Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

知の欺瞞

2008-11-12 18:50:29 | 読書ノート
数週間前の新聞書評欄で取り上げられた、『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』(アラン・ソーカル, ジャン・ブリクモン 岩波書店)が、昨日本屋から届き、読む。

例えば、ポストモダンの代表的な思想家ボードリヤールの著作から「これは、出来事の空間が多重に屈折するハイパー空間となったことの記号、戦争の空間が決定的に非ユークリッド空間となったことの記号である」(同書P196)を抜き出して、この文章の無意味さを指摘しています。

この文章は、数学の素養以前の質で、つい笑ってしまいました。
僕が愛読している思想家も酷評されています。

つまらない思考を、当たり前のことを、意味の無いことを大げさにして、未熟な科学知識を散りばめ、他者を煙に巻いているだけです。

で、ポストモダンの技法で「終焉の家族」のテーマで導入部分を書いてみました。

「変貌する社会において、価値観の多様化した家族には、微分の性質があることから、テイラー展開によって、家族の形態はオイラーの公式を獲得するごとく変貌していく。」

それ風になりましたが、単に、「個々人の取り巻く環境の変化、また価値観の多様化などにより、家族の形態は変貌している」との当たり前の事象に、『COS、SINの三角関数の微分に係る性質を用いて、テイラー展開をしますとオイラーの公式を導くことができる』ことを散りばめただけです。

真贋混沌のポストモダンは、玉石混交なのでしょうが、「玉」はあるのでしょう。(淡い期待を込めて)

新しい思想が、新たな社会、時代を造るのではなく、既存の思想、哲学で捉えることの出来ない社会、時代の状況が新しい思想を生み出すだけのこと、を物語っています。

様々な妄念を浮遊させていますが、理工系の法則、定理等は妄念に構造を持たせることができます。この構造を持った妄念は、思考もどきの振る舞いをします。

当ブログでは、極力用いないようにしていますが、理工系の語彙が紛れ込みます。
同書を読み、改めて自戒するところです。



参照註(何れもWikipediaより)

リオタールによる定義
リオタールは『ポストモダンの条件』を著したが、彼によれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」なのであった。
「ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。例えばマルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われる、とされた。この考え方に沿えば、"ポストモダン"とは、民主主義と科学技術の発達による一つの帰結と言える、ということだった。

ジャン・フランソワ・リオタール
フランスの哲学者。
フランス生まれ。マルクス、フロイト、現象学などを学んだ。アルジェリアで哲学教師となり、以後パリ第8大学教授などを務めた。
急進的なマルクス主義者としてアルジェリアで活動。帰国後、1968年のパリ五月革命に参加。主著に『ポストモダンの条件』(1984)。「大きな物語の終焉」「知識人の終焉」を唱え、ポストモダンを流行語にした。
アラン・ソーカルらによって、数学・科学用語を不適切に使用した論文であるとの批判を受ける

ソーカル事件
ニューヨーク大学物理学教授(専門は統計力学、場の量子論)だったアラン・ソーカル(Alan Sokal-)が起こした事件。数学・科学用語を権威付けとして出鱈目に使用した人文評論家を批判するために、同じように、科学用語と数式をちりばめた疑似哲学論文を執筆し、これを著名な評論誌に送ったところ、見事に掲載された事件。掲載と同時に出鱈目な疑似論文であったことを発表し、フランス現代思想系の人文批評への批判の一翼となった。