さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

焼き物

2005-10-13 17:44:37 | Weblog
 飯碗に皿、湯飲みは何時割れてもいいようにと、焼き物は実用本位の安物で十分と思っていたが、デンマークの知人宅を訪ねて変わった。ロイヤルコペンハーゲンでコーヒーを出してくれたとき、奥さんが「20年もの」とコメントした。コーヒーもウイスキーと同じように年月をかけて熟成するのかと思って頷いたが、器の話だった。奥さんが毎年少しずつ買い揃えたブルー・フルーテッド・フルレース柄は全て同じ、30年前のものと比べると少し青色の濃淡が違うかなという程度の差にしか見えなかった。しかし奥さんは裏に書かれている番号で絵付け職人がわかると説明してくれた。何年に何を買った区分けも出来るという。「私はこの方のが好き」といわれても返事のしようがなかったが、コーヒーの味ではない器のせいだろう、時間を超越したリッチな気分になったことを覚えている。
 作品から、ゴッホは常に全力投球で描いていたと容易に想像できる。この、自分の全てを作品に移し出していた作家の持ち物の話を何かで聞いた。ゴッホはあっちこっちに移り住んだので持ち物は少なかった。貧しくて買えなかったのかも知れない。肌身離さず持っていたものは一輪挿してあったといっていた。もし花瓶を持っていなかったら自殺はもっと早かったかも知れないと、その時思った。
 焼き物の材料は土と鉱物に植物の灰だから、皿一枚が何千円とあるのは、製作技術ノウハウ料が貴いものであるからなのであろう。先日、丹波の清水寺を訪れた序に立ち杭焼き窯元を見て回った。渋い皿を見て、秋刀魚と大根おろしを連想し、買おうと思ったが高すぎた。わが家では残念ながら芸術品を日用品には使えない。秋刀魚をリッチな気分で食べても落ち着かないし...
 アンデルセン夫人の職人芸を味わうゆとり、ゴッホの花瓶と会話、焼き物には語り合えるもの、温かみがある。自分に語り掛けてくれるものを見つけたいと思っている。傍に置いておきたいから大きなものではない。女房に相談すると「余計な物を買うスペースもお金もない」と言われるのが落ちだから黙っていよう。「些細な贅沢を許せ」各地に色々な陶器市があるという。陶器市は商品処分市といわれているが、何かピーンと感じる物が見つかるかも知れない。鶴がいるかも知れない。まあ、当分はウインドー・ショッピングとなるだろうが、陶器市見学を兼ねる旅行も楽しみだ。図書館通いで本代をセーブし小遣いを貯めることにしよう

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