<母は誰からも“りっぱな女性”(“気のいい南部女”とはまるで違う)と呼ばれる人だったが、私は彼女が死ぬ直前に、そのうわべの静けさの奥にほんのひと筋、荒々しい激情が潜んでいることに気がついた。いつもそれを抑えつけていることができたが、いったん手に負えなくなると・・・そう、このささやかな激情こそ、・・・・・彼女をはるかゴールズボロへと連れ去ったものであり、・・・・・男の子があふれているやもめの密造酒屋と結婚したいという気にならせたものだった。
十中八九、りっぱな女性というものは、まさに家族や社会が期待するとおりにふるまう。では残された一回は?彼女の通り道から離れているに越したことはない。面白半分に自分の世界を焼きつくしてしまうか、ほんの気まぐれで営々と築き上げてきたものをすべて失う危険を冒すことだろう。
トリシュにも似たような傾向があったからこそ、母は彼女のことが好きだったのだろうし、離婚の後も親しくしていたのだろう。だからといって、二人の結婚に大賛成だったというわけでもない。彼女はあらゆる努力を払って、兄を説得してトリシュとの結婚を思いとどまらせようとした。・・・・・いったん二人が夫婦になってしまうと、彼女はひと言も口出ししなくなったし、二年半後に分かれることになっても、“だから言ったじゃない”というようなことも言わなかった。>マーガッレト・マロン「密造人の娘」P221~222より
この一節にある 激情とは 行動をともなう 秘めた強い決心・信念のようなものでしょう。そして普段はめったに出ないが、ある切っ掛けで 湧き出ると 周囲の人々を巻き込む 決意行動ということでしょう。女性同士では (テレパシーで?)お互いに感じあえるものということでしょうか?
母性本能から 幼子や 御身を守らなくてはならないときに必要な硬骨心で 人の進化の過程で 女性が身に付けた盾のようなもの でしょうか?
皆さんも (若い時の)お付き合いの女性に (婚姻後の)奥さんに (業務上の)女性社員に ‘激情’を突きつけられた ことはあります(か)
窮女男をかむ?
激しい気性の女性の見極めに 昔の お見合い があったのだろうか?
女性の怖さの一つですね 昔を いろいろ思い起こさせる 一節でした。