訳出時間枠:23分30秒から26分41秒まで
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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。
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そして、41節。
イエスは彼らに言った、「キリストがダビデの子と彼らが言っているのはどうしてか。どうしてそのような結論に至ったのか。」
それが彼らの望み得る限界だった。
それが彼らの到達し得る限界だった。
それが彼らの理解し得る限界だった。
彼らのメシアに関する考え方は、基本的に腐食だらけだった。
それのどこが間違いかって。
それは不完全であり、不完全イコール間違い、ということになる。
問題はシンプルです。
弟子たちはそのことがよく分かっていた。
すべての人を代表して、神の啓示によってペテロは、「あなたはキリスト、生ける神の御子です」と言いました。
ダビデの子、その通り。
神の御子、その通り。
しかし、ユダヤ人にとって、答えは厳格に「ダビデの子」だった。
イスラエルの王座に対する権利を有する者、それがメシアであります。
ユダヤ人であれば誰でもそのように答えていたでしょう。
彼らはみなそれを知っていた。
それが旧約聖書の教えであります。
第2サムエル7章、詩篇89編、エゼキエル書37章、その他多くの箇所にそう書いてある。
ざっと目を通せば、マタイ伝が恐らく最も良い箇所ではないかと思います。
人々の言っていること、大衆の言っていることを聞いてみましょう。
例えば、マタイ9章27節。
イエスはそこを通り過ぎようとした時、ふたりの盲人が彼の後をついてきた。叫びながら、「私たちを憐れんで下さい、ダビデの子よ」と言った。
イエスがエリコを通って行こうとした宣教活動後半に、ルカは18章で触れています。
ルカ18章に、イエスはもうひとりの盲人と出会ったとあります。
物乞いの盲人はお互いにたむろする傾向にあります。
だから、彼ら二人と出会って、そのような機会が2度あったとしても驚くには当たりません。
彼らはイエスに向かって叫んだ、「ダビデの子よ、私たちを憐れんでください。」
マタイ12章、「盲人で口もきけない、悪魔に憑かれた男がイエスのもとに連れて来られた。イエスが癒したので、口のきけなかった男は言葉を話し、あたりを見た。すると、大勢の者たちは驚いて、「この男がダビデの子であるはずがない、そうだろう」と言い始めた。
それがすべての人の理解していたこと、メシアはダビデの子、だった。
ところで、欄外注にあるように、だからこそ、マタイの系図やルカの系図があることは極めて重要なのです。
マタイ伝においてはヨセフの系図であり、ルカ伝においてはマリアの系図であります。
両者の場合、つまりいずれの家系図においても、イエスはダビデの系列出身であります。
母方の系図からイエスは王家の血族であり、父方の系図からイエスは統治する権利を有しています。
メシアがダビデの子であることを否定する人は誰もいませんでした。
旧約聖書によれば、それは正真正銘の真実です。
事実、ゼカリアが良い例証となります。
ゼカリアは、バプテスマのヨハネの父であります、ルカ1章。