みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#12 基礎教理 by Reformed Theologians

2022年09月18日 | 基礎教理

John MacArthur: Who Is Jesus?

訳出時間枠:35分22秒から39分55秒まで

◇◇

聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。

◇◇

主である神(Yahweh)が、私の主(Adonai)、すべて私(神)のパワーが与えられたお方、私(神)が支配者とするお方に話している。

これがメシアであり、神なる人。

その時点で、最後の招待はイスラエルに対して完結した。

それに続いて悲劇が起きる。

われらの主の最後のことばが来る。

すべての民衆が聞いている中、彼が公然と話した最後のことば。

最高の人生を送る方法、ではなかった。

あなたがたを覚醒させるために、それを投げ入れようと思った。

彼が公然と話した最後のことばとは、「気をつけよ。」

「律法学者に気をつけよ。彼らは長いローブを着て歩き回るのが好きだ。市場でいんぎんな挨拶をしたり、シナゴーグの上席や晩餐の特等席をひたすら好む。やもめの家を食い荒らし、うわべを飾るために長い祈りをする。より重大な非難を受けるであろう。」

背教のユダヤ教に対して重罪を宣言する。

キリストが決して容認できなかった唯一のこと、それは偽宗教だった。

彼の最後のことばは警告だった。

さて、ルカには2節にわたって書かれています。

マタイは彼の全スピーチが書かれている。

マタイ23章、読んでください。

マタイ23章は猛烈な呪いであり、イスラエルの偽指導者たちに対する痛烈な非難。

聖書的キリスト教の実際を否定する偽宗教をあらん限り非難するがゆえに、これはイエスの最後の捨て台詞なのです。

ルカは2節で言及しています。

マタイは、ほぼ40節まで広げています。

イエスは彼らを偽善者と断定しています。

マタイは、全文掲載している、偽善者、偽善者、偽善者、偽善者。

彼はそれをくり返し、くり返し、くり返し、くり返す。

災い、災い、災い、呪い、呪い、呪い。

イスラエルの宗教指導者たちを呪った後、その宮を出ていき、人々に警告した。

「連中から離れなければ、ともに堕ちていくであろう。」

ルカ伝には、ひとつの行ないのみ記載されています。

それは魅力的です。

イエスは彼らの偽善的態度について言及します。

長いローブを着て歩き回ったり、長い挨拶が好きだなどなど、上席、高慢、利己的、独善的。

そして、唯一の罪深い行ないがある。

彼らはやもめの家を食い荒らす。

これは唯一特異的な罪ある行ないであります。

ギリシャ語のKatesthioとは、「消費する」「分捕る」「食い尽くす」。

この宗教はどれほどひどかったのでしょうか。

全く無防備な人々を犠牲にして、責任ある人々が金を設ける場所に成り下がっていたのです。

それだけ、ユダヤ教は堕落していたのです。

御心とは程遠くはなれてしまっていた。

旧約聖書全体を通して、神の御心とは、貧しいものたちの面倒を見ることでありました、そうではないですか。

ヤコブ2章に何と書いてありますか。

「純粋無垢な宗教とは、やもめやみなしごの面倒を見ることである。」

これが神の御心であります。

優しい憐れみ。

神学ではなく行ないより鑑みて、それが背教のユダヤ教の惨状だった。

◇◇

イエスが最後に残したことばは「気をつけよ。」

誰に気をつけよか。

もちろん、パリサイ派と律法学者だ。

現代のキリスト教教会に適応すれば、山羊(リベラル)に気をつけよ。

他の異端は分かりやすいが、リベラルは羊をかぶっているので慎重に検討する必要がある。

日常の何気ない言動や行ないに本性(反聖書的言動)が顕われるので判別が可能となる。

地獄への道連れにされないように気をつけよ。

改革派神学的聖書解釈が最も真理に近い(安全)と断言する。

但し、狭き門であるので努力と忍耐が求められる。

◇◇

賛美:

 Acapella worship songs with lyrics

 

 

 

 

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