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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

京都暮らし47. 祭だねぇー

2009年07月14日 | Kyoto city
7月1日から始まっている祇園祭も、いよいよクライマックスが近づいてきた。今日は宵々山だ。
 昨日の夕方鉾町を徘徊してきた。まさに準備の最盛期であり、今日からの宵々山、そして宵山、山鉾巡行にむけて、次第に盛り上がりつつある空気が、歩いていていると伝わってくる。いよいよお祭りだねぇー、そんな感じが町の中に漂っている。
 今年は祇園祭のクライマックスが、ウィークデーなので、私は名古屋と京都をいったりきたりしながら、お祭りに行くのだろう。もちろん宵山の人手は、相当なものである。
 私は所用があるために、この時期年に一度だけ呼ばれる16日の祇園一力の茶会を逃したのは、少し残念であるが。
 それでも、街中に点在する山や鉾が次第に飾り付けられてゆく様は、もうじき夏が来るという予感に思われる。実際に、祇園祭の宵山の頃に梅雨が明け、京都盆地特有のムワッとする真夏が始まるのである。今日は、数多くの露店が設えられるだろう。
 これから日本の各地で大きな祭が、目白押しである。 博多祇園山笠、徳島の阿波踊り、青森市のねぶた祭、秋田の竿灯といった具合に、暑いときにワッと汗だくになって盛り上がる。日本の盛夏を実感する。

京都・東洞院通り
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし46. 千日回峰行

2009年07月13日 | Kyoto city
 比叡山延暦寺の千日回峰行は、最も厳しい7年にわたる荒行であり、これまでの記録では47人が、この行を達成したとされている。延暦寺の創建が西暦800年頃であるから、それ以来の47人であろうか。
 そんな荒行の一つに、延暦寺の寺及び市内260余寺を6時間で歩き回り、それを二ヶ月程繰り返す行がある。いま48人目の行者であろうか、自宅近くの因幡薬師にも毎日きまった時間に、行者の一行が足早に参拝に訪れる。近所の人々が集まり、合わせて参拝すると、行者が一人一人の頭をなでてくれるのであった。
 私も列に並んで合掌しながら頭をなでてもらったら、なんと不思議なことに肩のコリがスッとなくなったのである。まさかと思ったがこれは事実なのである。30分ほどしてまた肩が凝ってきたのだが、それは精神の持ち方なのだと、教えてくれたように思われる。
 こうして千日回峰行の行者と接することが出来るというのも京都に住んでいても一生に一度あるかないかである。私達は、幸運だったといえよう。
 行の途中故に、そのときの写真は掲載しないことにした。調度この時期は、賀茂茄子の季節である。京都特有の大きい茄子が市場に出回っていた。季節は5月下旬の初夏の頃であった。

CanonEOSkissDigital,EF16-35mm/F2.8
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京都暮らし45. 新講座開設の試み

2009年07月10日 | Kyoto city
 私が教えている大学の隣の学科(デザイン情報学科)に、私自身が教える新講座を開設しようと考えている。目下その準備のために勉強を始めたところである。専門分化した大学教育のこれまでの経験からすれば、通例隣の学科に専門科目を展開する例は、極めて少ない。
 私の場合は、博士(デザイン学)だから、デザインというフィルターを通せば、アカデミックキャリアとしては十分だし、こうした異分野参入というのは、そんなに難しいものではない。
 そこでプロダクトデザイン専攻の一角に、(仮)「マーチャンダイジング論」を展開しようと考えているわけだ。プロダクトデザインが主に、製造業からの視点でありデザインアプローチであるのにたいして、マーチャンダイジングは、流通・消費者側からのデザインアプローチである。それなりに方法論も異なるが、特に留意しているのは、商学部などで行われているいわゆる店づくりも一部に含むが、何よりも生活商品の開発を主とする講座をイメージしている。商品開発から店づくりも含む、デザイン学としてのマーチャンダイジング論が構築できればと面白いだろう。そうすることで、プロダクトデザインの領域が広がるであろう。
 とまあ、ここまでは勢いで走れるのだが、今でも教えられると言っても、先端知識の勉強をしなければならない。夏休みの仕事が増えて幸いだと思っている。
 なんでこんなことを考えたかっていうと、一つは私自身暇になったこと、二つはデザイン学会でプロダクトの先生達と懇談していて感じた、プロダクト領域の充実が必要だと感じたこと、三は暑い京都の夏休み時期に、家で籠もってできる仕事を、探していたこと。といった具合に、案外たわいもないところに、新講座開設の動機があるようだ。
 さて構想はよいとしても、実現するのか、あるいはいくつかの事務手続きで、私の意欲が失せるか。ボチボチ進めますか・・・。

