The Eye of the Needle (Mark 10:23–31)
https://www.youtube.com/watch?v=jdaxrEA7ZpA&t=1s
訳出時間枠:21分58秒から25分23秒まで
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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、マルコ福音書から改革派神学基礎教理を学ぶ。
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しかしながら、エルサレムにそのような門があったのかどうかは、9世紀の段階で不明であります。
つまり、このストーリーが真実かどうかはあやふやです。
むしろ、イエスは、当時最もよく知られた大きな動物を取り上げ、開口部の最も小さなスロットと比較し、そして「らくだが針の穴を通るよりも、金持ちが神の国に入ることの方が難しい」と言ったのではないか。
間髪入れずに、イエスはそれは可能だと明言します。
しかし、相当に難しい。
その時点における主の警告に十分注意する必要があります。
何故なら、現在の私たちは、世界の歴史において最も繁栄する人々だからです。
今朝お集まりの方々の中で最も貧乏な人でさえ、200年前の王たちよりも生活のレベルは高いはずです。
神によって私たちはそれほど祝福されているので、障害やトラップがそこにはあり、針の穴によくよく注意する必要があります。
そして、自分の心がどこにあるのか、時々吟味する必要があります。
小切手帳を見せて下さい、そうすればあなたの心がどこにあるか教えてあげましょう。
これは皆さん全員に当てはまります。
私たちは主の声を聞く必要があります。
弟子たちはイエスの話しを聞いてびっくり仰天しました。
彼らは言いました、「それでは一体誰が救われるのでしょうか。」
すると、イエスは、「人では、それはできません」と言った。
富を信頼する者が神の国に入ることが如何に難しいことか分かるでしょう。
人間的に言えば、そのような人が神の国に入ることは不可能であるということ。
イエスは言います、「しかし、神には、すべてが可能です。」
使徒パウロが言うように、へりくだることも大金持ちになることも可能です。
私たちの心を神の国に集中させつつ、神の祝福を受け、かつ大きな富の祝福を得ることも可能なのです。
難しいかもしれないが。
心は人の命の中で聖霊が介入する場所であります。
そして、聖霊が私たちの心の頑なさを切り通す場所でもあります。
2週間前に、ある人がこう言いました。
「自分の富を諦めることは極めて難しい。」
これを聞いて、「確かに、それは正しい。私にも難しい」と思った。
私たち全員にとっても難しいことです。
しかし、神の国のためにそうしなければならない時があるのです。
ペテロがイエスに言いました、「ご覧ください、あなたは私たちのことを言っているのではないですね。主よ、特に、私のことではないですね。あなたに従うために、私たちはすべてを捨ててきました。」