緒にいたいという意識と同時に離別も浮かぶように出来ているということでしょうね。
終わり、との気持ちを整理出来る方は、和をもって尊しとなす日本人には、概して、苦手な方が多いのでしょう。
そして、これが、いじめやストーカーなどを誘う遠因でなければいいのですが…
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