京都・清水寺
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED

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京都暮らし44. 雑読

2009年07月09日 | field work
 このところ散歩がてらに本屋に出かけて、平積みされている本の中から、目についた単行本を買い込んでいる。それらは、 雑誌のような感覚で、セールスされている本だから概ね金額1,500円以下だ。1日で読めてしまう。こうした読書スタイルを雑読と読んでおこう。
 雑読で、頭の中に残るのは精々2~3ワードぐらいで、後は忘れてしまう。ところで人間の脳は2種類の情報に対応している。左脳は言語や論理回路であり、右脳は感性や創造回路に対応している。雑読で左脳が関心ある2~3ワード拾い、興味のないことはいらないと判断したのだから、それは忘れてしまってよいのである。
 そうこうしていると本が貯まるので、狭い京都の町屋に置いておくのは不都合だ。そこで著者には悪いが、ブックオフへもってゆくことになるだろう。
 京都も次第にジメッと暑くなってきた。今日はわざわざ自転車で駅前の「イノダコーヒー」へ、ランチを食べに出かけたので、暑いことしきりである。なんでこの暑い時にと自分でも、不思議に思うが。まだ講義のレポートの採点が少し進んだだけで、気分はげっそりしている。

上高地田代沼・2009年
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし43. 四刀流とは!

2009年07月07日 | field work
 四刀流の話を、続けよう。私達が持っている視覚的表現形式つまりクリエイションツールは、 文章や詩文やコンピュータプログラムといった 「文」、数式や論理式或いは分子式といった「式」、地図や設計図やグラフや表や音符といった「図」、絵画やスケッチ、写真・映像といった「絵」の4種類だけである。
 そして社会的にも学術的にも、そして何よりも人間の思考そのものが「文」というツールを主導的に用いている。前述したが大学では、文化系や理科系では、最終的なアウトプットが論文である。それは「式」や「図」や「絵」を用いつつ、最後は「文」としてまとめられ、論文としてクリエイションされてくる。法律もコンピュータのブログラムも全部「文」であり、そう考えると、社会全体や私達のライフスタイルの全てが「文」というテキスト志向であることを自明のこととしている現実に、私はいささか唖然としているのである。
 私自身コンピュータ言語で書かれたプログラムで「絵」を書いているのだし、このブログだって「文」に依存している。「文」の支配力はすさまじいものがある。そこには概念化や抽象化或いはコミュケーションという人間の思考力の大前提を「文」が、的確に持っているからだろう。
 話が難しくなった。私としては、「式」や「図」や「絵」というクリエイションツールをもっと主導的に活用すべきではないかと思う。それらが十分に活用され、時には主導的役割を果たす場面が登場してきたとき、まさしく新しいパラダイムであり四刀流だと思う。いつまでも「文」の一刀流だけの世の中では、つまらんなと思う。
 余談だが、7月7日からサーバー名が.macから.meへ変更される。どっちのURLでも届くようにはなっているが、これまでの.macでは編集ができないということだ。それは良いとして、実際に変わってみないと、どうなるのかわからないまま、書いている。まさに「文」の王国という感じがしなくもない。

