訳出時間枠:20分03秒から23分30秒まで
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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。
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要するに、メシアは人であるとユダヤ人は考えていたようです。
メシアは人であって、天使ではなく、神でもなく、人であると信じていた。
しかし、ただの人ではなく、ダビデの子であると。
彼らがそう信じていた理由は、それが旧約聖書の約束だからだ。
ダビデの長子は、第2サムエル7章に約束されている。
各人で確認して下さい。
ダビデの長子がやって来て、永遠の王国が樹立されるであろう。
メシアは人として来るであろうと彼らは期待していた。
彼は、王権を有するダビデの子孫に属する男であると。
彼は、力を突き抜ける莫大なパワーと影響力を持つ男であると。
そして、ローマを始め、すべてのイスラエルの敵を打ち破り、アブラハムとダビデに与えたすべての王国の約束をたちどころに成就し、イスラエルに完全な救いをもたらすだけでなく、預言者たちを通してくり返された王国の約束すべてを成就される男であると。
弟子でさえもそう思っていた。
イエスは王国をもたらしてくれると弟子たちは思っていたとルカ書に書いてある。
しかし、彼は単なる人、ダビデの長子であると人々は考えていた。
そこで、イエスに関して、次のような究極の疑問が湧いてくる。
イエスは単に人にすぎないのだろうか。
41節から44節までを見て頂きたい。
「最後の招待」と呼ばれる箇所であります。
最後の招待。
月曜日にはそれほど活気に溢れていた群衆でさえ、金曜日には、「十字架に付けろ。十字架に付けろ」と叫んでいる。
指導者たちによる憎悪にもかかわらす、またどっちつかずの群衆による気まぐれな興味にもかかわらず、依然としてイエスは憐れみ深き福音宣教者だった。
最後の時、イエスはご自身が誰かを明言する。
信じる罪人が信じることができるように、信じない罪人が信じることができるように。
マタイ22章41節には次のように書かれています。
イエスは、「あなたがたはキリストについてどう思うか。キリストは誰の子か」と問うた。
イエスが聞いた質問とはこうだった、「あなたがたはキリストについてどう思うか。キリストは誰の長子か」と。
すべての聴衆が聞く中、パリサイ派と律法学者に対してイエスはこれを問うた。
マタイ22章42節にこう書いてある、「ダビデの子と彼らは答えた。」
ダビデの子。
このことは全員が分かっていた。
ところで、「あなたがたはキリストについてどう思うか。キリストは誰の子か」という質問を持ちだした時、マタイ伝のテキストにおける限定的な記事を見出すことができます。
その瞬間、イエスはその場から距離を置いています。
単純に、イエスの質問は、「メシアに関するあなたの見解は何か。彼は誰の長子か。」
彼らは、「ダビデの子」と答えた。