訳出時間枠:30分04秒から33分00秒まで
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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。
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ダビデがメシアを自分の主と呼んだ時、それは聖霊による啓示だった。
「主は私の主に言った、あなたは統治・支配するであろう人。」
通常、詩篇110編はメシアに関する箇所。
通常、初代教会までは、ユダヤ人によって、それはメシアとして解釈されていた。
この箇所はメシアに関する詩篇であるとユダヤ人は認識をしていた。
ちなみに、新約聖書記者によって最も頻繁に引用されているのがこの詩篇であります。
メシアの特性、ダビデの家系、メシア自身の神性を立証するために、われらの主はこの詩篇を使っているのです。
数百年もの間、ユダヤ人がその歴史的解釈を廃止してきたイエスのメシア性を証明するために、この詩篇は初代教会において極めて積極的に使用されてきました。
彼らはそれをアブラハムやメルキゼデク、ユダス・マカベウスにまで適応しました。
その預言的要素、ダビデの家系を拒絶したい人たちや、イエスキリストの神性を絶対に拒絶したいラビや批判家によって、イエスのメシア性は絶え間なく攻撃されてきました。
イエスは言った、「ダビデは聖霊によってそれを語った。」
イエスは「ダビデはメシアである自分に関して予言している。メシアはダビデの主である」と言ったのです。
神はダビデの主に何と言ったでしょうか。
「私があなたの敵をあなたの足台にするまで、右の座に座していなさい。」
彼を右の座に置くと言うことは、彼を同等の地位に置くと言うこと。
右の座とは権力を表します。
旧約聖書は、神の力を神の右の座と呼びます。
御子であるメシアに、神はすべてのパワーとすべての権威を付与しました。
新約聖書においてくり返し聞いていることであります。
以上から、メシアとは人間的にダビデの子であると同時に、神的にダビデの主となるのです。
メシアはダビデの子であり、神の子でもあります。
ダビデの子であり、ダビデの主でもある。
ヨハネは書いています、「私たちは彼の栄光を見た。御父のひとりごとしての栄光。満ち満ちた栄光と真理。」
これが、ひとりごであるイエスに関する唯一の説明であります。
彼には神性において創造する能力があることを示した説明であります。
彼は父なる神と全能性を共有した。
彼は基本要素を支配した。
彼はあらゆる生物を支配した。
彼は食べ物を創造した。
彼は健全な体を創造した。
彼は死人をよみがえらせた。
彼は罪を赦した。
彼は裁きを宣告した。