訳出時間枠:42分25秒から46分19秒まで
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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。
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このあたりから、いよいよ本題に入ってくる。
全編重要なテーマで埋め尽くされているが、ここからが本番。
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それから、イエスは座る場所を見つける。
マタイ伝にこう書いてあります。
婦人たちの庭がある宮の献金箱のあるあたりに、彼が教えていた大庭があった。
男や女、見知らぬ人たちが集うことのできる場所だった。
そして、彼は座った。
疲労困憊していた。
彼は見上げた。
そこには、ラッパ型の容器が13個あり、人々がやって来ては、その到着を知らせるためにラッパを置き、陳列台の上に献金を置いた。
金持ちが進物を献金箱へと投げ入れるのをイエスは見ていた。
マルコには次にように書かれている。
マルコ12章41節、「彼らは有り余る中から投げ入れた。」
その宗教体系が要求していたのはまさにこれだった。
施しものによって救いを買い取るシステム。
この宗教の御用達は裕福になっていった。
その時、ある貧しいやもめがふたつの小さな銅貨を投げ入れるのをイエスは見た。
1レプタは1デナリの132分の1で、ユダヤ人が使用していたコインの中で最小。
ローマのコインにはカエザルの顔が彫られていたため、ユダヤ人は偶像と見なし使用するのを控えていた。
代わりに、彼らにはユダヤコインがあった。
ふたつの小さなペニー貨、すなわちふたつの小さな銅貨。
イエスは弟子たちに話しかける。
彼らはその町を離れ、門を通り抜ける。
荘厳で、50年間工事中、至る所に金が散りばめられた荘厳なヘロデ神殿、この裕福な宗教から今離れようとしている。
彼らは出ていく。
出ていく前に、このことに注意を喚起し、弟子たちにこう言います、「あの貧しいやもめは他の人たち全員よりも多く投げ入れた。というのも、彼らはみな自分たちの余剰分から献金したが、彼女は自分の貧しい中から、生きていくのに必要なものすべてを投げ入れた。」
この箇所に関する説教をかつて聞いたことのある人はいるでしょうか。
この箇所に関する説教を聞くと献金する人がいます。でしょ。
嗚呼、主よ。このやもめから学ぶことがありますように。
ここでは何が起きているのでしょうか。
「これが犠牲の原則です」と人は言います。
確かに、その通り。
これが一定の原則だと言うのであれば、確かに原則はあります。
あなたが持っているものを100%与えて、家に帰る。
(すると何が起きるか)
すると死んでしまいます。
これが原則です。
それが彼女がしたことです。
「彼女は生きていく上で必要なものをすべて投げ入れた」と書いてあります。
ギリシャ語原典には、「彼女は自分の命をすべて投げ入れた」とある。
それがここで起きていることなのです。
そして、死ぬために彼女は家に帰って行った。
イエスが基本的に言っていることは、「より多く持っている人は余剰分から献げる。彼女が献げ物をした後、彼女の所持金はゼロだった」ということ。
もしもこれが献げ物に関する授業であるなら、ここから明確に知ることのできる唯一の授業というのは、すべてを献げ家に帰ると、誰かが献げた以上のものを持って来てくれるか、それとも死ぬこと以外にはない。
これは聖書的ではないと思う。
「いやいや違う。この授業というのは、彼女が見せた実に良い態度だ」と言うかもしれない。
そうだろうか。その態度は何処に書いてあるのか。
何処に。
彼女の態度について書かれている箇所は何処か。
彼女の態度に関することばは一言もないではないか。
どういうことか。
彼女の態度について何も書かれてはいない。