活眼明察日記

物事の道理や本質を見分け、真相を明らかにする眼力を養いたい

原発災害伏線に正力あり

2011-07-19 17:12:00 | Weblog
読売新聞と日本テレビを率いてきた正力松太郎は戦後、「原子力の父」として呼び名された。A級戦犯であったが不起訴処分で釈放された経歴を持つ。

その正力は戦前戦中を通じ警察官僚として、社会主義者や共産党を徹底して弾圧する指揮を執った。

1923年9月1日の関東大震災では多数の在日朝鮮人たちが、警察や軍関係者の手により殺害される事件があった。日本人でも東京・亀戸警察署で平沢計七ら9名が警察や憲兵らに殺害された。その数日後、大杉栄、伊藤野枝、それに大杉の甥で7歳の橘宗一が麹町憲兵分隊長甘粕正彦に絞殺された。いずれも主義主張が異なるからと殺されたのだ。これらの事件は日本の残虐史として、後世に語り継がれ、記録されていることは周知のとおりである。

正力はこのときの警視庁官房主事という地位にあった。この理由なき殺害事件に、「今回の事件は法に触れて殺されたもの。警官が手を下したか否か、僕としては軍と協力、暴行者を留置場外に引き出したことは事実だが、刺殺には絶対関与していないと信ずる」という談話を新聞記者に発表している。(中島健藏著 昭和時代 岩波新書)

これは驚くべき暴言である。ろくな調査もしないで警察・官憲の非道を正当化しているからだ。下手人を逮捕することもせず、厳正な法的手続きを踏まず、殺害者を放免した正力は共犯者にひとしい。

また、戦時中は共産党員の一斉摘発の指揮をした(7/18 朝日新聞)というから稀代の悪党である。

その正力が戦前.戦中の悪事を問われることなく、中曽根康弘と二人三脚で日本の原発を主導してきた。米に最大の利益を献上する一方、彼らも黒い「原発利権」を手にした。

正力が亡霊のようによみがえったことが、日本の「第2の敗戦」の出発点であると考える。原爆投下と福島原発災害がそれである。

戦犯がよみがえるわが国の政治的、社会的風土が正されることなく、今日に至ったことに第2の敗戦の伏線がある。そして、65年を経たいまでも、きちんとした戦後処理ができていないことから、今後も第3、第4の敗戦を迎えること想像するに難くない。同時に、「あいまいにする日本人」であってはならないこと、今度こそ自覚する必要に迫られている。