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生きる

思い出を抱えて生きる

台風21号/多摩川

2017-10-23 13:40:30 | Weblog

台風が過ぎ去った後の多摩川です。
小心者の私は、昨晩 まんじりともしないで夜明けを迎えました。
雨や風 雷までが騒々しかった。
いろいろ想像力をたくましくするからいけないのでしょう。
例によって 押し入れに逃げ込むことしか思いつかなかったのだが・・








多摩川は、見たことがないぐらいの水量で川幅は、倍以上。
場所によっては、川に見えない。
青梅市は、夜 全域に自主避難が発表されました。

私の父は、台風が過ぎると晴れるようだから良かったな!って笑っていたが
晴れる前が問題なのだけれど・・と複雑。
しかしおかげさまで すぐ晴れるすぐ晴れるって怖さをのりきったのだ。

  木製パレット屋のつぶやき


衆議院議員投票日

2017-10-22 10:38:05 | Weblog





今朝、目覚めは遅かった。
屋根に叩きつける雨音を聞きながら やはり 台風が近づいているんだなってぼんやり思った。
ワンコは、まだ 傍らで寝息をたてている。
午前中のうちに投票は、すませておきたかったため バタバタ支度をはじめて
大きな傘と長靴、雨合羽。

本降りの雨には、ワクワクしてつい回り道。
すっかり ずぶ濡れになってしまったが なかなか楽しいね。


  木製パレット屋のつぶやき


赤いダンスシューズ

2017-10-19 19:29:55 | Weblog

夫が家を出て行ったあたり
父が社交ダンスをすすめてきた。
初めは3ヵ月ぐらい そしてその次は、6か月 最後は、3年・・そんなことを言いながら
嫌ならやめていいから 習ってみたらどうだろうという。
まったく気が進まず 渋る私に提案した期間だ。
そんなに言うならと始めた社交ダンス。
初めは、前に出す手つきはキョンシー(お化けのようにぶらぶら)
恥ずかしくってなかなかできない。
家で復習していると 何をやっているのかと子供たちから冷ややかな目線。
それでも8年以上10年?は、続けたかな?
先生とのレッスンだけです。
それが 結局 やめてしまった。
しかし お茶の稽古で ダンスの話をしたら 先生からお友達まで 皆 目がキラキラ輝いた。
先生は、若いころ親の目を盗んで せっせとダンスに通ったと・・
もう一人の方は、私は今でも『赤色』のダンスシューズを大事にとってあるのよ!
とてもおしとやかな無口の方は、船の上で主人とステップを踏んでそれはそれは楽しかったわ。
皆さん 昭和6年から9年の間にお生まれになった方々でした。
赤色のシューズかぁーというので 私も早速 買ってみた。
なるほど 洋服にはあわないが 心がワクワクしてくるではないか!
モダンのこの靴がしばらく稽古を続けさせてくれたようなものです。

昨日、その赤いシューズの話をされていた方のお見舞いに行ってきた(大腿部骨折)
病室にいない彼女は、ナースステーションに連れて来られて
「〇〇さん少しでいいから食べて!」と食事をとるように説得されていた。
「バナナだけでも食べましょう」
下をむいたまま身じろぎもせず頑なに食事を拒んでいた。
しばらく廊下側から様子を見ていたが たまらず声をかけてしまった。
「まあ 」と私の名を呼ぶ
お話は、かなわなかった。
ナースの方に できたら後から来てくれないかと言われたからです。

食べないという覚悟が垣間見えて これ幸いと意気地なしの私は逃げるように帰ってきた。

今夜 私の赤色のモダンのシューズを探したがみつからない。

どこにいったのだろう。

 

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愛犬8歳の誕生日

2017-10-18 20:50:04 | Weblog

今日は、愛犬の誕生日です。
空です(名前は、色即是空からいただいて空です)
犬だからケーキもないし お祝いの言葉だってわからない(笑い)
でも 特別にお茶碗にササミを山盛り
そしてジャガイモも・・・
お腹を壊すぐらい食べても許します(ちょっと困るが)
「8歳おめでとう!」
そんなことを言ってもわからないよねハハハ





よくぞ8年間 私のそばにいてくれました。
感謝します。


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訛り

2017-10-18 09:54:13 | Weblog

数日前 新潟に暮らす90歳の父の兄が亡くなったと知らせが来た。
両親は、高齢のうえ体の不調も抱えているので 駆けつけることはむずかしかった。
いつも 朗らかな父は、動転しているうえに沈んでいた。
私に葬式に参列してくれるかと打診があった。
親不孝な私は、犬を預けなければいけないし仕事もあるし・・(それらは口にださない)
ずるい返事をしてしまった。
「弟が行けなければ行ってもいいよ」
弟は、会議で行けないとのことだった。
そのうち どうやら葬式などはしないで お経をあげてもらって火葬でおしまいにすると聞いたようで
拍子抜けしたようだった。
「それは 密葬もしくは家族葬というのかもしれないね」
聞いていないのか父は
「いつ葬式をするのかな・・」
「・・・・」
そこで さらに「誰もいけないからと電話であやまった」と言う。
「行けたのに・・じゃあ 後で私が行くね」
それから弔電やお香典の話になって不謹慎ではあるが 笑ってしまった。
「伯母さんの名前はなんていうの?」
母は、キイさんと言った。
父は、キエさんと言った。
最後に父は「どっちでもいいよ 通じるだろう?」
以前にも 叔母さんの連れ合いの名を「イジンさん」と教えてくれて
私は、しばらく異人だと思っていました。
その方のお葬式で『エイジさん』とわかって 悲しみの席で笑ってしまったことがありました。

伯父さんご夫妻にあったのは、十年前かな?
それが 父たちの両親のお骨を新潟に移すため引き取りにきていて
帰る日偶然、郷里の駅のホームでおめにかかったのです。
いみじくも お見送りする形になってしまった。
めったに行かない郷里で しかも 祖父母の遺骨が引っ越す日。

伯父さん ご冥福をお祈りいたします。


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