訳出時間枠:9分46秒まで13分32秒まで
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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。
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われらの主の生涯において、宣教活動は3年で終了しました。
最初の年はユダヤ地方における宣教活動、2年目はガリラヤ地方での宣教、そして3年目は再びユダヤ地方に戻りました。
イエスは神の国の福音を宣べ伝えながら、イスラエルの南部にあるユダヤを縦走し、町や村、そして都市を巡りました。
パレスチナ地方から病気を追い払い、神の力を実演し、ご自身が旧約聖書の成就であることを繰り返し告げました。
ご自身がメシアであると宣言し、ご自身の神性を断言し、病気や悪魔の力をご自身の力によって支配し、加えて、御力による死の支配のみならず、真理を提示することによってそれらのことを証明しました。
宣教活動の3年は終わりを告げました。
今ここに主を見出すのであります。
パッション週間の水曜日です。
イエスが最初にエリコへやって来たのは土曜日でした。
エリコの低地からエルサレムへと上り、ベタニアに到着しました。
その日は土曜日で、友であるマリア、マルタ、そしてつい最近復活したラザロ(エルサレムではほとんど話題にはならなかった)とともに休める場所を探していた。
しかし実際には、群衆を勝利の入場へと巻き込んだのはラザロの復活が大きかった。
日曜日(正確な日付も日曜日)、イエスはベタ二アに滞在し、多くの人々が彼に会うため、彼と話をするため、彼の話しを聞くために、彼のともへとやって来た。
実際に、イエスが堂々とエルサレムに入場したのは月曜日です。
ろば、正確には子ろばに乗って。
イエスがしようとしたこと、そして正確に彼がしたことは、ゼカリア書9章9節に書いてあります。
月曜日に、預言を成就するためにやって来た。
大勢の群衆がいました。
25万人と推定した人がいます。
彼らの心のうちには、彼がメシアであろうという思いが実際にありました。
それ以外に、病気や悪魔、死を打ち負かす力、そして真理に関する力強い宣言をどうやって説明できるのだろうか。
イエスのように話す者はいまだかつて誰もいなかった。
このような白熱した状況が生まれたのは、ラザロが生き返ったからだ。
オリーブ山へ出かけるために、その夜その地を離れた後、火曜日の早朝、イエスはその町に戻ってきました。
毎夜、イエスはオリーブでひと時を過ごしました。
弟子たちを連れ、エルサレムの東門から出て、緩い坂を下り、キドロン川を渡り、エルサレムの東側からオリーブ山へと向かったのです。
そして、オリーブの木々の大きな果樹園の中へと消えていきました。
どうして、そんなことをしたのか。
なぜなら、敵が彼を殺そうとしていることを知っていたからです。
日の明るい時間は、あるいは群衆の視界が届くうちは、彼らはご自身を逮捕することはできないことが分かっていたのです。
弟子たちとともに、夜の暗闇から自分の身を隠す秘密の場所が必要だったのです。
オリーブプレスという意味を持つゲッセマネと呼ばれる秘密の庭が与えられた。
そこにイエスは毎夜出かけました。
水曜日の朝、家に戻ると、心にあることが浮かびました。
イエスは何処にもよらずに神殿に行きました。
彼の宣教活動における2度目の神殿清めのためでした。
宣教開始の初めに一回清めを行ない、そして最後にもう一度神殿の清めを行ないました。
ユダヤ教のシステム全体を背信行為と断定することにより、ご自身の宣教活動を閉じたのです。