日本共産党中央委員会名誉役員、元幹部会副委員長・元参議院議員の上田耕一郎が死去しました。
今更、日共批判をしてもと考えており、コメントをアップしようか迷っていました。
当ブログとリンクしています晴走雨読氏が、上田氏について次のように書かれており、簡単なコメントを書くこととしました。
『上田氏が、日共内に留まらず活動していたらどのようになっていただろうか。』(08.11.01追悼 上田耕一郎)
上田氏は、庶民的人柄と日共の民主化リーダー・上耕人気で、マスコミでも好意的に論評されていました。
僕的には、そんなもの単なる幻覚だと考えています。
『戦後革命論争史』(1956年「上巻」、1957年「下巻」 大月書店)で、宮本顕治に党内問題を党外にもちだしたと、宮本顕治の常套手段で批判・異論者を党内外排除する口実に屈服したと考えています。
民主集中制の原則問題をめぐって ―党史の教訓と私の反省―(不破哲三の自己批判書『前衛1983年8月号』)、『戦後革命論争史』についての反省―「六十年史」に照らして―(上田耕一郎の自己批判書『前衛1983年8月号』)において屈服の有り様がわかります。
宮本・不破による党内の反民主犯罪の遂行者、宮本顕治への屈服者、上耕人気の人柄を考えると、人格は破壊されていたのかも知れません。
志位委員長が、能天気なコメントを出しています。
「理論的な面でも、日本共産党にとって、綱領路線の発展、あるいは自主独立の路線の担い手として、大事な働きをされてきた大先輩です。」(08.10.31しんぶん赤旗)
上田氏が、宮本顕治の批判を撥ね付けて、党に居たのなら、日共はどうなっていたのだろうか、と考えます。
ポンチ絵的蛇足
弁証法的唯物論をポンチ絵風に記せば、イデオロギー、法制的・政治的制度などの上部構造は、下部構造に反作用を及ぼし、生産力と生産関係の矛盾を階級闘争により、古い生産関係から新しい生産関係に変革します。当然、旧態の上部構造は死滅します。
上田・不破兄弟は、「構造改革」を標榜していましたが、現状の社会の諸矛盾・問題は制度や事象だけではなく非合理的な社会構造によっても起因し、社会構造自体を変革する思想ですが、「社会」を「日本共産党」に置き換えると宮本顕治の「恐れ」が理解できます。
弁証法的唯物論を理論的基礎としている前衛組織は、自らの組織のあり方に弁証法を基礎としていません。
ただ、批判・異論者を排除するだけです。
今更、日共批判をしてもと考えており、コメントをアップしようか迷っていました。
当ブログとリンクしています晴走雨読氏が、上田氏について次のように書かれており、簡単なコメントを書くこととしました。
『上田氏が、日共内に留まらず活動していたらどのようになっていただろうか。』(08.11.01追悼 上田耕一郎)
上田氏は、庶民的人柄と日共の民主化リーダー・上耕人気で、マスコミでも好意的に論評されていました。
僕的には、そんなもの単なる幻覚だと考えています。
『戦後革命論争史』(1956年「上巻」、1957年「下巻」 大月書店)で、宮本顕治に党内問題を党外にもちだしたと、宮本顕治の常套手段で批判・異論者を党内外排除する口実に屈服したと考えています。
民主集中制の原則問題をめぐって ―党史の教訓と私の反省―(不破哲三の自己批判書『前衛1983年8月号』)、『戦後革命論争史』についての反省―「六十年史」に照らして―(上田耕一郎の自己批判書『前衛1983年8月号』)において屈服の有り様がわかります。
宮本・不破による党内の反民主犯罪の遂行者、宮本顕治への屈服者、上耕人気の人柄を考えると、人格は破壊されていたのかも知れません。
志位委員長が、能天気なコメントを出しています。
「理論的な面でも、日本共産党にとって、綱領路線の発展、あるいは自主独立の路線の担い手として、大事な働きをされてきた大先輩です。」(08.10.31しんぶん赤旗)
上田氏が、宮本顕治の批判を撥ね付けて、党に居たのなら、日共はどうなっていたのだろうか、と考えます。
ポンチ絵的蛇足
弁証法的唯物論をポンチ絵風に記せば、イデオロギー、法制的・政治的制度などの上部構造は、下部構造に反作用を及ぼし、生産力と生産関係の矛盾を階級闘争により、古い生産関係から新しい生産関係に変革します。当然、旧態の上部構造は死滅します。
上田・不破兄弟は、「構造改革」を標榜していましたが、現状の社会の諸矛盾・問題は制度や事象だけではなく非合理的な社会構造によっても起因し、社会構造自体を変革する思想ですが、「社会」を「日本共産党」に置き換えると宮本顕治の「恐れ」が理解できます。
弁証法的唯物論を理論的基礎としている前衛組織は、自らの組織のあり方に弁証法を基礎としていません。
ただ、批判・異論者を排除するだけです。