Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし43. 四刀流とは!

2009年07月07日 | field work
 四刀流の話を、続けよう。私達が持っている視覚的表現形式つまりクリエイションツールは、 文章や詩文やコンピュータプログラムといった 「文」、数式や論理式或いは分子式といった「式」、地図や設計図やグラフや表や音符といった「図」、絵画やスケッチ、写真・映像といった「絵」の4種類だけである。
 そして社会的にも学術的にも、そして何よりも人間の思考そのものが「文」というツールを主導的に用いている。前述したが大学では、文化系や理科系では、最終的なアウトプットが論文である。それは「式」や「図」や「絵」を用いつつ、最後は「文」としてまとめられ、論文としてクリエイションされてくる。法律もコンピュータのブログラムも全部「文」であり、そう考えると、社会全体や私達のライフスタイルの全てが「文」というテキスト志向であることを自明のこととしている現実に、私はいささか唖然としているのである。
 私自身コンピュータ言語で書かれたプログラムで「絵」を書いているのだし、このブログだって「文」に依存している。「文」の支配力はすさまじいものがある。そこには概念化や抽象化或いはコミュケーションという人間の思考力の大前提を「文」が、的確に持っているからだろう。
 話が難しくなった。私としては、「式」や「図」や「絵」というクリエイションツールをもっと主導的に活用すべきではないかと思う。それらが十分に活用され、時には主導的役割を果たす場面が登場してきたとき、まさしく新しいパラダイムであり四刀流だと思う。いつまでも「文」の一刀流だけの世の中では、つまらんなと思う。
 余談だが、7月7日からサーバー名が.macから.meへ変更される。どっちのURLでも届くようにはなっているが、これまでの.macでは編集ができないということだ。それは良いとして、実際に変わってみないと、どうなるのかわからないまま、書いている。まさに「文」の王国という感じがしなくもない。

上高地明神・2009年
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED

コメント
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