上高地明神・2009年
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED

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京都暮らし42. 知の整理学

2009年07月05日 | field work
 昨日は鎌田浩毅(注)の随筆を読んでいた。外山滋比古に続き知の整理学が続く。それは「東大生・京大生が読む」といった具合に帯のキャッチコピーが付けられて店頭に置かれていたので、つられて購入したにすぎない。それにしても、昨今何故知の整理学に、少し人気が集まるのだろうか。
 調度7月は、受験生に対して、全国の大学でオープンスクールを実施している時期である。そして8月にはおおかたの志願大学が決まるので、我が国の教育習慣かと類推したりもする。そのように類推したのは、先ほど高校の進学のための出前講義で使用する、レジメを作成し終えたところであり、今月は、なにかと大学受験というキーワードが目立つと感じたからかも知れない。
 さて知の整理学関係の本を読んでゆくと、ルーズリーフノートを使いテーマ毎にバァインダーにまとめ云々に始まり、文房具の効果的な使い方等や、勉強の仕方について微に入り細に入り紹介されており、私のような立場にとっては、まあそうだろうと思うことが多い。
 それよりも、我が国の人口の大半を占める文化系と理科系を専攻する人種は、大学の先生にでもならなければ、整理学で対象とするようなテキスト情報のクリエイションで、あらゆる物事を組み立てているんだと思い、唖然とした。彼らのコンテンツは一生これだけ。別の言い方をするマイクロソフトの「OFFICE」で大概の事が片づくようという、なんとも単純で簡単なツールで一生をすごしているわけだ。それで今の社会が成り立っている。
 私達の研究室の学生達が使用しているパソコンには、OFFICEはもとより描画系のイラストレーター、写真を扱うフォトショップ、それらを編集するインデザインはもとより、建築図面のCADソフト、それを立体化する3DCGソフト、そしてランドスケープソフトまで搭載しており、自由に使える環境にある。だから、芸術工学部の学生は、テキスト、設計図などをはじめとするあらゆる描き方のチャート、イラスト、写真や映像、そしてランドスケープといった具合に、文化・理科系卒業者の4倍のアイテムのクリエイションツールが使えるのだということに気がついた。
 武家の姿に例えれば、社会の多くの人間がテキストという脇差し1本 (まあ北辰一刀流ですかな!)でクリエイションして一生をすごすのに対して、私達の大学の学生達は、いまだ歴史小説にもコンピュータゲームにも登場したことがない、なんと4刀流のキャラクターなのだ!!!。少なくとも4つのクリエイションツールが使えるような、教育システムが存在している。それが文化系や理科系の大学では見られない、私達の大学の特徴なのである。
 出前講義のテキストづくりをしながら、他の大学と比較していたら、そんなことに気がついた。私流の知の整理学であろうか。

注:鎌田浩毅:一生ものの勉強法,東洋経済新報社,2009.
上高地田代沼・2009年
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし41. グライダーな気分

2009年07月02日 | field work
 最近の京都は、蒸し暑さが増してくるとともに、時折激しいスコール状の雨がふる。まだ朝は涼しく心地よいが、あと2週間もすればも梅雨があけ、蒸し暑い夏の季節になる。昨日から祇園祭が始まった。一ヶ月は続く八坂神社の祭礼である。近所の町屋にも、山の看板が17番という掲示がされていた。今日は山鉾の「くじ取り式」が、市役所で行われたのだろう。
 ところで外山滋比古の随筆(注)を読んでいたら、大学教育をグライダーと飛行機に見立てていた箇所があった。教育という力で引っ張ってきた自力では飛べないグライダー学生を、自力で飛べる飛行機にするために卒業論文を行うというわけだ。さあ自分でテーマを決めてやってごらんということになる。学生の受動的資質から能動的資質に立ち向かわせることが論文の目的であり、そうしないと自分で飛べない人間は、コンピュータに仕事を奪われる結果となるというわけだ。
 そう考えれば、私自身思い当たる節もあり、納得できる。それにしてもこの本は、2009年で第53刷となり、初版は1986年だ。随分長い間読まれたエッセイだとおもう。隠れたベストセラーなのだろう。ところで話題の違う話をだしているあたり、プログの執筆意欲も低調でどこかしまらない。気分は、どこへ飛んでゆくかわからないグライダー任せだなと思う。

注:外山滋比古:思考の整理学,ちくま文庫,2009.
上高地焼岳・2009年
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
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京都暮らし40. アレッ!

2009年07月01日 | Nagoya city
 京都に棲みだしてから、これまでに撮影したカットを眺めていたら、アレッ!である。というのもカットは、古い民家、伝統行事といった具合に、要は歴史系の臭いが漂い、現代の風景を撮影したものが大変少ない。何しろ古都で曲があるのだから、それは当然なのだが、どこを撮影しても古さが顔をだす。
 人間というのも我が儘な種類で、こんなに古さが出現すると、逆にメカニカルであったり、新しい最先端の東京の風景が欲しくなる。視覚経験的にバランスをとろうとしているのだろうか。
 こんなことに気がついたのも、名古屋の行きつけのスナックで、話の弾みにモノクロの写真が欲しい、ということになり、店のインテリアに合いそうなカットを探していたからだ。ところが最近の私のライブラリーには、適切なカットが少なく、ようやく名古屋で撮影した、このカットを見つけたわけである。
 どこかメカニズム、そして鼓動を感じさせるところが、面白いか。
 少し諸般の事情で、ブログをお休みする場合もあるので、あしからずご了承願いたい。

出来町通り・名古屋
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