みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#157 終末預言 by R.C. Sproul

2022年09月25日 | 終末預言 

The Triumphal Entry (Mark 11:1–11)

訳出時間枠:最初から6分15秒まで

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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、マルコ福音書から改革派神学基礎教理を学ぶ。

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今回はマルコ福音書11章1節から11節にご注目お願いします。

みことばを朗読しますので、一同ご起立お願いします。

さて、エルサレムの近く、エルオリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤまで来た時、イエスはふたりの弟子を送り出した。彼らに、「向こう側にある村に入りなさい。村に入るとすぐに、誰も乗ったことのない子ろばがいる。なわを解いて連れてきなさい。どうしてそんなことをするのかと聞かれたら、主がご入用なのだと言いなさい。そうすればすぐに、その子ろばを送ってくれるだろう。」そこで、ふたりは道を進んでいくと、通りに面したドアにつながれている子ろばを見つけた。彼らはつなを解いた。すると、そこに立っていたある人たちが彼らに言った、「子ろばを解いて何をしているのか。」イエスが命じた通りに彼らに話すと、彼らは行かせてくれた。それで、彼らは子ろばをイエスのもとへ連れてきて、その上に自分たちの着物を投げてかぶせた。イエスはその上に座った。多くに人たちが道に自分らの着物を広げた。木から葉の茂った枝を切り取り、道に広げる人もいた。先に進んでいた人たちも、後をついてきた人たちも叫びながら言った、「ホサナ、主に祝福あれ。神の御名によってやってくるお方に。主の御名によってやってくる私たちの父ダビデの王国に祝福あれ。ホサナ、最も高き所に。」イエスはエルサレムに、そして神殿へと入城した。イエスはすべてを見回した。時はすでに遅かった。十二弟子たちとともにイエスはベタにアへと出て行った。

クリスマスイヴの朝、神ご自身から私たちのもとへ届けられることばを聞くことができて、大変うれしく思います。

お座りください。

お祈りしましょう。

私たちの御父であり、われらの神よ。われらの主の命にあって、この意義あるひと時を理解できる心を与えて下さい。また、今日の私たちにとってそれがどのような意味を持つのか理解できる心を与えて下さい。これらのことをイエスの御名によってお願いいたします。アーメン。

11章開始にあたり、マルコの福音書の最後の3分の一を学び始めることになります。

この箇所において私にとって最も興味深いことのひとつは、マルコ福音書におけるこの1/3にあたる部分がイエスの生涯の最後の7日間にフォーカスを当てているということであります。

同様に、ヨハネ福音書において、最初から最後まで説いてみると分かるように、その半分がイエスの生涯のうちの最後の週に焦点を当てています。

何故なら、イエスがエルサレムに到着し、死んで、よみがえり、昇天するまでの間に何が起きたのか福音書記者はよく理解していたのです。

救いという神の約束のために使われた全エネルギーはこの短かい時間に集中しました。

さて、今日はクリスマスイヴの朝であり、この日は、伝統的に、いわゆるイエスの降臨、すなわちこの世界へのイエスの到来つまり出現を祝うことになっています。

赤ん坊としてイエスがこの世界に来られた時、彼は王としてお生まれになりました。

だから、幼子キリストの足元いっぱいに広がる素晴らしい贈り物について語るのです。

そして、いと高きところからやってきた挨拶、、ひとりの王ユダヤ人の王が生まれ、ヘロデが深く怯えているという天使たちからの知らせについて語るのです。

30年を経てダビデ王の町への王のアドヴェント(降臨)。

この世界へとキリストのアドヴェントと、幼子キリストの王預言の成就を目的とするエルサレムへのキリストのアドヴェントとの間の関係を知るのです。

では、聖書テキストを見ましょう。

「エルサレムの近く、エルオリーブ山のふもとの接するベテパゲとベタニヤまで来た時、イエスはふたりの弟子を送り出した。」

ある技術的なポイントは、最初にベテパゲに言及しているということです。

ベテパゲとは、「熟していないイチジクの家」という意味、また、ベタニヤとは、「悲しみの家」という意味です。

まるでエルサレムへと向かう彼らの旅を占っているかのようであります。

彼らはベテパゲを最初に通り、それからベタニアネへと向かいます。

北部からエルサレムへと入る今日の道路の交差点を見て、次のように聖書批判する研究者がいる。

エルサレム近傍地図
  

「順番が逆ではないか。エルサレムへ行くには、最初にベタニアを通って、それからベテパゲを通る必要がある」と彼らは言います。